エンジニアたるもの業務時間外に勉強するのは当たり前だよね論争

技術者の間には、エブリデイ技術やるのは当たり前だよね的な文化が醸成されている(と思う)が、他の多くの職種において、仕事の時間以外に仕事に関わることをやるというのは必ずしも一般的ではないらしい。実際、世界の中でも学ばない人の割合がダントツで多いというのはよく話題になっている。「【46.3%】日本人は本当に「職場でしか学ばない」国民なのだろうか:中村昭典の気ままな数値解析:オルタナティブ・ブログ」まぁこの辺の話は正直深堀りするとそうでもない結論が出るんじゃなかろうかと思っていたりはするんだが。

で、最近は当のエンジニア間でも論争になっているのを見かけることがある。そういえば、大学を出てからというもの、「プライベートは仕事でやらない技術に触れられる時間(真顔)」とか言う奴を鏡の前以外で見つけるのは難しかった。もちろん行くとこに行けば溢れているんだろうが、僕はそういう場にはいなかった(なので探したとも言える)。

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実力を上げるには学習が必要

今の会社は比較的勉強する人が多いと思うし、またそれが当然と受容されている文化もあると思う。だが、もちろん全員が全員そうではない。そしてそうでない人は、やはりそうでないなりの力にしからならない。ある程度教えるにしても、モノにしてもらうにはやはり自助努力が絶対に不可欠だ。

こういうと、業務時間外にまで学習を求めるのかみたいなことが言われることもあるようだ。しかし「やればやっただけ実力になり、実力が高ければ良い成果を出せるので、評価もされる」は単なる事実であって、そこに良いも悪いもない。テストで80点取るやつのほうが40点とるやつより評価されるのは当たり前だ。

時間に公私の色はない

実力を上げるためには、時間を使う必要がある。その時間はどこまでも時間であって、公私の区別などという社会的な取り決めは意味をなさない。業務時間にやったことだろうがプライベートの時間にやったことだろうが、同じことをすれば同じように寄与する

しかし、当然ながら業務時間は業務をやるべきであり、自分の実力を上げることに注力すべきではない。それと同じように、業務を目標としてプライベート時間に業務に関わる勉強をしろ、という強制があると、それは確かに面白くないし、あるべきではない。それは専門家の向上心を利用した搾取である。

この境界線は、けっこう太く曖昧だ。なので、論争になることは理解できる面もある。実際、高い評価を得ようとすると、どうしても微妙なラインを、なんならもうほぼ業務だよね、としかいえないようなラインにも踏み込む必要が出てくる。

一方で、明確に業務ではないと言える時間もある。たとえば僕にとってのサービス開発は、直接業務に関係しない。しかし、要素技術を見ていけば必ずしもそうではない。そしてソフトウェアという領域は汎用的な技術の領域が非常に大きい(というより、そうなるように先人たちによって発展されてきた)。また、表面的な要素技術は違っていても、通底しているものは確かにある。

したがって、技術的に関心のあることを日々やるだけで、それは直接的ではないにせよ、業務に生きてくる。そしてそういう下地があることを前提とした者が専門家であり、その中の技術領域の人間が技術者である。

ということで表題のアンサーだが、エンジニアたるもの業務時間外の勉強も当たり前だが、それは業務とは関係なく、自由で楽しいものでなくてはならない、と考えている。逆にいうと、その「自由で楽しい」自分だけの課題が見つからないなら、エンジニアとして評価を得るのは難しいと思う。

エロ画像を整理したくてプログラミングを始めた

そんなわけで、冒頭に戻るが「プライベートは仕事でやらない技術に触れるチャンス」なのであるし、そしてそれが楽しいのである。それが楽しいから、この道を選んだ。こういうと大層な感じがするが、別にそんな大それたものではない。

実際、僕がホビーでプログラミングを始めたのは、「溜まったエロ画像の整理をしたい」というものすごくしょうもない動機だったように思う。当時はC言語とbashしか知らなかったので、たしか最初はbashで書き始めた。まさかCではやってないはず。少なくとも現存するCのコードはない。で、そのうちに大流行のrubyがめっちゃ便利だと知ってrubyをやり始めた。今はやっていない。ごめんよ。

当時作ったスクリプトの中には今でも使っているものがある。ファイル整理はエロ画像以外でも使えるからね。それは「フォルダ内の画像ファイルをすべて連番にして振り直す」とかいうしょうもないものだったりするが、僕の日常の使い方と密接にリンクしているため、非常に勝手がよい。特にbash製スクリプトは一度ちゃんと動いたらほぼずっと使える。ruby製はいくつか死んだ。メンテの気力なし。ごめんよ。

エロ画像はどこに消えた?

これだけ見ても、bash製ファイル整理スクリプトは僕に多くのことを教えてくれたことがわかる。「専用の用途に向けた一品ものは、拙いコードでも役に立つ」「ただし、メンテナがいる限り」。もう少し具体化して、「bashのコードは腐りづらく、移植もしやすい」「機能は小さいほうが応用がきく」「パイプ最強伝説」なんてのも、良い学びだったと思う。これらは業務と連動して「学びだった」と気づけたことでもある。エロ画像ファイル整理スクリプトと僕の業務は、深いところで繋がっているのだ。

何よりも、エロ画像ファイル整理スクリプトはシンプルかつ超大切なことを僕に教えてくれた。それはバックアップの大切さだ。あの日見たエロ画像がどこに消えたのか僕達はまだ知らない。

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