ビジョナリー・カンパニーシリーズの3巻がこんなにもネガティブなものだとは知らなかった。ってかビジネス書で第三巻って笑う。人気シリーズ。
衰退の五段階と見た時、5つも段階があるのかと思ったが、恐るべき事に、第三段階までは外見的には業績が好調であることを示している。まぁでも加速度が下がっていく過程を思えばそうかもしれない。
2の飛躍の法則がそれ単体でも読めたのに対し、この3冊目は前著までを読んでいることが前提となった本だ。前著までで「グレート」と礼賛してきた企業のいくつかが、その後没落したのは何故なのか?について触れている。
端的に言えば、基本理念を忘れ、弾み車を回す努力を怠るようになったので没落した、ということが本書にはひたすら書かれ続ける。たとえ話では、健康的な生活をしていたので健康だったものが、不健康な生活をし始めたので不健康になった、という話である。逆に言うと、今日健康的な生活をしているものが未来もそうであるかはわからないということでもある。
衰退の五段階
成功から生まれる傲慢
第一段階として傲慢になる、ということがあげられる。これは非常に想像しやすいことだろう。具体的にどのような態度になるかについて、下記のように書かれている。
ものを知っている人間は(略)ものを学ぶ人間と基本的に違っている。「ものを知っている人間」は二つの方法で会社を衰退への道に導きうる。第一に、具体的な慣行について独断的になりうる(「われわれはこれこれを行っているので成功していることがわかっている。疑問をもつ理由はない」)。A&Pが好例である。第二に、当初の成功をもたらした要因が通用しない事業に進出するか、通用しない規模にまで拡大して、拡張しすぎになりうる(「われわれはこれほどの成功を収めてきたのだから、大きな賭や、大幅な成長、興奮を呼ぶ新規事業への大飛躍が可能だ」)。
p.75
我々は何をして成功しているか知っている、という態度である。そこに何故はなく、また運を軽視している。
このような謙虚さのない態度は、著者が偉大な企業に必要とした第五水準のリーダーシップとはかけ離れた態度と言える。
第二段階: 規律なき拡大路線
この段階が示すものは、自己満足による停滞ではなくやり過ぎで破滅する、ということだ。
しかし、ここが意外な発見なのだが、今回、調査幸小とした企業は衰退していったとき、自己満足に陥っていたことを示す事実がほとんどないのだ。かつて無敵だった企業がどのように自己崩壊していくのかを説明するには、拡張しすぎの方がはるかに適切である。
p.88
我々は傲慢からくる「停滞」によって時代に追いつけなくなった起業が崩壊していうイメージをしばしば持っているが、著者の指摘では、むしろ逆に性急なイノベーションによって自分を支えきれなくなり崩壊していくようだ。実例として、デパートチェーンのゼイヤーを買収したエームズがあげられる。ライバルのウォルマートが地に足をつけて少しずつ拡大していったのに対し、ゼイヤーを買収したことで一気に都市部への進出を果たしたエームズは、一時的に売上を伸ばした者の、ものの数年でうまくいかなくなり、最終的に破産した。
著者はこれを規律なき拡大としている。具体的には、ハリネズミの概念を作る三つの円から外れた拡大を目指したものが規律なき拡大に当たるようだ。つまり、経済的原動力、世界で一番になれる、情熱をもって取り組める、これらのいずれかに反したものである。
成長への固執、大きさと偉大さの混同、などの表現がされている。
また、関連する言葉としては「パッカードの法則」というものを名付けている。
第二段階の現象のうちとくに打撃が大きいのが、「パッカードの法則」の無視である(この名称はHPの共同創業者、デービッド・パッカードに因んでつけたものであり、偉大な企業は機会が少なすぎて飢える可能性よりも、機会が多すぎて消化不良に苦しむ可能性の方が高いというパッカードの指摘に基づいている。
p.101
ここだけ見ると自転車操業の零細っぽい。大企業の零細化なのかもしれない。
第三段階: リスクと問題の否認
これも直感的に理解しやすいところだが、現状の数値を否定し、リスクを軽視することがあげられている。興味深いことに、本書ではこの第三段階の時、企業規模はもっとも膨らんでいる。まぁ端的に言えば、レバレッジをかけすぎた状態、と言えるのだろう。実例としては、モトローラの通信衛星、NASAのチャレンジャーの悲劇的な事故があげられている。
また、外部要因に責任を押しつける他責傾向や、そうかと思えば組織再編を繰り返すという内向きが特徴付けられる。外に責任を転嫁しながら、実際の対応は外ではなく内向き、村政治に明け暮れるとはどこかの島国のようだ。軽々幹部は日常業務から切り離されることも特徴とされる(p.139)。
第四段階: 一発逆転策の追求
ツケを払うステージ。いよいよ借金を返す時。ここで一発逆転の策に頼ると、決定的なダメージを被って最後の第五段階へ転落するようだ。一方で回復の可能性はまだ残されており、ゼロックス、ニューコア、IBM、TI、ピットニーボウズ、ノードストローム、ディズニー、ボーイング、HP、メルクを死地から回復した企業と上げている(p.194)。
特にIBMは、著者らが1巻で腐したガースナーが建て直したという事実について、真摯に分析されている。なされたことは劇的な転換ではなく、自分たちの存在意義を問い直し立ち返ることで、これは原点回帰とでも呼べそうなものであった。外から来たガースナーが、まるで生え抜きのようにそれを為すことができるとは著者らには想像できなかったであろう(日本の皇室の歴史においても、あまり正当な筋ではない人が、だからこそ天皇らしくあろうと努めたというようなのを昔どこかで読んだ記憶が……しかし覚えていない)。
第五段階: 屈服と凡庸な企業への転落か消滅
敗戦処理のステージ。買収されて名を失うか、名は残っているもののかつての栄光は見る影もない、というような状態になるか。諸行無常。本書においては、第五段階まで転落してしまうともはやどうにもならない感じだ、というより、このどうにもならない状態を第五段階としたのだろう。現実の企業においては、今が第四段階でもうすぐ第五段階ですよ、と誰かが教えてくれるわけではない。既に第五段階に入っているのかどうかは未来の歴史しか知らないわけだ。
いずれにせよ、この時代の経営者は必ず苦しい選択をすることになる。日本でいえば山一証券最後の社長はまさにコレだったのだろう。
所感: 企業の見え方が変わることは確か
全体的に言えることは努力をやめたアスリートがどうなるかという感じであった。一分野で一角の人物となったものが、より大きな栄誉を求めて転落していく人生劇場にも似ている。しかしそのように転落する企業もあれば、しない企業もある。持ち直した企業もある。
その違いはどこにあるかといえば、一つはやはり代表だった。派手なスターが派手にやらかしている間に、一方では地味な実力者が無私の人として会社を建て直している、という感じで、その様はなろう小説のようである。まぁでも確かに、日本でも名前がすぐに思い浮かぶような実業家というのは、どちらかというとやらかし気味で、今は過去の人になっているか、もしくは「この人がいる間はいいけどいなくなったら会社瓦解しそう」という人が多い。地味かつ真面目に、本当に必要なことをやり続けるのは目立たないが、一番大切なことなのだろう。
「衰退の五原則」という非常にネガティブなサブタイトルとは裏腹に、個人的にはむしろ1,2巻よりも好感だった。なんだかんだで読んでいて楽しく、考えさせられるところの多い本だと思う。実際、このシリーズを読む前と読んだ後で、企業に対する見方が変わったという実感がある。たとえば自分のツイートを見たり、ブログの記事を読んだりして思う。
たとえば、この前書いたAppleのiPadプレスの記事で、Appleはコアビジネスを忘れなければ悲観しなくてよいと思う、というよなことを書いたのだが、本書を読んだ影響を受けた記述のように思える。

あとはまぁ、今後もし自分で何かしら事業やサービスをやるようなことがあった時に、まぁ皮算用ではあるのだけれど、成功を収めたとして、その後転落の危機に陥るようなこともあるかもしれないと思うのだが、そういう余裕のない状態では勉強する暇もないので、今のうちにこういった書籍を読んで考えておくのは良いことだと思う。
ということで、本書はけっこうオススメなんだけれど、本巻については1,2巻のまとめ的なので、先にそちらを読んだほうがいい(まぁこの巻から読む人もあまりいないと思うが……)。
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