親ガチャという言葉がタイムラインに時々現れるようになった。正直ケッタイな言葉だなと思ったが、現実の一側面であることは確かだ。なんとなく気になって調べてみると、あんまり親ガチャを本来の意味で使わっている人はいなくて、ほとんどは「世間で流行る親ガチャなる言葉について私が一言物申す」的なツイートばかりであった。この記事もその類だろう。本当にこの言葉が流行っているのかどうか、イマイチわからない。
親ガチャという言葉に込められた何か
しかしまぁ、これだけ多くの人が親ガチャという言葉について反応を示すということは、この言葉には人の心を揺り動かす何かしらが秘められているのはそうなのだろう。それはきっとその人の人生観、世界観の根本的なところに触れるもので、この言葉の解釈から、その人の人となりの一端を垣間見ることができるのだと思う。
様々な意見
「親ガチャ」めぐる論争に夏野氏「所得以上に資産の格差の是正を考えなければならない時期が来た」(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
この記事では、複数の視点による様々な意見が端的にまとめられているので、参考になる(学歴付きなの面白い)。この言葉に否定的な意見を出したのはフィギュアで有名な安藤美姫氏と元官僚の宇佐美氏であり、両者の意見は世間の一般的な見方にも符合するだろう。「両親に感謝」であり、まぁでもたいへんな人たちもいるかもだから、社会的な支援制度はいるよね、程度の話であり、そういえばなんか安藤美姫の発言は僕のタイムラインにも流れてきた気がする。
それに対して、お笑いジャーナリストという謎の肩書を持った東大卒・たかまつなな氏の反駁は非常に面白い。
その言葉によって心が救われる人がいたとしてもか
この問いは、真に迫ったところがある。他人事ではない、自分ごととして考えられなければ、こういう言葉は出てこない。さすが、東大卒でお笑いジャーナリストとかよくわからん肩書を背負っているだけあるなと思った。全然知らない人だったが、興味を惹かれた。
この問いに、彼らはなんと答えたのだろうか。Abema TVではちゃんと答えていたのだろうか。まぁでも、ピンと来てないだろうなぁ。
成功者にとっては自己否定的な言葉
まぁ、ピンと来るようだったら、ああいう意見は出ないと思うんだよな。昨日見た映画の感想みたいに他人事だなと思った。だったら何も言わなきゃいいのに、それでも何か言いたくなってしまうのは、この言葉に込められた自己を否定する要素に、直感的に感づいているからだろう。
安藤美姫氏にせよ宇佐美氏にせよ、その華々しい経歴からわかるように、彼らは社会的な成功者である。そしてその成功は誰のおかげかと問われれば、まぁ表向きは支えてくれたみんなのおかげとか言うかもしれないが、本当のところは自身の努力によると思っているはずだ。実際、彼らは血の滲むような努力をしたのだろうし、それは確かにたいへんなことで、素晴らしいことだ。そして彼らは成功した。
しかし、親ガチャという言葉は、そうした「努力」や「成功」自体が、そもそも運によるものである、ということが示唆される。これは自身の努力を肯定し、そのために成功したと考える者にとっては、自身の根幹を揺るがしかねない。そんなゆるゆるな言葉で、あの血の滲むような努力が否定されるようなことが、あってはならないというわけだ。
努力をした。そして成功した。これもまた、否定できないし、否定してはいけない、大事な現実の一側面である。逆に言えば、一側面でしかない。
現実は多様である。安藤美姫氏の言うところの「裕福ではない家庭」のうちで、フィギュアをやらせてもらえる家庭はどれくらいあるだろうか。
宇佐美氏の言うところの「それでは問題は解決しない」は事実かもしれないが、では今まさに苦しい人たちの心が救われることは無意味だろうか。宇佐美氏にとって「親ガチャ」は中長期的な取り組みが必要な、解決すべき社会問題かもしれないが、当人にとっては今現在のリアルなのだ。
もし親ガチャという言葉が、うまくいかない人間が努力をしない言い訳に過ぎないのであれば、同様の理屈で、親ガチャ批判はうまくいった人間が自己の力を過大評価するためのポジショントークに過ぎない。
自分なんてちっぽけなものだから
別にさ、自己否定的になることはないんだ。むしろ、自分のことはどんどん肯定していくべきだ。そして、それを支えてくれた周囲にも目を向けるべきだし、感謝したいと思う。
逆に、うまくいかないことがあれば、反省すべきことは反省すべきだけれど、周囲にも目を向けて、どうやっても自分にはどうにもならない、そういうこともあるってことがわかれば、現実は変わらなくても、自分の心は少しでも救われるところがあるんじゃないかな。それが無意味だとは、僕は思わない。
親だけじゃない。人生のあらゆるところで、自分以外の何かが常に作用している。ちっぽけな自分の力なんか、その大きな流れの前では塵芥に等しい。それはいいこともあれば、つらいこともそりゃあるよ。
生まれ持った遺伝子、時代、国、地域、環境、たまたま出会った人たち、色々なものがないまぜになって、今の自分がある。僕は人間の、自分の自由意志を信じているが、それは多くの偶然に支えられてできている。
明後日の父の誕生日、僕はウイスキーを贈る。母にも高級包丁をプレゼントする。僕は両親に感謝しているし、両親に感謝できる今の自分にさせてもらえたことには、有り難いと思っている。
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