例の住民監査請求、驚くべきことに……いや当たり前なんだけれど、どうも真っ当な報告書が上がってきたらしい。驚くべきことなんて言ってはいけないんだが、正直、ちょっと驚いた。多分何も実のない、事なかれ主義で糊塗された植物の残骸を、この期に及んでも出してくるのだろうと思っていた。仕事している。
当たり前の仕事の当たり前の成果物
当たり前の仕事をした公務員の成果物は素直に喜ばしいが、ただ、プレッシャーもあったのかもしれない、とも思ったりする。
とのことなので、この数字を見ると彼らも普段は仕事してなかったんじゃないかなぁ。けっこう似たような請求もあったようだし……まぁ具体的なところがわからないのでなんとも言えないんだけど……。
ただ、今回は特殊ケース。もし監査が適当な対応した場合、彼は監査に対しても訴訟をしたんじゃなかろうか。しかもそれは、客観的に見てごもっともなことなのである。表立ってアシストの動きを見せる国会議員もいる。ここでもし忖度などすれば、よりたいへんなことになることは目に見えているし、しかもそれは社会正義にも職業倫理にも反する。
ただ真面目に当たり前の仕事をする、それが一番いい。そういう当たり前のことが当たり前に認識され、ようやくが当たり前が当たり前に実行されのかもしれない。
なにしろ、そういう当たり前が、この一ヶ月ついぞなかった。出てくるのは無理筋の恫喝、言いがかり、マスコミを使った糾弾、煙に巻こうとする議員、どこまでも他人事の議員、公約を守らない政党、のり弁を出して恥じない都……そんなものばかりだった。
NHK党の浜田議員とその秘書さんは意味のある行動を取っていた。今回の件にも影響力があったんじゃないだろうか。現職の国会議員に詰められる可能性は、大きなプレッシャーになっていたはず。議員として確かに仕事をしている。
他に仕事をしていた人たちがどれだけいたというのかようやく当たり前の仕事らしい仕事の成果物が上がってきて、むしろ安堵の気持ちがある。パワーバランスの結果かもしれないとしても、まだちゃんと仕事する人は残っている。
みんな本当は"ちゃんと"仕事がしたいはず
多くの人は、ちゃんと仕事したいのだと思う。仕事ってのはしんどいものだ。どうせしんどいことをするなら、意味のあることをやりたい。それはごく自然な感情じゃなかろうか。どこぞのお偉いさんに忖度したところで、明日の自分のお金が増えるわけじゃない。それをさせないのは、組織に問題がある。
もちろん組織の一員である以上、組織だけのせいにするわけにはいかないものの、現実問題端末の一構成員にできることなど限られている。そして仕事らしい仕事をすることにリスクを感じるならば、事なかれ主義に染まって右から左に流すだけの存在になってしまうこともあるかもしれない。言い訳でしかないが……まぁ人には生活があることも現実である。
つまり、多くの公務員も本当は意義ある仕事がしたいわけで、それは決して特定の政治家や団体、組織を忖度するための書類作りではないはずだ。公務員とは国民全体の奉仕者であり、僕はこれを美しい言葉だと思う。程度の差こそあれど、誇りを持っている人だってそれなりにいるだろう(と思いたい)。まぁそこまで強い職業意識がなくとも、どうせ仕事をするなら知りもしない権力者ではなく、国民のために働きたい、くらいはごく自然な感情としてあるんじゃなかろうか。
それができていないのだとすれば、そこには組織的な腐敗があるわけだが、なぜそうなったのかを考えた時、適切に評価されてこなかったからだと思う。
仕事していないのは誰だ?
僕自身のことを書こう。今回住民監査請求が出てきて、そういえば公民でそんなの習った気がするなぁと思っただけで、それが何なのかわかっていないし、また過去数年、ほぼすべての監査請求が棄却され、まして認められるにまで至ったものは一つもなかったことを知らなかった。知らないので、当然評価もしていない。多くの人もそうではないだろうか。結局は、僕ら市民の政治に対する無関心こそが、公務員の腐敗と怠慢を招いているのだろうか。
しかし、現実的に一市民がここまで把握するのは難しい。僕らには僕らの仕事がある。だいたい評価したところで、それをどう行政に伝えるというのか。仕事の評価は仕事の中でやるべきだろう。民間の会社がそうであるように。
こういう監視は、本来は立法の仕事だと思う。つまり議員だ。行政にちゃんと仕事しろよと圧かけるのは議員の仕事じゃあないか。行政に強いのは立法、そのはずだろう?
いや……かけていたのかな、「ちゃんと仕事するなよ」という圧を……。でないと、行政側は仕事しないことに対するメリットがない。本来の仕事をしていないのは、行政の人間が仕事したくないプーなのではなくて、そういうことが求められていたから、というほうが考えやすい……。行政は立法に弱いわけで。今回は国民の目があり、かつ立法側にも浜田議員のような存在もあるために、その圧がはねのけられたのか……?
いずれにせよ、やはり議員の問題になるのではなかろうか。そしてその議員を選んでいるのは我々国民であり市民。おおぉ……これが噂の、"国民の責任"というやつですかね、岸田総理。
仕事しよ…
うーん……まぁ原理原則的にはそうなるのかもしれないんだが。しかしそうなってしまうと、如何ともし難い。ふわっとしすぎている。だいたい、アメリカの選挙が日本より機能しているとも思えないし。国民性の問題ですね、以上!では何も進まない。
だめだな、いきなり大きなことを考えても仕方がない。一つひとつ解きほぐしていかないと。そして、自分の仕事を真っ当にやることだけは、必ず続けよう。
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