あらゆる界隈には毒がある

[最終更新] 2022年8月20日

界隈とは地理的な意味を持った一般名詞だが、ネット上では「エンジニア界隈」など、ジャンルや業界に対して使われることが多い。物理的な距離が意味をなさないネットにおいて、趣味嗜好などのクラスタによる距離感が、現実の距離感を代替しているからだろうか。

あらゆる界隈に漂う毒気

界隈には傾向がある。現実でも、たとえば六本木界隈や麻布界隈と言われれば、ああねという感じだろう。そこにはある種の人たちが集まりやすい。人は界隈に意思を持って集まるし、またそこでの影響を受けやすい。

まぁとはいえ、生まれた時から六本木に住んでいる人などもいるわけで、そういう人にとって六本木界隈の傾向など知ったことではない。もちろん知らずしらず影響は受けているが、自らの自由意思でそこにいるわけではない。現実では、そういうことが起こりうる。

しかしながら、ネット上の界隈、すなわち特定の分野などにおける界隈は、ほぼ100%自分の意思でそこにいることになる。したがって、その濃密さは現実の界隈の比ではない。それが職業であれば、なにかと偶然に影響される現実との繋がりから、多少マイルドになるが、主義主張や趣味嗜好などで形成された界隈は、非常に濃い。

そういう濃い界隈の空気には、毒気がある。それは通常、人を害しかねないものだ。だがその毒に、そこにいる人は気づきづらい。環境に適応した深海魚のようなものだ。そこにいる限りはそれが普通なのである。

毒に気づく方法

その毒に気づく方法はシンプルだ。別の界隈にも住めばよい。物理的な界隈と異なり、属性的な界隈では、複数属することが可能である。異なる界隈に属すると、ある界隈の普通が別の界隈では通用しないことを肌身で感じ取ることができる。それが毒である。できれば全然違う界隈だと良い。内容が近いと、毒の種類も近いことが多く、気づきづらいからだ。

この時、住むことが重要である。外界にお出かけではいけない。それだと、水圧の変化に耐えられない深海魚となってしまい、外界を敵視しかねない。住んで別の界隈の毒に適応して初めて、毒の比較ができる。

しかし、この「別の界隈に住む」はシンプルだが実はけっこう難しい。住むには、少なくとも2つの必要条件がある。一つは客観的にその界隈に属していると見なされるような行動をある程度継続すること。もうひとつは、「自分はここに属している」と思えることだ。気持ちだけでは前者に欠け、行動してもフィールドワークをしている研究者のような気分では後者に欠ける。

一つの界隈に入れあげてしまうと、他の界隈がすべて嘘っぱちに見えてしまう。そして「ここにいる今の自分は本当の自分ではない」といったような意識になってしまい、客観的な行為はどうあれ、精神的にはゲストにしかなれない。こうなると、毒にまったく気づけ無いから、知らずしらずのうちに界隈の奥深くまで沈み込み、毒が体の中で充満するようになる。歩く毒虫みたいなものだから、いるだけで多くの人を傷つける。そしてその中には、自分自身も含まれている。

界隈の毒は人を動かす

人は社会的な動物である。人は人との繋がりを求めてやまない。あらゆる繋がりを完全に断ち切られると、人は不安定になり、何をするかわからない状態になる。無敵の人と呼ばれる人たちのいち形態だろう。

だから繋がりを求めることは当然であるし、特に孤独を感じるのであれば、積極的にやっていくべきことだと思う。そうして求めあった個人たちによって形成されるものが界隈だ。

したがって、界隈は悪いものでもなんでもない。本能の産物であり、生きていくために必要なものだ。しかし同時に、その身を蝕むものでもある。たとえどんなに居心地がよかったとしても……いやむしろ、居心地が良い時ほど気をつけなければならない。

界隈の毒は、常に自分の血を巡っている。それは時に人を動かす。人は扇動され、攻撃的な行動をする。場合によっては、人を殺すことさえ厭わない。毒が心を麻痺させる。

人間、時には戦わなくてはいけないこともあるだろう。だがそれは、あくまで自分の意思でありたい。もしも人を傷つける時は、返り討ちにあう覚悟を、よしんばうまくいったとしても、拭えない返り血を浴びる覚悟を持ちたい。

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