食洗機を使うと食器洗いをしない人でも食器を洗うようになる、かもしれない

また食洗機の話で恐縮なのだが、実際のところ僕にとって今年一番の買い物が食洗機だったのだから仕方がない。いや、まだ2019年の上半期を過ぎたところではあるけれど、下半期でこれを超える良い買い物ができる気がしない。それくらい食洗機は今や僕の生活にとってなくてはならないものになった。

食洗機のよいところは「食洗機を買うか悩んでいる人は、不要派の言葉に耳を傾けなくて良い – 或る阿呆の記」の記事で色々と書いたのだが、今はこういった各論は些末なことだと感じている。それより大事なことは、食洗機は食器洗いという家事そのものに対する心理的な抵抗感をなくすこと、だと思う。

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ランニングコストなんてどうでもいい話だし、時短になるかどうかも実は些末な話

よく食洗機に関する情報を調べているときに、手洗いの時と比べたランニングコストなんかを頑張って比較している記事があったりなんかして、それはけっこう興味深く面白い記事ではあるのだけれど、食洗機導入の是非を決める本質からはかけ離れているよな、と思う。

まぁ多分それは記事を書いている人もわかっていて、ただ食洗機に興味がない人をいかにして説得するかを考えたとき、経済的なメリットがある、あるいは少なくともデメリットがない、ということは必要条件なのかもしれず、そういう人たちのためには必要な記事なのかもしれない。

実際、食洗機は家庭そのものに対する影響力がある買い物なので、購入には全員の同意が必要だろう。多くの場合食洗機に関心を持つのは、家事自体があまり好きではない、少なくとも負担に感じている層なのだが、必ずしも家庭内において感覚を共有できているとは限らず、彼ら彼女らは頑張って周囲を説得するわけだ。

正直食洗機に(時間コストを考慮しない)経済的なメリットがあるかと言われると、かなり微妙だと思うんだが、少なくとも大きな損失があるわけではない、ということは示しておくに越したことはないだろう。反対する理由を探している相手に(そう、間違いなく探している)、わかりやすい反論材料を与えてはいけない。その意味で、ランニングコストの比較記事は有用だろう。

あと多いのは、食洗機は時短になる、という記事で、これはランニングコストに比べれば正しく、かつ多少本質的なところがあるが、しかしそれでもまだ遠い。だって、じゃあ忙しくなかったら手洗いするの?って話で、多分しない。いやまぁするしかないならするけど、極力したくない。間違いなくシンクに皿が山と積まれる。積まれた。

つまり、経済的であるとか、時短になるとか、そういったことは本質的ではない。そしてそれを、食洗機を欲する人たちは皆わかっているはずだ。俺たちは同志だ。

食器洗いなんてやりたくないから

食洗機を導入したい理由を一言で言うと、食器洗いなんてやりたくない、の一言に尽きる。まぁそこにはもちろん程度の問題はあって、できればやりたくない、忙しい時にはやりたくない、といったマイルドなものから、死んでもやりたくないたとえこの家が朽ち果て虫住まうゴミ屋敷になったとしても、という硬い決意まで色々だろうが、本質的なところで、なんらかの事由により食器洗いを忌避する気持ちがあることは共通している。

そしてこれが、食洗機必要派と不要派の溝でもある。食洗機不要派は、別に食器洗いをやりたくないとは思っていない。まぁ積極的にやりたいとも思っていないかもしれないが、少なくとも生活で必要なことなんだからやって当たり前、くらいの感覚ではあるだろう。別に積極的に寝たいわけじゃないけど寝なきゃ死ぬんだから寝るでしょ

でも僕は違う。僕は積極的に食器洗いをやりたくないのである。そして、程度の違いはあれど、食洗機必要派はこの切実なる気持ちを共有できる人たちだと思うし、食洗機不要派はこの気持ちにイマイチ共感できない人たちだと思う。

この感覚の違いは非常に根深くて、この感覚を共有するのに、少なくとも言葉では無理だと思う。まぁだからこそ、経済的なメリットや時短になることを訴える記事が多いのだろう(特に時短は、忙しいビジネスパーソンにとっては魅力的である)。

食洗機があったら食器洗いする、かもよ

まぁでも、本質的なところではやっぱり食器洗いなんてしたくない、が理由です。だって食洗機を愛用する多くの人たちは、たとえ大金持ちになって経済的心配がなくなり、悠々自適な時間富豪の生活を送れたとしても、やはり食洗機を使い続けるに違いないから。つまり、お金の話も時間の話も、本質ではない。本質は、なんで食器洗いなんてわざわざ自分でやらんといかんの、という気持ちでしかない。

したがって、食洗機不要派に対するもっとも誠実な説得とは、「僕は、私は、絶対に手洗いなんてしたくありません!やりたくないったらやりたくないんです!」という心情の吐露だと思うし、そして恐らく、いかに経済的、時間的メリットを論い説得を試みたとしても、その奥底にある真の理由を、多分なんとなく見抜かれてしまっている。食器洗いを仕事をするがごとく日常の営みと考える人たちにとっては、まるで学校に行きたくないと駄々をこねる子供のように見えるのではなかろうか。

しかし、手洗いなど人間にとって生きるため絶対に必要な営みではないし、義務でもない。極力やらずに済む手段が、21世紀の日本にはあるのである。それも、新卒の初任給の何分の一かで手が届く範囲に。

説得が必要ならば、とにかく無様を承知で必死さを伝え頼み込むしかないのではなかろうか。だってその気持ちこそが本質だから。しかし、一度導入して運用してしまえば、人は易きに流れるものだから、誰しもがその便利さに跪くだろう(まぁもちろん、そのためには運用のコツを抑える必要があるのだが…)。

まぁたとえ、「なんでこんなもん使うかね」という気持ちが変わらなかったとしても、これまでなっかなか食器洗いをしなかった人が、ちゃんと食器を洗うようになった、という生活の変化が、いつもキレイなシンク台という現実が、きっと認識を改めさせるだろうと思う。

紙皿最強伝説

……まぁでも食器洗いの工程がゼロになるわけでもないので、ここまでやってもなおほったらかしにする人はいるだろうし、正直その気持ちも僕はわかる。その場合、食器類をすべて捨てて、紙皿、紙コップ、飯は電子レンジでチン、という生活が一つのソリューションになると割と真面目に思うし、実際そのような生活をしている人も現代日本には案外いるだろう。食洗機の真のライバルは紙コップである。

ということで、「もはや私は家中の皿を紙皿に置き換えることも辞さない覚悟だ。今日からは毎日キャンプの気分を味わえる。しかしながら食洗機があればその限りではない」という捨て身のドア・イン・ザ・フェイスで同志諸君は周囲の説得に励み、世のため人のため食洗機普及に尽力してほしい。

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