陰キャと陽キャ

陰キャ陽キャという言葉をネット上で見かけない日はない。この陰キャ陽キャという概念は学校の産物だと思うので、今なお学校を卒業できていない人が世の中には多いんだなと思う。

目次

学校の産物、陽キャ

多分最初に言葉として見たのは陰キャで、それと対立する概念として陽キャも言われるようになったという認識だが、陽キャのほうが概念としてわかりやすい。陰キャは多種多様であるのに対し、陽キャはどこか画一的だからだろうか(僕自身が陰キャだったからそう思うのかもしれないが)。

陽キャというのは端的に、学校という閉鎖空間でマウントを取るのがうまい者、というのが僕の見解である。そしてこの能力はけっこう応用がきくので、社会的な成功とも結びつきやすい傾向がある。

学校という閉鎖空間をもう少し抽象化して考えると、「同じ空間で呼吸する義務を背負った、特に目的のない集団」と言えると思う。実社会との対比を考えるうえで、ミソとなるのは「目的のない」というところだ。

目的というゲームチェンジ

社会におけるほとんどの組織は何かしら目的を持っている。利潤の追求、プロダクトの完成、円滑なサービスの提供などなど……。したがって、社会の人間としてもっとも重要なことは、組織の目的に貢献することである。これができないと大事にしてもらえないし、できれば大事にしてもらえる。

これは実は非常に大きなゲームチェンジなので、人間関係の序列に大きな変動が生じる

とはいえまぁ普通は組織に所属すればある程度の貢献はできるものだし、貢献さえしていれば、マウントを取る能力の高さは有利に働く。また、生活や仕事の一瞬一瞬を捉えれば無目的な瞬間というのはたくさんあるので、そういう場で瞬間的にマウントを取りやすいのも強い。その強みを貢献に活かすこともできる。

したがって、全体として学校の陽キャは成功しやすい傾向にあるが、ゲームチェンジに耐えられず落ちぶれる者も一定数いる。一方、逆に立場を逆転させる陰キャもいる。

序列の変化

この議論は、いつも僕に二人の姉を思い出させる。長姉は社会の中では不器用な陽キャで(本人に聞かれたらぶん殴られそう)、次姉は社会の中では器用な陰キャだった(やっぱりぶん殴られそう)。そのため(というと雑過ぎるけど本質的にそうだと思う)、学校を卒業してからパワーバランスに変化が生じて、それは姉妹の関係を拗らせた。母はそのことをとても悲しんでおり、二人と特に関係が悪くない(別に取り立ててよくもないんだが…)共通の弟である僕に橋渡しの役割を期待しているようなのだが、正直それはどんなプロジェクトよりも難しいよ、お母さん……。

本サイトはUXを悪くするevilなGoogle広告を消しました。応援してくださる方は おすすめガジェット を見ていってください!
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次