新年あけましておめでとうございます。技術系の記事が多めで、一見さんが多いブログではありますが、時々見に来てくれている人もいらっしゃるようなので、年始くらいはご挨拶したいと思います。一見さんももちろん嬉しいお客さんですが、やはり一番嬉しいと思うのは、何度も来ていただけることですね。
このブログを始めたのは2012年の10月なので、今年で12年目となります。これだけ続けていると、良くも悪くも私という個人の変遷がなんらかの形で表現されるわけですが、まぁ当然のことながらブログから垣間見える表層は個人の一側面でしかありません。とは言うものの、一側面であるには違いなく、また表層に見えて案外深層だったのかもしれないと、昔の記事を読み返して思うこともあります。
個人サイトは個の発露
ブログ記事に含まれる情報はその記事だけで完結している(させている)ものですが、個人というフィルタを通して端々に滲み出る感性は連続的なものであり、その記事だけ読んで掴めるものではありません。まぁそういった感覚的なことを良しとしない向きもあるのですけれど、それは大きなニュースメディアのようなものに求められるもので、一方個人ブログというのはしがない個人の発信の場ですから、情報そのものではなく個の感性こそが基本となります。ですので、個人ブログは一見さんよりも常連さんのほうがより記事の内容を把握できるので、書き手としても常連さんのほうが嬉しいわけですね。
まぁ、実際にはメディアが取り扱わないようなニッチな情報というのも個人ブログの大きな役割の一つですから、そういった情報そのものを求めているという向きもあるやもしれません。特に技術系の記事にはその傾向があることは事実でしょう。いや、一見さんが多いという統計データを素直に解釈するならば、そちらが主たるユーザであると認めるべきなのかも。そうなのかな。
わかりませんけれど、少なくとも管理者がブログを続けるモチベーションは、ビジネスではない場合、情報ではなく個の発信が基本であることは間違いないことです。たとえそれが限りなく情報の形を取っていたとしても、それは個の発露です。そうでない場合、そのブログは続かないでしょう。人間はAIではないのです。
技術記事はAIに……できる?
AIといえば、最近は純粋に技術的な記事はAIに書かせて別館を作っております。これは2023年の大きな変化と言えましょう。
最初の間はちんけな記事しか書けんなぁなどと思っていましたが、コツを掴むと自分で書くよりよほど丁寧な記事を圧倒的な短時間で書き上げることができるようになりました。具体的には、自分でかけば数時間かかるだろう記事が、20分程度で書けるほどです。これは素晴らしい。
と書くと簡単そうですが、それがそうでもありません。これならみんなブログを書けるのでは?と一瞬は思ったりもしましたが、個人ブログの再流行はやはりないでしょう。前述のとおり技術革新のみならず個人の試行錯誤も必要であり、またいくら短くなったとはいえ0秒で書けるわけでもなく、そもそも「何故書くのか?」という本質に、多くの人は躓きます。なので、たとえAIを使ってもブログ記事を書けない人の方が多いと確信を持って言えます。
まぁ実際AIに聞けばなんでも答えてくれる中で何故AIにブログを書かせるのか?とはそれ自体が大きなテーマであり記事をいくつも書けてしまうわけですが、その記事はAIに書けない類の感性の塊であり、時間もかかるのでここでは割愛致します。なんでもAIというわけにはいきませぬ。
とはいえ情報が主体となる技術記事はかなりAIが得意とするところなので、AIによる記事執筆もどんどんやっていきたいところです。新しいことをやっていれば必ず新しい技術的な知見を得られるはずなので、AI記事ブログが盛り上がることは、新しいことに挑戦している自分の証明にもなるはず。
と言いつつ、最近ボチボチとやっているAWSのStep Functionsなどは、まだ熟れていないためか、ChatGPTがまるで役に立っていないという事実もあります。で、結局いつもの試行錯誤トライアンドエラーでなんとかかんとかやっており、そのような比較的新しい技術については結局私が書く羽目になるかもしれませんねぇ。まぁそういう人がいないと、AIも学習元がなくて困りますか。結局最後は人間なのか。めんどくさー。
2024年は転機の年にする
新しいことと申し上げましたが、2024年は私にとって後年振り返った時に「あの時が転機だった」と言える年にしたいと思っております。これは新年の抱負です。何をするかはある程度決まっていますが、そのために必要なことはまだわからないことが多いですし、何よりその先に何が待ち受けているのか、まったくわかりません。もしかしたら、後悔することになるのかも。
ただ、それでもやるべきだと強く感じています。特にここ2,3年、私はずっと難しい顔をしていたと自覚しています。自分はこんな顔でこんな声を出すのかと、薄ら寒くなることがありました。慢性的な不眠のために、睡眠薬をもらうようになりました。俺は薬に頼らないと満足に寝ることもできないのかと情けなくなります。いったい俺は何をしているのか。
曲がりなりにも生きてきました。失ったものもあります。積み上げられたものもあります。それは結果です。私は取捨選択したつもりですが、実際のところ大きな流れの前に小さな個たる私の徒手など空しく大した意味はありません。意味があるとすれば、その手を動かしたことそのものにあるのでしょう。だからこそ掴めたものもあります。流れには逆らえませんが、その中で何を得て何を失うのかは、ある程度個にも制御出来る部分があります。
特に重要なものは金です。金はいります。すべてを失えません。失わないように動きます。機会があれば得ようとします。最善を尽くします。それは多分、納得できます。納得できれば、僕は多分、笑えるんじゃないかな。大笑いというわけにはいかないかもしれませんが。まぁ、それもいいでしょう。何もうまくいかず、ここまで積み上げてきたものを放り出す結果になったとしても、馬鹿なことをしたもんだなぁと、笑える自分でありたいのです。
今年もよろしくお願い致します。
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