切られゆく街路樹を守る方法は、税金の使途を市民が指定する仕組みだろう

維新市政下で切られゆく街の木 「伐採ありき」と住民が疑うわけ(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

なるほど。まぁでも、こうなるのは仕方がないことに思える。というのも、行政側に街路樹を管理するメリットがなく、その癖デメリットばかりがある。管理維持費用は目に見える確定したコストだし、何より事故発生時のリスクは最悪人命にまで至ってしまう。今は反対している住民も、台風などで一度倒木などがあれば、管理の不備を声高にあげるだろう。

そうは言っても、なんとかならないのか、と思う気持ちもある。

目次

現状では仕方がない

まず、現状では仕方のないことだと考えている。こうした街路樹にかかる明確なコストに対し、メリットは市・住民の双方とも見えづらい。景観がよくて気持ち良い……かもしれない、程度のものである。もちろん観光都市として景観を大事にするという考え方もあるが、それとて何らかの客観的かつ合理的な基準は必要であろうし、またその基準を遵守した場合、今よりさらに伐採が進む可能性もありそうだ。

寂しい気持ちもわかる。しかし寂しい気持ちは税金で優先的に管理する合理的な理由にはならないだろう。どこの自治体も財政は厳しい。リソースは有限であり、なにかをすることは別のなにかをしないことである。街路樹の管理費用でできることはたくさんある。街路樹がそういうすべてより優先して守るべきものだということは、客観的には難しいのではないか。

税金の使途を市民が指定するしかない

街路樹を守る方法は、抜本的には2つしかないのではないと思う。一つは、街路樹のメリットを客観的に定量化し、コストと比較してメリットが上回ることを提示すること。しかしこれは前述したように、客観的にはかなり難しいというか、不可能に思える。それこそ観光都市で街路樹が観光資源にでもなっていない限りは。

もうひとつは、市民が直接税金の使途を指定すること。今、税金の使途について市民の意思が反映される余地がないが、そうではなく、各々に「この税金はこれに使え」という意思表示をさせること(これは不正をなくすために透明化が必要だが)。こちらは理屈の上では可能だと思うが、政治的に難しいだろう。政治家や役人の権限を削ぎ落とす改革で、本当の意味で政治家の身を切る改革であるから、全力で反対するであろう。

したがって、どちらも難しいということになる。が、後者はあくまで人間の問題にすぎないので、やれないことはないはずだし、やれば街路樹を守ることもある程度可能だろう。

街路樹を守る合理的な理由はないだろうと言ったものの、こういう余白が実は大事なんじゃないかという気持ちは個人的にもある。ただそれは個人の想いに過ぎない。想いは蔑ろにしてよいと思わないが、誰かの想いは別の誰かの想いを蔑ろにする。街路樹を守る金でできたはずの別のなにかを優先してほしいという別の市民の想い蔑ろにする。

したがって、個の想いが市政に反映されるような仕組みが、どうしても必要だと思う。市民が払う税金のいくらかについて、市民自身が指定する仕組みを整えるのだ。それは技術的には可能なことだ。税金の使途が決められれば、払う方も今よりかは納得感をもって払えるというもの。

まぁでも……無理だろうなぁ……。

よって、街路樹は今後も切られ続ける。

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