例によって麻生大臣のぶっちゃけトークにより、三角関数が役に立つのかどうか、というみんな大好きな話で盛り上がっていた。本当、話題に事欠かない人だ。
役に立たないわけないが
多くの技術職や研究職の人ならば、むしろ役に立たないわけがないだろう、という感触だと思う。直接使っていなくても、基礎知識として理解していなければわかるものもわからない。
逆に言うと、そうでもなければぶっちゃけ麻生大臣の言うことには内心頷いてしまう人は多いんじゃないかなぁ。ただそれに同調すると、あまりにも阿呆っぽくて、「わたくし阿呆でございます」というのと同義のように思えて、同意する勇気がない、という感覚だろう。
どこでどう使っているのかわからない
三角関数の概念なしに現代文明が成り立たないのはなんとなくわかる。生活の礎に、きっと必要なんだろうなぁと思う。でも正直どこでどう使っているのかわからないし、少なくとも自分は使っていない。
これが三角関数を象徴とした、数学を始めとする理系の学問に向けられた、世間一般の感覚じゃなかろうか。ついでに言うと、出来損ないの技術者であるところの僕も、その気持はだいぶわかったりする。
教育の過程において、理論は教わる。しかし、それがどのように使われているのか、また、実生活上に応用可能なのかについては、ほとんど教えられることはない。何に使うんだ、これ。
となると、多くの学生にとって理系の学問は無駄知識であり、そこに学問としての興味関心がない限り、受験戦争に勝ち抜く以外になんら価値をもたないものとなる。したがって、私立文系などは受験科目に理系科目がなかったりするので、そもそもまず学ぶことすらしない。
これはもはや制度的な問題だと思うし、この問題は数十年前から認知されているものと思うが、特に何か対応されたという話は聞かない。少なくとも僕が受験戦争に放り込まれた15年前、数学や物理に受験以外の価値を見いだせるかは本人の資質に任されていたし、今も中学校に入ったばかりの甥っ子の様子など見るにつけ、状況は変わっていないように思える。
わからないことが求められている
なぜ何も変わらないかといえば、変える必要がないと考えられているからだろう。国としてはとりあえず全員に学ばせて、そのうち素養のある少数の変わり者が理系の大学に入り専門的な知識を身につけてくれればそれでよくて、別に国民全体の学問に対する理解などはどうでもよいのだろうと思う。というかむしろ、阿呆でいてほしいくらいのことを考えているんじゃなかろうか。
実際、教養のある国民とは政治家にとって厄介なものである。黙って従えばいいのに、何かと面倒な理屈をつけて批判しやがる。したがって、彼らに学問を推奨する理由はない。政治を批判するマスコミも頼りにならない。マスコミにとっても教養ある国民は厄介である。そもそも、国民が三角関数を理解し、その先にある周波数、物理現象としての電磁波にまで理解が及べば、テレビ局は今の電波利権にあぐらをかいていられなくなるだろう。
そうすると、麻生大臣が本当に言いたいことがわかるような気がする。彼は「三角関数は役に立たない」と言いたいのではない。「三角関数を役に立たせられるような厄介な国民には、決してなってくれるなよ」と言いたいのだ。とどのつまり、旧来的な政治家としてのポジショントークだろうと、そんな風に思う。
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