読書録: ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則

金持ち父さんの起業する前に読む本で、ビジョナリー・カンパニーを読むのを勧められていたので読んだ。金持ち父さんの本では2の飛躍の法則を薦められていたが、シリーズものは初代から見ないと気が済まないオタク気質なのでまず1巻を読んだでござる。

今回のテーマ: いなば食品はビジョナリー・カンパニーなのか???

目次

書かれていること

本書に書かれていることで、ポイントだと感じられた部分についてまとめていく。

ビジョナリー・カンパニーとは何か?

ビジョナリー・カンパニーとは何か、それは本書のテーマでもある。本書の出発点としては、3Mはまさにビジョナリー・カンパニーと呼ぶに相応しい、ということから始まったようだ。それは単に経済的に成功しているというだけではなく、ビジョンがあり、尊敬された企業だという。

で、本書では700社のCEOにアンケートをとってビジョナリー・カンパニーを選ぶことにしたようだ。さらに設立が1950年以前の企業を調査対象にしている。それだけ前に設立されたものならば、一人のカリスマ指導者による大成功ではないだろう、という考えからだ。結果、以下がビジョナリー・カンパニーの代表例として調査されることになった。あわせて、同時期のビジョナリー・カンパニーではない(しかし成功はしている)企業を比較対象として、その違いを明らかにしようとしている。これは「共通点ではなく違いを明確にするほうが良い」という考えからだ。結果として引き立て役で可哀想。

ビジョナリー・カンパニー引き立て役比較対象
3Mノートン
アメリカン・エキスプレスウェウズ・ファーゴ
ボーイングマクダネル・ダグラス
シティコープチェース・マンハッタン
フォードGM
GEウェスチングハウス
ヒューレット・パッカードテキサスインスツルメンツ
IBMバローズ
ジョンソンエンドジョンソンブリストル・マイヤーズ
マリオットハワード・ジョンソン
メルクファイザー
モトローラゼニス
ノードストロームメルビル
プロクター&ギャンブルコルゲート
フィリップ・モリスR・J・レイノルズ
ソニーケンウッド
ウォルマートエームズ
ウォルト・ディズニーコロンビア
比較対象企業はとんだとばっちりである

俺たちのソニーが唯一のアメリカ以外の企業として見事ランクイン。選出されたのがジャパンアズナンバーワンの残り香漂う1989年ということは大いにあるだろう。ケンウッドはとばっちりで可哀想。碌に資料くれなかったと愚痴ってあったが、いったいどう請求したのだろう。「おたくらもまぁまぁすごいと思うけど、同時期のソニーと比べるとパッとしない理由について分析したいから資料くれ」とはまさか言っていなかろうが。しかし主旨は伝えているだろうし、求められた側も乗り気じゃなかったんじゃないかね……。

しかしまぁ、2024年の今アンケートをとったら、顔ぶれはずいぶんと変わりそうだなとは思った。1975年設立のマイクロソフトは資格を得て入りそう。サティア・ナデラになって見事に復活したよな。ソニーは外れそう。。。依然としていい企業だとは思うけどね。。。

基本理念だけが不変

本書から読み取れる、ビジョナリー・カンパニーにおいてもっとも重要なことは何か、それは不変の基本理念になるだろう。

あらゆるものが変わらなければならない。その中でただひとつ、変えては鳴らないものがある。それが基本理念である。少なくともビジョナリー・カンパニーになりたいのであれば、基本理念だけは変えてはならない。

p.135

これは基本理念以外のすべては変えて良い、というより変えるべきもの、とも取れる。つまり、基本理念はその性質上保守的なものだが、その一方でそれ以外の部分について進歩を促すものでもあるわけだ。こういう相反するものを両取りするような考え方を、本書においては「ANDの才能」と表現しており、ビジョナリー・カンパニーに必要な考え方としている。

個人的には、基本理念が不変であることよりも、基本理念以外は変えられるという裏の意図のほうが実務的には役立つように思われた。何をやるべきかよりも、何をやってはいけないかばかり問われる日本人だからそう感じるのかもしれない。

BHAG Big Hairy Audacious Goals

本書によれば、ビジョナリー・カンパニーは時として社運を賭けた大胆な目標を掲げるとして、これに本書はわざわざ名前をつけている。BHAG(Big Hairy Audacious Goals)、和訳するとプロジェクトX(違)。

たとえばボーイングのジャンボ機開発などがあたるが、本書においてはフォードの車を全員が持てるようにするぞ!という中長期的な目標もBHAGとして扱っている。また、フォードが目標達成後は新たなBHAGをもたず、GMに抜かれたことをBHAGは社員を鼓舞するが、有効なのは達成されていない時だけだ、という注意喚起もしている(p.161のあたり)。日本の例だと、ソニーの東京通信工業からの社名変更の裏の意図「メード・イン・ジャパンを安かろう悪かろうから変えたい」をBHAGとしている。

すべての社員にとって良いわけではない

本書は、ビジョナリー・カンパニーの労働環境は万人向けではないことを指摘している。

先見性(ビジョナリー)とは、やさしさではなく、自由奔放を許すことでもなかった。事実はまったく逆であった。ビジョナリー・カンパニーは自分たちの性格、存在意義、達成すべきことをはっきりさせているので、自社の厳しい基準に合わない社員や合わせようとしない社員が働ける余地は少なくなる傾向がある。

p.203

また、以下の4点をカルトとの共通点として列挙している。

  • 理念への熱狂
  • 教化への努力
  • 同質性の追求
  • エリート主義

本書は、ビジョナリー・カンパニーをカルトではないがカルトのようだと評している。企業文化という言葉では生ぬるい、というわけだ。第6章まるまる使ってその傾向について記述されており、そこだけ見ると悪の組織の実態を思わせる。

ところでこの4点から理念を抜くと、典型的な日本企業になるのではないか。でもそれ一番抜いたらダメなやつー。

変革に外部の血は必要ない

これは本書が指摘する意外なことの一つだと思うが、大きな変革に外部の血は必要ない、むしろ愚行くらいのことを書いている。

GE、モトローラ、P&G、ボーイング、ノードストローム、3M、HPなどが繰り返し示しているように、ビジョナリー・カンパニーには、変革をもたらし、新しい考え型を取り入れるために経営者を社外から招く必要はまったくない。

p.308

本書はなんなら生え抜き至上主義くらいの意見を表明している。ただ外部の人間を入れてはいけないとは書いておらず、実際ディズニーのアイスナーを成功例としている。これはアイスナーがウォルト以上にウォルトだったと言われるようにディズニーの基本理念を深く信奉していたからだとしている。一方で、IBMがレイノルズからガースナーを迎え入れたことについては批判的である。

が、ガースナーについては、今日ではIBMを復活させた男として評価されているようだ。

ガースナーの“賭け”がなければIBMの復活はなかった | 超ロジカル思考 発想トレーニング | ダイヤモンド・オンライン

これは本書の主張に照らし合わせれば、ガースナーはIBMの基本理念を維持しながら変革をすることに成功した、ということになるだろう。

しかしこうなると、もはやこじつけにも思えてくる。本書が提唱しているのは基本理念の維持であり、生え抜きの経営者を育てることが良い方法だと著者らは考えているだけで、それが唯一の方法ではない、といえばその理屈はとおるかもしれないのだが、ガースナーの成功は本書の提唱に対して疑念を投げかける結果にも思える。

少なくとも、生え抜き経営者については本書が言うところの「自社ビル(成功した企業は自社ビルを持っている、のように、誰にでも当てはまるものを固有の共通点と勘違いした発見を指す, p.22)」なのではないだろうか、と、生え抜き経営者の失敗談が月まで届くくらい出版されている日本国の一員としては思うのであった。

まぁ本書はアメリカの経営者を対象にしたアンケートからビジョナリー・カンパニーを選出しているため、分析の対象となったのはソニー以外すべてアメリカ企業であり、文化的な偏りはあるものと思われる(その可能性はp.401の節で著者らも認めている)。

ビジョナリー・カンパニーを築くには適していない人

本書は、ビジョナリー・カンパニーを築くのは自分事であり、誰にでもできることだし、やるべきことだと主張している。そのうえで、ビジョナリー・カンパニーを築くのに適していない人については以下のように述べている。

ビジョナリー・カンパニーを築くには適していない人はいるのか

ほとんどいない。適していないと言えるのは、長期にわたってねばり強く仕事を進めていくのを望まない人、成功すれば自己満足して努力しなくなる人、基本理念を持たない人、自分が去ったあとの会社の姿に関心をもたない人だけだろう。

p.384

楽天の電波より高い人口カバー率の気がするが気のせいか

一瞬皮肉かと思ったわ。著者はスタンフォード大学の教授なんだよね。想定する人間のレベルがナチュラルに高すぎて笑う。でもこういう人が書いた本だっていうのは、本書の根底にあるバイアスとして心に留めておくべき。

いくつかの考え事

読みながら考えたことをつらつら。

基本理念はどのように作るのか?

本書を読むと、「そんでは基本理念をいっちょ作ってみるか」という気になるが、さてどうやって作るかな、とも思う。本書では、以下の定義が指針として役に立つであろうとしている。

基本理念 = 基本的価値観 + 目的

基本的価値観 = 組織にとって不可欠で不変の主義。いくつかの一般的な指導原理からなり、文化や経営手法と混同してはならず、利益の追求や目先の事情のために曲げてはならない。

目的 = 単なるカネ儲けを超えた会社の根本的な存在理由。地平線の上に永遠に輝き続ける道しるべとなる星であり、個々の目標や事業戦略と混同してはならない。

p.119

本書が取り上げたビジョナリーカンパニーの創業者たちはこんな虎の巻を見て作っていたわけではないだろうが、まぁ参考にはなるだろう。

基本的価値観は簡潔かつ明快で、3から6つくらいのごくわずかなものとされる。

そして自分で作られたものでなくてはならない。つまり、本書にあるビジョナリーカンパニーの理念を写してはいけない、ということだ。ははは。それは己から見つけるものであるとされる。

基本理念はいつ作るのか?

本書においては、ソニーの井深大がすぐに設立趣意書を作ったことなどの例外をあげつつも、たいてい設立から十年前後たったころと書いている。そのうえで、以下のように書いている。

この本を読む時間があるのだから、読書をしばらく中断して、いますぐ基本理念を書き上げるべきだ。

p.129

こんな分厚い本読んでるんだからある程度暇なんだろ?と。そのとおり。時間が無いとちょっと読めないよねこの本。

いなば食品はビジョナリー・カンパニーなのか?

本書ではたびたび"利益を超えた理想を掲げる"といった記述が出るのだが、そのたびに最近お騒がせのいなば食品を思い出す。

「約3万円低い賃金が提示され…」いなば食品“入社拒否”した女性が“給与3万円ダウン”の衝撃証言!《いなば食品側は「事実誤認」との見解を示すが…》

まぁいなば食品にも色々言いたいことはあるんだろうとは思うが、しかし結果として19人中16人(当初17人と言われていたが一人思いとどまったのだろうか?)もの一般職の新入社員が、恐らくは新卒カードを捨ててまで拒絶の意思を行動として示したのは、尋常なことではない。何かが根本的におかしくないとこのようなことにはなるまい。また、これを受けたいなば食品の対応も良いとは言えないものだ。

これだけ見るととんでも企業なのだが、企業概要を見ると、「あれ、これはもしかしてビジョナリー・カンパニーなのではないか?」という疑念が生じる。

会社概要 | 企業・業績情報 | いなば食品株式会社

設立は1948年。資本金は1億9500万とのことで、会社法上の大会社からは外れそうだが、従業員が5000名近くいるので一般的には大企業といって良いのでは無かろうか。ただし同族企業。

ごあいさつ | 企業・業績情報 | いなば食品株式会社

ごあいさつを見ると「独創と挑戦」が企業理念であるという。また、「社員と社員の家族を守る。」が経営の目的であるらしい。また、「世界の猫を喜ばす。」というスローガンもあり、これはけっこう好評を博していたようだ(それだけに、今回の報道にショックを受けていた人もXやヤフコメでは多く見受けられた)。これだけ見ると、本書の言うところのビジョナリー・カンパニーっぽいんだよな。シェアハウス自体もビジョナリー・カンパニーの特質を見るといかにもありそうだし。

でも実際に起きたことがコレだろ。少なくともこれから入社する社員に活力を与える状況にはなっていなかったようだが、総合職と一般職では待遇が違うという話もあり、ひょっとすると身分制みたいなものが同社にはあるのかもしれない。しかしそれは尊敬される態度ではないんだよな間違いなく。少なくとも、こんなことが起きた会社をビジョナリーだと評する人はいないだろう。

ソニーは今もビジョナリー・カンパニーか?

さて、本書の企業がピックアップされたのは1989年なのだが、同じやり方で2024年でもソニーはビジョナリー・カンパニーに選ばれただろうか?というとかなり疑問がある。恐らく選ばれなかっただろう、と日本人の身からしても思う。

まぁ2000年代以降のソニーは迷走してきたからなぁ。ストリンガーなんて、外部とは言わなくとも生え抜きとも言い難いキャリアだから、著者らからすればそれ見たことかといったところかもしれない。ガンスナーはIBMを復活させたと評されているようだが、検索ボックスにストリンガーを入れるとサジェストで「失敗」と出てきたからなぁ。市場の評価は手厳しい。

ただ、今でも日本が誇る素晴らしい企業だとは思うんだよな。個人的な見解だけれど、社員の待遇とか、さすがソニーだと思ったよ。社員のことを信頼していないと出来ない扱いをしていて、僕は羨ましく思ったものだ。給与も日本国内の水準ではかなり高い。ソニースピリットはまだ健在ではないだろうか。ソニー大復活の可能性は全然あると思うし、なんならNISAで株買ってもいいと思ってるよ(買ってない)。

GAFAMはビジョナリー・カンパニーになるか?

ビジョナリー・カンパニーの必要条件に時の流れに耐えたこと、つまり設立から50年以上でかつCEOが世代交代していることがあるため、GAFAはまだビジョナリー・カンパニーたり得ないが、Mであるところのマイクロソフトは1975年設立であるため、その資格を得たのではなかろうか。そして恐らく、これは選出されたように思う。

でもこれが10年前のバルマー時代だったらダメだったろうな。サティアナデラが見事に建て直した今だからそう思う。

先のソニーの例もあわせて、これは結局のところ、ビジョナリーと評されるかどうかはその時々の時勢で変わるということじゃなかろうかね……。まぁ、本書の提唱するビジョナリーは評価ではないのだが。

所感

実を言うと、僕は本書を読み進めながらしばしばウンザリした気分になった。しかし何故そうなるのか、そもそもこの気分にウンザリという言葉はあっているのか、名状しがたいものがある。そうだなぁ、違和感くらいがちょうどいい言葉かもしれないな。恐らく、著者らも不安に感じている第六章のカルト的なところが、僕の気に入らなかったのはあると思う。

少なくとも、ビジョナリー・カンパニーに僕は入れないと思ったし、入っても受け入れられず、幸せになれないように思えた。まぁ、そもそも僕のキャリアはグダグダなのであちらからお断りだろうが。ただ、全体として、「受け入れられなかった人たちはどこへ行くんだ?」という気持ちがあった。これは雇用の流動性が低い現代日本の国民だから思うのかもしれない。

ただ、重要だと思うこともあった。

  • 不変の基本理念、それ以外は千変万化
  • 理念は正しいかではなく信じられるか
  • 時を告げるより時を刻め
  • カリスマより仕組み
  • 苦労しろ

このあたりは僕自身も深く頷けるところだ。

個人的には、ビジョナリー・カンパニーという概念は20世紀に成功した企業の特質を言い当てたもの、だという風に感じられた。まぁ、本書で取り上げられた企業が規模の大きな大企業ばかりだからそう感じられるのかもしれない。ビジョナリーかどうかは規模の大小を問わないはずだが、しかし現実的に、あまり中小零細企業をビジョナリー・カンパニーとは言わないのでは無かろうか。結局のところ、輝かしい企業・組織を残すということ自体に、僕はあまり魅力を感じていないのかもしれない。

なんにしても、次は金持ち父さん推奨の2巻を読むよ。

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