なんか例の岸田文雄の育休発言が未だに話題になっているらしい。人をイラつかせる才能を発揮しだしたな。

僕の育休発言についての意見はこの記事のとおりで、一言で言うと「そもそも国民の時間の使い方に政治家風情が口を出そうとするな」というスタンスである。しかしリスキリング支援は本質がそのようなものなので、そもそもその政策が余計なお世話だ、利権を増やすな、というスタンスでもある。
なので育休云々については議論の外としたが、育児を批判してはいけない風潮も危険ではという言説があり、それは確かにそうだなと思った。というのも、風を読む力に長けた政治家が、既にバラマキの言い訳として現実に採用し始めているからだ。それは結局増税となって国民の負担となる。そして名目とされた育児の支援にもならない。
ちょっと注視すべきかな、とは思った。
バラマキの言い訳にさせないように
育児のコストを社会がどう負担するのが良いかは、確かに難しく微妙な議論だ。社会は常に新しい人間を必要とするが、新しい人間の生後しばらくは確かに非常に経済的・人的コストがかかるから、これについて社会がある程度特別な扱いをするのは十分合理性があると思う。
問題はそれがどれだけならば適正かというで、何事も「ちょうどよい」という塩梅があり、それより少なすぎても多すぎても、全体として良いことにはならない。なんでもそうだが、過ぎればよくない。特に福祉はそうである。
個人的には、そもそも育休を取れる男性があまりいない、とれても1,2週間だったりする現状の日本の育児環境はあまり良いとは言えないと思うので、もう少し社会として支援の形を考えるのは良いと思う。
しかしながら、その手法が現金配布、つまりバラマキは非常に危うい。いかなる名目であっても、バラマキは絶対に歓迎すべきではない。バラマキの原資は税金であるから、増税の言い訳とされてしまう。しかも増税分には行政コストが含まれるので、そのまま返ってくるわけではない。1万円払って5000円戻ってくる事態も十分にありうる(それでも戻ってくる人はそれだけマシである)。政治家は増税のために育児という大義名分を利用するに過ぎない。しかもそれで人気が取れるなら素晴らしいの一言だ。
支援は対象者以外も含める全員にとって有り難いものを目指すべき
あらゆる支援は、エレベータの設置のようなものであるべきだと思う。足の悪い人にとってエレベータはとても便利なもので、バリアフリー化においては必須のものだ。しかし、エレベータは全員にとって良いものである。支援が必要な人を助けることで、その人だけではなく、社会の構成員みんなが利益を享受できる、できるだけそういう形にすることが望ましい。
育児のことで言えば、まず育休の取得について考えると、人がまとまった休みが必要になるのは育児のためだけではない。人間、生きていれば色々なことが起きる。そうした時に、本人が必要だと考える局面で、まとまった休みが取れるような体制を築くのは全員にとって良いことだろう。
経済的な支援が必要になるのも、育児のためだけではない。親ガチャSSRをひいていれば別だが、誰しも若い時分では経済的な苦労は相当しているはずだ。なんなら今でもしているだろう。
もっとも、こういった対策は非常に抜本的なもので、たいへんなものである。育休の取りやすい職場づくりには柔軟な雇用体制が必須であろうし、それには国民側の理解も必要になる。経済的な支援でいえば全員に対する減税措置が良いだろう。ベーシック・インカムないしそれに準じるものも考えられる。
まぁそんなことしている間に日本からは子供の声が消え去る可能性もあるので、当面の措置として育児休暇の拡充はアリであろう。
育児支援は社会の投資であり、投資はコストとリターンがある
しかし、それは社会からの特別な支援であるという自覚はあって然るべきだ。やってもらって当然のことではない。その原資を生み出している人のことについても考えなくてはならない。
社会の側も新しい人間は必要であるから、一定程度の支援をするのであって、子育ては無条件で素晴らしいから支援をするわけではない。社会にとって必要だと考えるから支援するのである。
だから、支援をしている側、すなわち納税したり休んだ人の穴を埋めている人たちが、「こうすることが社会にとって必要なのだ」と納得できていなければならない。もし納得できなければ、それは反発となって表れる。
つまり、育児支援は一種の投資である。だから、コストとリターンが見合わない、と感じられれれば、当然反発が生まれる。
コスト意識が高まれば、子供に対する見方も厳しくなるだろう。これだけコストかけてるんだ、ちゃんと育っているんだろうな?と。子供が大人になることそれ自体は必ずしも社会にとっての利益を意味しない。場合によっては損失になる。
まるで仕事の成果物であるかのように、人間ひとりひとりをいちいち社会に貢献しているかどうか問うのは、グロテスクだし、ディストピアだと思う。しかし「コスト意識」が高まると、そのような見方は生じる。
一部へのバラマキは分断しか生まない
そうならないためにも、エレベータの設置のように、できるだけ皆がその恩恵を享受できる形の対策が中長期的には絶対に必要だ。それは子供を対象にしたバラマキではなく、子育て関係なく誰もが余裕をもって働けるような社会の形成に他ならない。優先座席を作るのではなく満員電車をなくすのが社会として正しい方向だ。それは難しいことだが、その難しいことをするのが政治の「仕事」であろう。
などというべき論をつらつらと書き連ねてきたわけだが、そういう仕事ができる政治家に恵まれていれば、今の我が国の停滞はなかった。今後、安易なバラマキと増税の末に、何一つ解決しないまま、社会の分断だけますます深まるのではないかと、暗澹たる気持ちになっている。
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