自由を守るとは、嫌いなものを守ることだと痛感した一年だった

歴史は繰り返す。知識として知っている、というだけでは何の意味もないことなのだなぁと、「お酒抜きで営業しています!」と健気な張り紙をした、がら空きの居酒屋を見て、僕はため息をついた。いったい何の意味があって、こんなことをするのだろう。

振り返ってみれば、パチンコ店が契機だった。僕はパチンコは嫌いだし、この世からなくなればいいと思っている。そういう人は多分多い。でも僕らは、あの時パチンコ店を守らなきゃいけなかったんだと、いまにしてつくづく思う。

彼らがパチンコを攻撃した時

禁酒令だの灯火管制だの、物々しい言葉がネットを飛び交っている。それもそうだろう、もともと強権的かつ支配的な性質を持っていた小池都知事が、いよいよその本性を剥き出しにすることを躊躇わなくなったようで、とても感染症対策として意味があるとは思えない種々の”厳命”を矢継ぎ早に繰り出している。それは都民の権利を著しく制限するものばかりだ。

特に今回は書店や美術館にも休業要請が出されたことで、これまで声を上げなかった人たちにも声を上げ始めた人がいる。彼らは、「書店はクラスター源になっていない」という。「書店では騒がない」という。

なるほど、そうかもしれない。では、パチンコ店はクラスター源になっていただろうか。いったい誰が、騒ぎながらパチンコを打っているのか。僕はパチンコはやらないが、筐体に向かって黙々と打っていることくらいはわかる。店が五月蝿いのは、もっぱら筐体から発せられるものであって、人の声によるものではない。

つまり、いまさら何を言っても「パチンコ店もそうだったよね」の一言で済まされてしまうわけだ。そして、パチンコ店の休業要請を、国民は喜々として受け入れ、強面の態度に出る知事に喝采を浴びせ、あるいは(罰則がないことを)弱腰だと叩いたりした。

なぜそうなったかと言えば、パチンコ店が本当に危険だからではなく、単に普段から嫌われていたから、というのが本当だろう。コロナを言い訳にして、ここぞとばかりにパチンコ叩きをしたかった、という人が多かったのではなかろうか。

だが、パチンコ店に休業要請できるなら、同様に他のあらゆる施設にも、理屈の上で休業要請はできるようになってしまうのである。そして、実際にそれがなされて、まさか自分たちに火の粉が飛んでくるとは思っておらず、慌てて非難の声を上げたが、時既に遅し、といった状況だ。

この状況はまさに、かの有名なニーメラーの詩でうたわれたものだろう(「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき – Wikipedia」)。

僕もパチンコ店については、規制に賛成ではなかったものの、「(店名公表は)宣伝効果にしかならないんじゃないの?」というツイートをしていた程度で、積極的に反対の態度を表明してこなかった。まぁ、それやると面倒なのに絡まれる可能性があるから、というのもある。ただブログでは書いてもよかったかもしれない。

だが、僕らはパチンコ店に休業要請を出された時、「それは何の根拠に基づいているの?」とちゃんと問わねばならなかった。せめて、その後「で、効果はあったの?」と検証を求めなくてはならなかった。それをしなかったツケが回ってきている。

路上飲みとキャンプは違う?

小池都知事の強権的な態度は続き、今度は路上飲みのみならず、キャンプに苦言を呈し始めた。キャンプなんて物理的に密にもなりえず、どう考えても家にいるより安心安全だと思うが、彼女はそんなことは気にしない。それを言えば、路上飲みだって、屋外の時点で絶対に三密にならず、屋内よりよほど安心安全なはずなのに、なぜか屋内飲みよりも悪者扱いされているのは、不可解なことだが、実際非難されている。

公共の場で酒を飲むのはいかがなものか、という規律の観点から路上飲みを批判する向きはあるが(実際諸外国では路上飲みは禁じられていたりもするらしいが、夜中、公園では目をはずしている外人は、外で飲めるのが嬉しいのかな?)、それはコロナ対策とは無関係の話である。

つまり、路上飲みの批判はパチンコ店と同様に、単に平生から快く思わない人たちによる悪感情によるところが大きいと思われる。しかし、路上飲みを非難できるなら、同様の理屈で、キャンプもまた非難できるのである。

書店や美術館、キャンプの愛好家がいくら「自分たちは違う」と理を説いても、そうでない人にとってはポジショントークでしかない。既に自分の好きなものを規制されていた人たち(特に音楽や演劇の愛好家など)からは、白けた目で見られている(実際、「ざまぁみろ」といわんばかりのツイートも散見され、なんとも言えない気持ちにさせられた)。

自己弁護ほど難しいものはないと言う。僕らは、嫌いなもの、興味ないもの、好きではないものが規制されようとするときにこそ、声を上げないといけなかった。そんなこと、わかっていたつもりだったのだけれど。

無意味な対策

なんとも虚しいのは、これらの動きは実際のところ感染症対策としてなんら寄与しないどころか、短期的にはもっとも大きな感染経路の一つである「家庭内感染」を増やすだけに終わるだろうと思われることだ。

全体でいえば、そもそも人間の施策で新型コロナウイルスに対して有効と思われたものはワクチンくらいだろう。外国の強烈なロックダウンも、まったく感染を抑えられていない。ああ、早期で鎖国政策取ったところは、それなりに成果をあげているのかな。でも一度蔓延したら、もうどうしようもないようだ。

一方で、諸外国に比べればゆるゆるだと非難される日本の被害といえば、アメリカなどの数十分の一であったりするし、ワクチンがきいて大はしゃぎのイギリス(「ワクチン接種で街は「緩和」へ イギリス警官が喜びの舞 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト」)よりもよほど少なかったりする(これで医療崩壊するというのは、もはやシステムの問題だと思う)。ではそれが巷で言われるように日本人が衛生的ですごいからなのかというと、東南アジアなどに目を向ければ日本は別にすごくもなんともなかったりする(」【特設ページ】アジア地域の新型コロナ感染症情報について | アジア経済交流センター」日本すごいから説だとベトナム最強説になるけどそうなの?っていう)。

こういったことを素直に考えると、人間の施策で多少の影響はあっても、全体としては自然の大きな流れに逆らえないし、またコロナの影響はあらゆる人種で平等というわけでもない、ということなのだろうなと思う。

そうすると、日本の被害の実態を思えば、むしろ普通に過ごしてしまったほうが、全体の被害はよほど少ないのではないかとさえ思う。よく言われるように、景気と自殺者は強い相関がある(それ自体が抜本的な大問題とも思いつつ)。実際、最初こそ自殺者は減ったが(この減った人の数は、社会の歯車を回すために指してきた血の油の数だと思っている)、その後は増えたし、これからも増え続けるだろう。一方で、2020年の超過死亡はマイナスだった。

念の為言っておくが、僕は感染症対策をしなくて良いといっているわけではない。ただ、個々人の行動を制限するのは意味がないと言っている。まぁ手洗いくらいはすべきだと思うし、密閉された空間でマスクもせず長時間議論などもすべきではないと思うが、逆に言うと、せいぜいそれくらいじゃないのか、個人にできることなんて。

政治がなすべき仕事は個人を締め上げることではなく、コロナにかかっても医療崩壊しない体制を整えることだ。どんなにやったところで、自然の大きな力の前では人間など塵芥に等しい。感染症は基本的に抑えられないと考え、そのうえでいかにして社会を動かし続けられるか知恵を絞るべきだ。

いったい僕らはどうありたいのか?

これはコロナだけに限らないと思う。一人ひとりが失敗しないことを目指すのではなく、人はみな失敗するということを前提にして、何があっても問題なく稼働し続ける、優れたシステムとはそういうものだと思う。

失敗できればこそ、僕らは挑戦できる。大成功することもあるだろう。逆に、大失敗することもあるだろう。だが、結果の可否は問題ではない。考えて、行動する。それ自体が、人生なのだと思う。生きるとはそういうことなのだと思う。両手両足を他人に縛られて、やれ何をするな、どこへ行くなと命令されて、いったい何が人生なんだ。

ま、ここらへんは人それぞれ考え方があろうね。でもね、僕にとって、自由に考えて動くこと、これが一番大事なことなんだと、本当にそう思う。

このままいけば都知事の戦闘力は42万

だから、今の都知事には拒絶感しかない。大阪府の吉村知事に対しても、実はけっこう期待していたので、昨今の強権的な割に論理的ではない施策に深く失望している。

別に、何がなんでも自由を制限するな、とは言わない。死んでは元も子もない。だが、本当にそれは必要なのか?意味があるのか?とてもそうとは思えない。そして、実質的に意味がないことを、本当はわかっているのではないか?

それにも関わらず、強権的な手段を講じ続ける狙いはいったいなんなのだろうか。吉村知事については、本気で効果があると思っているのかな、と少し思う。情報はあるはずなのに、どうしてそうなるのかはよくわからないが…。まぁでも大阪は病床が逼迫しているのはそのようなので(新世界とかあいりんのあの辺じゃないのかな。昼間から飲んで路上飲みどころか路上で将棋打っているあのへん)。

一方、小池都知事についてだが、どこまで権力を行使できるか試しているのではないか、と僕は疑っている。彼女はもとよりコロナ対策などどうでもいいと思っているので、本当にリスクの高い高齢者施設に対してなんら措置を講じないし、病床の確保にも積極的ではなく、それどころか統計の数値すら信用できないものにして、やっていることと言えば、政治力の弱い業界を締め上げることに血道を上げるばかりだ。

まぁ、本当にコロナがやばかったら彼女も何かしら考えるかもしれないのだが、実際には大したことがないと踏んでいて(実際、東京は大阪と違って別に病床は逼迫していない)、そのため政治的パフォーマンスに利用することに徹しているのではないか、という気もする。まぁ彼女はサイコパス的なので、単に都民を支配する歓びと、楯突く連中をぶちのめす快感に夢中なだけなのかもしれないのだが。

いずれにせよ言えることは、このままいけば都知事の戦闘力は42万になる、ということだ。既にコンビニでの酒類提供にすらなにか言い始めている(「都知事「コンビニは酒類提供控えて」路上飲み対策で 酒求めて”越境都民”も…感染拡大続く中、GWへ(FNNプライムオンライン) – Yahoo!ニュース」)。法的根拠がないというが(「コンビニの酒販売自粛? 小池知事が発言、担当は否定―新型コロナ:時事ドットコム」)、法的根拠など大した問題ではないことは、いままで見てきたとおりだ。彼女はただ、「お願い」すればよいのだから

そのうち都庁の連中が各家庭に訪問するんじゃないの?など冗談めかして言われているが、本当にありうるんじゃないか、と思っている。さすがにそうなったら都内から大脱出させてもらうが、日本の東京一極集中を思うと、これからしばらく、僕ら日本人は大きな大きなツケを払うことになるかもしれない。

以下は下書き。

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