還暦の母が現在Ubuntuをメインマシンとして利用していることを、「還暦の母がLinuxマシンを使い始める」および「我が母、UbuntuがWindowsじゃないことに一ヶ月経って気づく!」で記事にしました。
あれからかれこれ三ヶ月、未だ完全に脱Windowsできているわけではないようですが、最近は閉じられたWindowsノートの蓋に、母の趣味であるキルトやらなんやらが乗っかっていることも多くなってきました。OSの移行は、時間をかけて、少しずつ。一つずつ壁を乗り越えて。
壁を一つずつ乗り越えていく
母がWindowsノートからデスクトップのUbuntuのLinuxマシンに乗り換えてもう三ヶ月になります。PCに関しては素人の母ですから、突然なにもかもを変えられるわけはなく、Linuxマシンをメインにしながらも、傍らにWindowsノートも置いている状況でした。一時期はほとんどデュアルディスプレイ状態であったようですが、最近はノートが閉じられていることも多く、そのうえに趣味のキルトやらなんやらが乗っかっている光景も見られるようになりました。
ここまで、色々な問題がありました。多くは私や姉が手を出さねばならないことで、やはり一人で移行するのは難しいのだろうなとも思います。具体的には、以下のような問題がありました。
- メニューバーなどの文字が小さい
- OSの問題というより、23インチフルHDが還暦の母には小さかったという問題。しかしメニューバーの文字サイズはOSに関わること。もちろん変更できるソフトはあるので難易度は低いが、母だけでは対応できなかったものと思う。
- Microsoft Officeが使えない
- 予想された問題。しかしMS Officeが使えないということに気づくまでに約一ヶ月かかっていた 笑。オフィスソフトにも色々あることが実感としてわかっていなかった模様。しかし対応を教えると(odfな拡張子を使う)、これは案外すぐに受け入れられた模様。MS Officeが使えないことはやや不満げだったが、MS Officeの値段を言うと「え、ならいいかな…」と。
- 家で使っているプリンタのドライバがメーカーから提供されていない
- 汎用ドライバはあるので使えないことはないが、色味などに若干問題あり。一応昔のUbuntu用のインストールスクリプトはメーカーから公開されていたものの、14.04では実行するとエラー。頑張れば対応可能かなとも思ったが、たいへんそうだし、またこのままでも特に問題ないとのことなので、汎用ドライバを使用する。
- メール
- 予想された問題。何故か姉の利用するレンタルサーバーのメールサーバーに相乗りして独自ドメインまで持っているので、サーバーの設定に姉の助力が必要だった。よくわからない人は、全員Gmailを使ってくれたらいいのになぁと思う。
ここまで解決して、今はもうほとんどの作業がLinuxデスクトップマシンで出来るようになったようで、最近はノートパソコンが置物の台座になっていることも多くなりました。

いつのまにか隅っこに追いやられたWindowsノート…ここまで長かった
ただまだ問題はあるらしく、今ぶち当たっている壁は、iPhoneで撮影した写真をブログに上げること、のようです。iPhoneで撮影した写真をそのままアメブロなどのブログサービスにあげると、Exif情報の反映の問題で、縦向きの画像が横向きになったりするという問題があります。
これについて、私の解決案はスクリーンショットによる再撮影(「iPhoneやiPodで撮影した写真がアメブロなどで横向きになる場合の対応」)で、実際私がこのサイトでやっていることでもあります。少ない手間で、画像の縮小、トリミング、Exif情報の削除が一気に出来る最適解だと私は考えているのですが、母にとっては必ずしもそうではない様子。ファイルが複製されていく感じが馴染めないのかな、と思います。ファイラの操作に習熟していないからでしょう。
より本質的には、Windowsでやっていたやり方(どうやら、編集ソフトでドットを打ち上書き保存すると、回転情報が消されるらしい…)から変えることに抵抗があるのだと思います。WindowsからLinuxに移行しようとする際、多くの人はここで引っかかるのでしょうか。今までと操作が違うということに対する抵抗。だとすると、PC初心者ほどLinuxに馴染みやすいかもしれません。なんだかちょっと皮肉です。
改めて覚えることの少ない母でも、三ヶ月かけて少しずつ新しい環境に移行していきました。ならば、たとえばWindows 95以来Windowsシリーズしか触ったことありませんよ!という人であれば、一年くらいかけるつもりで、じっくりと慌てず、1つずつ、新しいやり方に馴染み、移行していくのが良いのだろうと思います。
Linuxで困ること
ところで母にLinuxをすすめておきながら、私自身といえばMacの呪縛から逃れられずにいて、それはまだまだ続きそうです。最近はAMDのRyzenがいよいよ本物らしいなどという素敵な話題もあり、また自作熱も上がってきたような気もする今日この頃ですが、しかしそれでパフォーマンスの向上が見込めたとしても、私の場合メインにはできまいなと思います。
それはやはり周辺機器の問題であったり、使用しているサービスが正式に対応していなかったりという問題です。もちろん頑張ればなんとかなることも多いのですけれど、その頑張りがもはや面倒です。しかも頑張ったところで、公式の対応には及ぶべくもなく。ということで、私自身はLinuxをサブに使うことはあれど、メインとしては使わないでしょう。
変化に理由を求めるようになった
閑話ですが…学生時代ならば、頑張れたかもなと思います。今にして思うと、あの頃は意味のないことを今より随分積極的にやっていました。それが楽しかった。お金がなかったということもあります。けれど、今はお金より時間が惜しい。頑張ることそのものに喜びも見いだせなくなってきました。
大人になって、変化そのものを楽しむことが難しくなってきたように思います。明確なメリットがないと、環境を変えようと思えない。母にしても、私の提供するデスクトップマシンが高速で、大画面で、それがお金をかけずに使えるというメリットがあったからこそ、移行したわけで。
あれもやりたい、これもやりたい、でも自分が使える時間はそう多くはない、そういうことに気づき、またそれを肌で実感するようになるにつれて、変化に理由を求めるようになりました。それは当然のことだと思いますし、また合理的だとも思います。しかし、何か寂しい気持ちもあります。何か一つくらいは、理屈抜きに新しい風に吹かれようと思えることを見つけたいものです。閑話でした。
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