最近は教育無償化の政策をよく耳にする。教育無償化は耳心地が良いので議員も使いやすいのだろう。ただ当たり前だが世の中に無料のランチはないので、とどのつまり無償化とは「今この瞬間に自分が直接払うわけではない」を言い換えたものに過ぎない。つまり、問題はいつ誰が払うものなのかに帰結する。
得をするのかしないのか
これは立場によって異なる。生まれてこの方消費税以外の税金を納めたことがないという人であれば、支払われる教育費用に自分の出した分はあまり含まれていないだろう。しかし現役世代は生活保護になるか政治家になるかしない限り、税金を納めずに生活することはあまり現実的ではなく、多くの人は労働の対価として収入を得て、その収入から税金・保険料を納めている。そしてそれこそが教育無償化に必要な資本の出所であるのだから、無償化という言葉の響きとは裏腹に、実際はその金を過去現在そして未来の自分が払っているわけだ。
もちろん支払っている額に大小はある。多くの人は自分の稼ぎを少ないと考えているので、自分は得をする側だと思っているかもしれない。それは結果論で、そうなるかもしれないしそうならないかもしれない。一生大して稼ぐこともなく、それにも関わらず子供を5人も6人も持てば、得をする側にたったと言えるだろう。もちろん子育てにかかる費用は教育だけではないので、これはあくまでも教育無償化という文脈のみでの話だ。
現在の独身にとっては間違いなく負担増
未来がどうなるかは誰にもわからない。しかし現在のことはわかる。もし現在教育無償化の対象となる子供がいない場合、少なくとも現在の自分にとって教育無償化は純粋に負担が増える。これはその時点における紛れもない事実である。
もちろん、教育無償化によって子育てのコストが減り、それによって出生率が上がるのであれば、将来の生産人口につながるわけで、それは間接的に子供をもたない人にとっても利益になるという論はあるかもしれない。しかし一方で、教育無償化にかかる負担によって経済的負担が上がり、それによって結婚を諦めざるを得なかったり、先にも述べたとおり子育てのコストは教育費用のみではないから、結局子供を持つという選択には至らなかったり、ということも考えられる。
実際、出生率に影響があるのは婚姻率のほうだ。だが現代は結婚できない者が増えており、その理由として経済的な事情も大きいのが現状だ。「第2節 結婚と家族を取り巻く状況 | 内閣府男女共同参画局」によると、特に男性において結婚したくない理由について経済力は筆頭に上がっている。このような状況の中で、独身者も含めて更なる経済的負担を課すことは、少なくとも出生率の観点において良い影響があるとは考えづらい。そもそも経済的事情のために結婚や子供を諦めざるを得ない人たちからも金を徴収して、結婚して子供を作ることの出来る経済力を持った人に金を配ることが、果たして再分配として適正と言えるのかどうかも疑問が残る。
高等教育は社会にとってどれだけ必要なのか
しかしながら、多くの人たちにとって教育費用がバカにならないことは事実であり、そこに支援を求めたくなるのはそうだろう。大卒の肩書きがないと職業選択の幅が狭まることも現実である。なので、せめて我が子にだけは大卒にしたいと考えるのは無理のないことだし、そこに「無償化」という言葉を出されれば当然揺らぐであろう。政治家はまさにそこを突いている。
しかし教育費用だけが無償化されたところで、繰り返し述べているとおりそれ以外にも費用はかかる。結局のところ問題は教育の長期化とそれによるコスト増なのだが、果たしてそれに見合うものを大学で得られているのかは甚だ怪しい。
大卒でないと職業選択の幅が狭まるのは確かなのだが、それは大学で学ぶ知識が必要とされているからというより、厳しい大学受験をクリアし、またその後何事もなく大学卒業までいけたものは、能力も性格も統計的に悪くないと多くの企業が考えているからだ。いわゆるシグナリング効果というやつである。まぁ実際、4年か6年学術的なことを学んだうち、実務に繋がるところは多くはない。まして文系ならばなおのことであろう。
また、学生は学生で別に本気で学問を究めたいと思う者はあまりいない。むしろたいていの学生は勉強が嫌いである。それでも大学に行きたがるのは、これもやはり就職が理由に他ならない。
ということで、本質的ではないことに皆が一生懸命になって疲弊しているというのが本当のところと思われる。この状況で部分的な無償化をしたところで、社会は別に明るくならず、むしろ歪みが大きくなるだけだろう。皆が本当にほしいのは教育ではなく仕事だ。その仕事すら本質ではなく、実際は単に収入と社会的ステータスかもしれない。しかしそうは言えないので、言葉を綺麗に磨き上げた結果、残るのが教育というわけだが、それは本当に顧客が求めているものではない。
教育の短期化こそが真、だが
顧客の求めるもののために真に必要なことは、教育の無償化ではなく短期化である。義務教育を修めればちゃんとした仕事に就ける社会こそ素晴らしい。実際、今の義務教育は実はけっこう大したもので、しっかりと学べば中学レベルでも社会では十分だ。技術職においても高校レベルの物理数学でかなり対応できる。必要があれば必要な時に必要なだけ学べばよい。
そのうえで、本当に深く学び究めたいものは、社会人になってからいつでも大学の門戸を叩けるようにすればよい。大学も本来はそういった本気で学び研究したい人たちを受け入れられる場でなくてはいけないだろう。
これを実現する理屈自体はけっこう簡単だと思っている。共通テストで一定の点数が取れることを高卒資格の一つにすればよいだけだ。この時、数学を必須にする。数学のペーパーテストほど誤魔化しのきかないものはなく、これで物理的に相当数が絞られる。企業側でもこの結果を利用できれば、採用がずいぶんと楽になるであろう。
まぁ言ってはみたものの、これはけっこうグロテスクであるし、何よりも直接的に得する人がいないため、政治的に実現は困難であろう。したがって、今後も無意味な無償化のためにより負担が増し、社会の皆で首を絞め合い続けることになるのかもしれない。それとも、どこかで音を上げるのだろうか。
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