誰に聞けばいいのかわかる時点で、もうだいたいわかってる

ツイッターで、初心者が初心者同士で教えあっていて、聞くべき人がいるのに聞かず、いつまでたってもレベルが低いままだ、というような嘆きみたいなツイートが回ってきた。

これはまぁ一面の真理ではあって、確かにわかっていない人間がいくら集まってもわからないものはわからないし、それどころか場当たり的な解決策を誰かが見出してそれが広まってしまう、というようなことも現実にはよくあり、それはわかっているベテランからすると地獄みたいな光景で、なんで一言聞きに来ないんだ、と思ってしまうのも無理からぬことである。

だがこれは、「合理」が積み重なった末の「必然」である。なるべくして、そうなっている。

目次

問題が難しいかをわかることがまず難しい

まず初学者にとっては、何をベテランに聞けばいいのかがわからない。知らないことをまるで世紀の阿呆のように罵るベテランは言語道断として、たとえ「なんでも聞いてよ」というベテランでも、ググれば一発でわかることまでなんでもかんでも聞かれたら、「さすがに自分でもちょっとは調べろ」と言いたくなるし、実際そうすべきである。

で、初学者もまずは自分で調べる。それでちょっとわからなかったとしたら、次はベテランに聞く……前に、隣の席の気心知れた同期に聞く。これもまた、「まずは自分で調べる」ということの延長線上にある。

それでもわからなければやはり聞くしかない、ということになるかもしれない。が、そこまで徹底的にわからない、というのは案外少なくて、たとえ本質から離れていたとしても、なんだかんだどうにかなってしまう、あるいはどうにかなっているようにとりあえずは見えるやり方、というのも実務の上では多く存在する。たとえば最初の間は動くが、ある程度データが溜まるとうんともすんとも言わなくなるようなシステムなどはよくある。

明らかな間違いならば誰しも気づけるが、なまじっか動いてしまうと、見えていない穴や未来の爆弾には気づきづらいし、そもそもそんなものがあるということが想像の外である。だからこその初学者である。

もしそこに違和感を感じて、「一見うまくいったように見えるが、実は大きな罠が潜んでいるのではないか?」ということに気づけたとすれば、彼はもはや初学者ではない。十分な知見を得て経験を積んだ、一人前の仕事人である。

相手のレベルがわからない

上述の例は初学者が見誤っているが、間違えるのは初学者ばかりではない。ベテランもまた、間違える。それは問題を間違えるというより、初学者の必要としているものを間違える。

たとえば「掛け算がわからない」という小学生に対して、東大出版会の解析入門を開き「まず実数の定義から始めようか」では誰も救われない。が、往々にしてこういうことはある。

結果、みっちり教えてもらって何一つわからず、自分は世紀の阿呆なのだろうかとしょんぼりしているところで、友達から「九九は覚えれば終わりだよ」の一言で何もかも解決、というようなことがあると、ベテランに聞くより隣の同期、という経験則が出来上がってしまうわけだ。

質問する側だけではなく、問われる側もまた、相手の力量を見た上で、説明のレベルを制御できなくてはならない。同じようなレベルであれば、普通に説明するだけでこの点はクリアできる。ベテランから見れば「わかってないやつ」でも、少なくとも「互いのレベル」はわかっているのである。

断絶は必然

つまり、質問を適切な人間に問いかけるには、まず問題の本質的な難度を知る必要があり、それができる時点で初学者ではない。次に、問われた側は問題の難度のみならず、質問者の力量から説明のレベルを制御できなくてはならいが、これはベテランだからといって必ずしもできるわけではない

結局、初学者とベテラン双方の積極的で密なコミュニケーションによって初めて、理想的なティーチングはなされるわけだ。そしてそのような環境を作るのは並大抵のことではない。したがって、初学者とベテランの断絶は「必然」的に起きる。それを防ぎたいのであれば、そのための環境を積極的に整える必要がある。

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