原価厨にも二種類

原価厨という言葉がある。何かに付けて、原価を理由に高すぎると文句を言う人たちだ。典型的なものとして、レストランの料理に対して材料費はoo円なのにxx円も取るのは高い、などがある。つまり、間接的な経費、その中でも特に人件費というものをまったく考慮していない、あるいはできない人である。

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自分をタダと考える人

このように言うと、いかにも阿呆者のように思えるが、この感覚は案外誰でも持ち合わせているものではないか、とも思う。

たとえばうちの母などは、「どうしても自分で作ったら…って考えちゃう」と言って外食を敬遠する。果たして母は原価厨なのだろうか。

僕も似たようなことを考えるところがある。僕は技術者なので、なにかしらのプロダクトやサービスについて、「これ自分でやったらもっと安くできるな…」などと思うのだ。僕は原価厨だろうか。

そうかもしれない。少なくとも、そのように言われたとしても、仕方ないのかな、とは思う。なにしろ、仕事について適正なコストの判断をしていないのだから。人の仕事はタダじゃない。

ただ、そうだとしても、比較的罪のない原価厨だとも思う。なぜならば、ここで母や僕がタダと考えたのは、他ならぬ「自分の人件費」だからである。

まぁ、僕の場合は仕事も技術的なものなので、仕事のうえで自分の労働をタダと考えてしまうとまずいのだが、少なくともプライベートにおいて「自分でやったら…」と考えるのは僕の勝手である。やりたいならやればいい。やるのは自分だ。やってみたら、けっこう楽しいかもしれない。

他人をタダと考える人

一方で、自分では何もしない癖に、原価でしか考えない人たちというのが存在する。自分では料理をしないのに、外食は高いと文句だけ言うニートなどがそうだ。

そしてこれはニートに限らず、仕事をしていても、というか仕事をしていると多く遭遇する。

まぁさすがに、ニートのごとく何もしないのに、という人は仕事人である以上非常に稀だが、自分の仕事の領分については適正なコストの判断ができるのに、その領域を外れると、急に原価厨になる人はまぁまぁいる。これは単に想像力がない。自分の知らない仕事をしている人たちがいるということを考えられていない。だが、知らないだけとも言える。したがって、学習可能である。

最悪なのは、自分の仕事の対価についてはやたらと拘るのに、自分以外の人間すべての労働について無頓着な類だ。ただし、自分より上の立場の人間については、急に敏感になったりもする。この種の者がもし身の回りにいたら、程度次第ではサイコパスも疑ったほうがいい。

彼らに共通しているのは、「他人をタダだと考えている」ことだ。もっといえば、他人に人権があると思っていない。有り体に言って害悪である。こういう奴が社会に出てくると、社会はむしろ停滞する。ハッキリ言っていない方がマシだ。

しかし、他者を利用して当然のように振る舞う彼らは、うまく人を利用して数値を出し、上に行くパターンが往々にしてある。

この手の人間がマネージャーや経営者になるのは悲劇としか言いようがない。もし自分の上司になった場合は、自分自身の差し迫った危機と言える。

二種類の原価厨を見極める

原価厨的な振る舞いを、我々は無自覚にけっこうしている。だが、そこで無視しているものが、「当人の人件費」なのか「他人の人件費」なのかは、よくよく注視すべきだろう。

まぁ前者ならばいいということはないかもしれないが、少なくとも後者の傾向は明確に危ういと言える。もし後者の傾向が強いと自分自身思うのであれば、それは改めるべきだし、他者についてそのように感じられる人がいれば、その人には近づかないほうが良い。

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