ノートPCだけでいいのかもしれない

僕は青春をPCの進歩と共に過ごした。PCは常に僕にとって憧れだった。大学生になって初めて自分専用のPCを手に入れた時にはとても嬉しかったことを覚えている。

ただ、当時のノートPCはあまり高機能ではなく、いつかはデスクトップPCを手に入れようと思っていた。働き始めてようやく4コアのデスクトップマシンを手に入れた。

なので、僕にとってPCはやはりデスクトップでデンと構えていてほしいと思っているのだが、最近のMacBook Proなど見ると、正直もうノートだけでだいたい十分なんだろうな、という気もしている。

リモートワークでノートPCを使っている

ここしばらく、新型コロナの影響でリモートワークが続いている。最近はだいぶ収束を見せているようだが、まぁいつ第6波が来るかわからないし、たとえこなかったとしても、もはや会社がリモートワークを取りやめることはないだろう。もしそんなことをすれば、冗談抜きで退職者が続出するのではないかと思う。それくらい、リモートワークは一部には浸透している。

家ではもちろん会社支給のノートPCを利用している。MacBook Pro 2019で、M1以前のIntel系MBPだ。これは開発を生業にする身としては幸運だったろう。M1 Macの評価は高いが、やはりCPUがARM系ということで、いざやり始めると何かと躓くのが現状のようだ。それは2021年も終わろうとしている今も変わらない。熟れるにはあと1,2年は必要だろう。

MBPは良いノートPCだ。CPUも4コアだし。これは恐らく、IntelというよりはAMDのおかげだろう。Ryzenがなければ、Intelは未だに2コアだったんじゃないかとすら思う。まぁARM系がPC市場に食い込んできたことを思うと、そのうちには対応せざるを得なかっただろうが。

バリバリのアメリカ企業であるIntelでもこんな感じだから、なるほど競争というのは人間にとって有益なものなのだなぁと思う。まぁ30年ほど失われたらしい我が国で、その間国民の競争は熾烈を極めたことを思えば、競争すればよいというものでもないのだろうが。結局、どこに向かって走るのかが重要なのであって、明後日の方向に向かって走り出したところで目的地は遠くなるばかり……というのは今回の記事とは関係のない愚痴なのでこれくらいにしておく。。。

ノートPCと外部ディスプレイの組み合わせは便利

とにかく、自分は普段家で会社支給のMBP 2019を便利に使っている、ということだ。もちろんノートPCだけでは画面が小さいので開発なんてやってられないが、31.5インチの外部ディスプレイに繋げているので問題ない。会社のディスプレイは23インチであるから、むしろ会社より大画面かつ解像度も大きく効率が良い。

で、このノートPC + 外部ディスプレイというのは中々よい。作業にはプログラミングや調べ物ような「大画面が捗るもの」と、書き物のような「あんまり大きな画面でなくて良いもの」があるが、この構成ならばどちらにも対応できる。

まぁキーボードがノートPCのものになってしまうというきらいはあるものの、僕はMBPのペチペチしたキーボードが嫌いではない。まぁシザーキーボードのほうが良かったのは偽らざる本音ではあるものの。今のMacノートが羨ましいところの一つだ。

2013年以降のMacは、指紋認証以外まるでいいところがなかった。Mac Pro 2013が見た目通りのゴミ箱だったことは、Appleもデザインの大幅な変更という形で認めざるを得なかったし、Touch Barなどはその中に放り込みたいゴミでしかなかった。

この迷走は、ジョナサン・アイブを始めとするデザイン部の力が強くなりすぎたためだったのではなかろうか。近年のMacが再びよくなってきた……10年代のしょうもない改悪をやめただけなんだが……のも、ジョナサン・アイブがAppleを退職し、技術とデザインの力関係が再び均衡を取り戻したからではないか、と邪推している。

もはやデスクトップは不要なのか

とまぁ、近年再びかつてのバランスの良さを取り戻し始めたMacBook Pro、エントリーモデルとして魅力的なMacBook Airを見るにつけ、また実際それで仕事ができているということを鑑みるに、もはや僕にとってデスクトップPCはオーバースペックになってしまったのか、なんてことを考えてしまう。ノートPCで十分なのか。

いやむしろ、先に述べたとおり、ノートPCは小さな画面と大きな画面を使い分けられるという点でデスクトップPCより優れているとさえ思う。これはノートPCのコンパクトさがあってできることで、デスクトップPCだと同じことは中々できない(強いて言えば、iPad Pro 12.9インチでSidecarをすれば近いことはできるだろうが……)。

そうすると、僕の手元にあるMac mini 2018の次はもはやないのかもしれない。いかにMac miniがその性能に比して安いとはいえ、当たり前だが買わないよりは高い。ノートPCはどうせ買うのだし、それで十分なのであれば、もはやデスクトップPCを買う合理的な理由はない。

でもきっと

というのは理屈の話であって、結局僕はまたデスクトップPCを新調してしまう気がする。まぁオーバースペックだとしても性能は高いに越したことはないのだし、高性能なPCを使いこなせる自分でありたいという気持ちもある。

なんてそれらしいことを書いてみたが、恐らく、僕は単に、この動かぬ現代技術の結晶に、ただ鎮座していてほしいのだろう。これはPCと共に青春を歩んできた世代にはなんとなく気持ちがわかるという人もけっこういるんじゃないかなと思っている。そして多分、世代としては僕が最後の世代だろう。

PCは実用品だが、それ以上に浪漫なのだ。少なくとも、僕にとっては。

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