「平等に貧しくなろう」は一つの考え方と思う一方それはそれとしてめっちゃ腹立つのはなぜか

思わず舌打ちしてしまった。

Twitterでちょっと前に軽く炎上していた、上野千鶴子氏「平等に貧しくなろう」の提言について、誰かが「人を苛つかせる天才」というような評をしていたが、自分もそうだと思う。なにせ苛つかせられたので 笑。

炎上の発端がどこなのかはわからないが、高村武義 #WalkAwayさんはTwitterを使っています 「若者に平等に貧しくなれといってる上野千鶴子は、外車を乗り回してる団塊金持ちだということは、もっと知られるべき。自分は高度成長期の繁栄を享受しておきながら、下の世代には繁栄を与えず、裕福な自分の生活は手放さない。その上で、上から目線で貧困になれと平然と言う。吐き気を催す邪悪だ。 https://t.co/beLNJaeq3A」 / Twitter かな。

元ネタは若干前(「「平等に貧しくなろう」という上野千鶴子氏の意見が正し過ぎる件について。 (1/2)を見ると4年ほど前の中日新聞か)のようだが、問題自体は今も抱えている、というより当時よりも差し迫った状況にあるので、これからも定期的に燃え上がるのではないかと思われる(参考「「平等に貧しくなろう」の上野千鶴子氏、タワマン生活で炎上。背景に団塊への怨嗟か | マネーボイス」)。

結論を先に言うと、上野氏がムカつくのは本能😂

一つの考え方なのは違いない

上野氏の提言について、自分も皆と同じように吐き気を催す邪悪だな程度のことはやはり感じるのだが、一方で論理的には一つの考え方だとも思う。

移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思います。

(中略)

だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。

上野千鶴子, 中日新聞

少子化不可避、移民も無理、ならもう平和に衰退、これしかないね、という考え自体は、なんというか、まぁ一つの考え方だな、と思う。妥当かどうかで言えば、人間の欲望を無視した本質的に共産主義的な意見だと思うので、まったく成り立たないだろうとも思う(やっぱりこの世代の人は未だに共産主義に夢見ているのかしら)。

透明な存在の意見であればさらっと流した

ただ、これを上野氏ではなく、何か透明な存在みたいなものから発せられたと考えた時、「まぁそう考える人もいるかな」くらいのものなのだが、発言の頭に”上野千鶴子「” をつけた途端に、イライラっとして舌打ちの一つもしたくなるから実に不思議だ。

実際、とさかにきちゃって悪口雑言を浴びせかけている人がTwitterには溢れているわけで、まぁ僕だけの現象ではないらしい。

頭に来た理由は皆それぞれ言っているが、僕の場合は、先に述べたとおり上野千鶴子が頭につかなければ一つの考え方として受け入れさして腹も立たないので、発言の内容そのものについてではない。上野氏が言っている、ということに、どうしようもなく苛立たせられる何かがあり、そしてそれは、なんだかんだと理由をつけて反論する皆も、だいたい一緒なんじゃないだろうか。発言の内容というより、上野氏の人間性にイラッとしているのだと思う。

一つの論理的な正当性とは別に

なぜ上野氏の発言と思うと苛つかせられるのか。しばらく考えていた。それで思ったのは、「「平等に貧しくなろう」の上野千鶴子氏、タワマン生活で炎上。背景に団塊への怨嗟か | マネーボイス」の記事タイトルにある、「タワマン生活で炎上」というのが、やはり本質に近い、ということだった。ただ、その後に続く「怨嗟」という言葉は、少し本質からずれているな、とも思った。まぁ、まったくないでもないだろうが。

彼女は紛うことなき社会の成功者であり、その思想とは裏腹に資本主義を享受している。それはもちろん上野氏自身の努力と研鑽によるところ大きいにしても(それも上野氏の環境が恵まれていたからに過ぎない、とも言えるけどね。それは一面の真理だよ。他ならぬ上野氏自身が、努力して東大に入った子供たちにそう言い放っていたからね!なお上野氏は京大で、入学式ではさぞ言祝いでもらえたことだろう)、冒頭のツイートでも指摘されているように、自分は高度経済成長時代を経験してその益を存分に受けながら、その利益を手放すことなく、下の世代に諦めろ、なんて言っていいのか、それは至極当然の指摘だと思う。

もちろん、論理的には彼女の提言と彼女の生活は切り離して考えるべきで、なんの関係もないことである。だからこそ、僕も「一つの考え方」と見なした。まぁ、共産主義的なので机上の空論だとも思っているが。

だがその一方で、人を殴りながら「人を殴るのはよくないことです!」と言っても何の説得力もないことも事実だ。人は物事を一つの論理的な正当性だけで判断しているわけではない。

それはごく自然なことである。絶対的なものなど何一つない社会の中で、いくつかのことを信じて展開されるのが論理だ。科学が存在の根源を証明できないように、論理もまた、突き詰めていくと証明できない何かにぶちあたる。そしてその何かは多岐にわたり、必ずしも話者が好きなものを選べるわけではない。

社会のテイカーは許されない

根源的な何かの一つだと強く感じることは、我々は社会的な動物だということである。我々は集団を形成し、社会を築く。これはもはや本能的なことで、なぜそうするのが良いかというより、そうするように進化したものが生き残った、というべきだと思う。だからこそ、受けたものは返す、返報性の原理、なんて言葉もあるくらいだ。

一方で、我々は利己的な動物でもある。他者や社会を犠牲にしてでも自己の利益を追求する、そういう側面があることも事実だ。そして、時にそのような側面が強く出た者も往々にして存在する。

そのような者は社会に仇をなす。したがって、社会的な動物である我々にとって、自己中心的な考えがあまりに突出したものは敵とみなされ、嫌悪され、時には排除される。

事実はさておき、少なくとも上野氏、あるいは団塊の世代は、高度経済成長の波に乗り、今の我々には得られないものを得た、とみなされている。その癖、そうして得たものをまったく手放そうとしない。そして、我々に対して「平等に貧しくなれ」という。

社会から受けたものを返さず、貧しくなれと言う。そんなものは、搾取であり、テイカーであり、フリーライダーである。だから、提言自体の論理的な正当性とは別のところで、社会的な動物として忌避感を抱き、それは感情的な苛立ちとして表出するのだと思う。それは怨嗟などではなく、本能である。

まぁ、本当に上野氏がテイカーなのかと言えば、自分はそんなこともないだろうと考えるのだが(上野氏の著書も持っている…女性学とは全然関係ない本だけど)、少なくともこの発言については、やはり、高度経済成長時代を駆け抜けた団塊の世代の成功者が、タワマンの素敵な書斎から下々の民に向けて語りかけることではないのだと思う。

(この記事は、開発中の思考深堀りサービスQnQを使って草稿を書きました。よろしければ覗いてみてくださいな→上野千鶴子は論理的には納得できる言説と思えるにも関わらずめっちゃムカつくのはなぜか | QnQ

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“「平等に貧しくなろう」は一つの考え方と思う一方それはそれとしてめっちゃ腹立つのはなぜか” への2件の返信

  1. 普通にお前がいうなですよね
    まぁ、誰言っても一緒に落ちぶれましょうってのは受け入れるもんじゃないと思いますが

    1. しかもその「一緒に」に自分は入ってないですからね。
      下の世代に対して貧しくなろうなんてよく言えるなと思います。
      上野氏の言う「貧しさ」に夢見がちなニュアンスが込められていたとしても、本人がそれを実践していない以上(だから夢見れるのだと思いますが)身勝手な提言と考えざるをえません。

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