訓練のタッチひとつで本当に訓練する愛すべきソシャゲ

昔見たソシャゲ全体の批評で「ソシャゲは努力ポルノ」というのを見た。当時はあまりソシャゲをしていなかったこともあって「ふーん」という程度だったが、その後いくつかのソシャゲをプレイしてからは、なるほどうまいこと言ったもんだなぁと思うようになった。

日々忙しく働いているが、振り返ってみると果たして自分は何を成し遂げたのか、自分は何か変わっているのだろうか?と鏡を見れば、身体ばかりが年老いていく中で、ソシャゲの総戦闘力の数字ばかりが圧倒的成長を遂げていく。

10年たてばわかる

10年前の自分は本当に何もわかっていない無知なガキだったと思う。多分今の自分も、10年後の自分に何もわかっていなかったと思われているだろう。つまり、10年のスパンで見たとき、自分は多分成長、少なくともそう思える何かをしているのは確かだと思う。

では昨日の自分と比べてどうだろうかと思うと、これは微妙だ。昨日自分は何をしていたか。仕事をしていた。帰ったら疲れて酒飲んで寝た。そうか。なるほど。それで仕事は何をしていた。なんかトラブっていて、調整したり、今後の方針を決めるMTGに駆り出されたりしていた。

何だろう、なにかしていたのか、僕は。少なくとも昨日という一日は、明日世界が滅びるとわかっていたら絶対にしなかったであろう一日だ。そしてそれは今日も同じだ。10年前の今日も、似たようなものだったかもしれない。一日を振り返って、振り返ると「何をしたんだ?」と考え込んでしまう。

だが10年たてば、少なくともこういった行為が「振り返り」とされるものであることを知り、またある程度業務や生活の中で使えるようになった自分を知る。ちょっとしたことだが、少しは変わっているし、そういう少しを並べてみると、けっこう変わっているように見える。実際、変わっているのだと思う。

今日も数字を上げている

そうして変わったことの一つに、10年前は「誰がやってるんだ?」と思っていたソシャゲをやる人を大勢見つけたことや、また自分もやるようになったことがあるだろうか。まぁこれは身につけたくなかった習慣かもしれない。なにしろ、ソシャゲは何も生み出さない。何も生み出さないのだが、ついやってしまう。やれば何かの数字が上がっていくのが静かに心地よく、その数値が本質的に何を示しているのか、なんの意味があるのか、皆目わからないまま、ただひたすら数字を上げることに励んでいる。

僕には今、いくつかの課題があり、その中には技術的課題もあって、それをクリアするためには大いに勉強せねばならず、であれば当然今も本を読むなり手を動かすなりしているはずだが、なぜかiPhoneの画面をせわしなくタッチしている。僕の指が命じるままに、画面の中にうつるゲームのキャラは忙しく訓練している。現実の僕は無の表情でいる。

昨日の僕と今日の僕で何が変わったかはわからない。だが少なくとも、このキャラクターのレベルは昨日は41だったが、今日は42になっている。明日は43になっているだろう。

儚い数字だとしても

この数字は現実では無意味かもしれないが、少なくともこのゲームの中では絶対的な意味がある。絶対的に意味のある数字が見えれば、多分僕だって、高次元の何かに命じられなくても、毎日訓練に励むかもしれない。

だがルール無用の現実では、絶対的に意味のある数字などない。あれば楽なのにと思う。その夢を叶えてくれたのがソシャゲかもしれず、そんな世界の中ならば、キャラたちがタッチ一つで訓練に励むのは当然かもしれない。

そうして、数字の上がる微かな心地よさを求めて、今日もタッチを続ける。その数字に現実的な意味はなく、サービス終了で消える儚いものだとはわかっているが、それはクソになって出るとわかっていながら食事をするのと同じようなものだ。こういうことも、必要なんだろう。多分。

結局

こうして現実では何もない1日を積み上げていくことを、肯定する気も否定する気もないのだが、俺は何をしているんだろうな、と思うことはある。今がまさにそうかもしれない。何をしているんだろう。

まぁ、また10年たてば、少し何かわかるかもしれない。サービス終了までに、もう少しくらいはわかりたいもんだなぁ。

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