兵庫県知事選が終わり、今は名古屋市長選が喧しいけれど、個人的な兵庫県知事選の所感を残しておきたい。僕は兵庫県民ではないけれど、兵庫県知事選はその影響力において全国レベルで、その経緯と結果には、日本中の人が驚いたと思う。
僕も非常に思うところがあるのだけれど、それを一言で言うとすれば、「僕はなぜ彼をおねだり知事だと思っていたのだろうか?」に尽きる。
出馬を聞いたときは「ようやるわ」と思った
失脚したさいとう知事が再選に向けて出馬を表明した時は、ようやるわと思った。無理やろと思った。何故ならば、彼はおねだり知事だからだ。
いやおねだりは本当はどうでもよくて、当時のさいとう知事に対する僕の認識を思い返すと、職員を自殺するほどに追い詰めたうえに、内部告発についても真摯に向き合わなかった人、というものだった。そのうえで、「おねだり知事」があまりにも語呂良く、小馬鹿にするのにちょうど良い言い回しだったので、僕の中で彼は「おねだり知事」というミームで固まったのである。
よく言われるパワハラについては微妙なところで、僕自身は過去そういう人と当たってきたので絶対に許せない気持ちはある一方、真剣になれば言動は強くなることも事実なので、そこは正直なんとも言えない、という判断だった。とはいえ、自殺するほどに追い詰めるのはいかなる事由があれどやはり認められるものではないし、自殺するまでパワハラしたなら、それは確かにおかしい……という漠然とした感じだ。特に内部告発、あるいはそれに準じた何かを握りつぶしたような経緯については、そのやり方に大いに疑義があった。
まぁでも、多分、僕と同じような認識だった人は多かったんじゃなかろうか。
不公平を自覚した
その後、SNS……というかXでは、さいとう知事を応援するハッシュタグなどが時折トレンドになっているのを見た。フォローしている人の中には、明確に支持を表明する者もいた。で、まぁどうやら色々な見方があるようだな、くらいのことは思ったのだけれど、それでも僕のおねだり知事というイメージが払拭されることはなかった。ハッシュタグで応援される怪しい政治家なんて腐るほどいる。いや、むしろ怪しいやつほどハッシュタグになっている。
どうも、これはちょっとよくわからないな?と思い始めたのは、選挙の後半くらいだったと思う。兵庫県はそもそも以前の大阪のように役人天国で改革派の知事は疎まれていたなど、色々な言説を見聞きする中で、確かに、さいとう知事の疑惑を決定づけるものはないよな、と思うようになった。そしてそれだけではなく、自殺の原因はもっと闇深いところにあるのではないか?とも思えた。
なんだかんだでよくまとまっているのは、あの立花孝志の演説だろう。
この人はほんまにこういう戦い方させると強いなぁ……。本当にNHK問題について真摯に取り組み続けていれば、国政でも支持されたろうに……。
まぁそれはいいんだけれど、この立花孝志の言っていることはとどのつまり、自殺の直接の原因はさいとう知事ではない、そしてそれを説明できる自殺者の不名誉な事実(不倫)がある、というものだ。
これを見て思ったことは、立花孝志の言うことをどこまで信じるかは別にしても、少なくともさいとう知事を自殺の原因と断定することはできない、それどころか逆に不当に追い詰められそうになっていた可能性まで考えられる、ということだった。
どれも断定できることではない。できることはないんだが、事実として、僕はその中で一つのケースを断定した、「おねだり知事」のシナリオを信じていた。これは明らかに不公平に思えた。結果的に、実は本当におねだり知事であった可能性はあるけれど、少なくともそれをあの時点において断定し信じ込むのは、不合理だ。何故僕はそう信じていたのだろう?
彼らは信じられないと信じられた
それは、報道されていた情報からそのように判断したからだ。では何故、そのような報道がされていたのだろうか?マスコミや関係者は、もっと多くの情報を持っていたはずだ。その中で、何か特定の、一つのシナリオに沿った報道を、意図的にしていたということだろうか?
この点で、僕は報道されていた情報にかなり不信感を持ったが、しかしまだ藪の中だな、という気持ちが強かった。
ぐらついていた僕の天秤をハッキリ片方に落としたのは、例の22人の市長連名の稲村氏支持表明である。
兵庫県知事選、市長会有志22人が異例の稲村氏支持表明 「誹謗中傷や誤解広がり懸念」緊急的な対応強調(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
これは本当に不気味だった。いったいなぜそんなことをするんだ?既得権益者として、組織票を背景にした権力と圧力で人を潰してきたという自白に見えた。未だになんであんなことをしたのかわからないが、あまりにも内向きの権力闘争ばかりしてきたので、普通の市民から見てどう見えるのかということが、もう本当にわからなかったんだろうと思う。そうだとすれば、これは必然だ。
必然として、さいとう知事を信じたというより、その反対陣営が信じられないことを信じられた。色々なことが不確定な中で、彼らの信じられない行動だけが確かな真実だった。
実際、SNSでは、「最後まで悩んでいたが、22人の稲村支持表明を見て、逆にさいとう知事を支持することを決めた」というコメントをしている県民の方がいた。僕は兵庫県民ではないけれど、気持ちは非常によくわかった。
ネットに期待すること
この選挙は、オールドメディアvsネットメディアだったという見方がある。オールドメディアだけ見ていればさいとう知事を支持できるはずはないが、ネットメディアに触れることで、さいとう知事を支持する人が増えたことを差している。
ほとんどゼロに近かった支持から逆転した兵庫県知事選は全国に衝撃を与えたようで、特にさいとう知事に批判的だった多くのメディアや、また稲村陣営と同じく組織票頼みの議員先生方が大いに慌てていた様子が見て取れ、やや痛快な想いがした。彼らがSNSを規制せよと言い始めたのは、まさにネットの力を本当に恐れ始めたからに他ならない。
ただそれはそれとして、僕自身、当初知事をおねだり知事として思っていなかったことは事実であるし、それについては反省することしきりである。しかし一方で、今でも何が事実でそうでないのか、また手続き面で本当に不備がなかったのかもわからない。さいとう知事を信じたというより、その反対陣営が信じられないことを信じられた、というほうが僕にとっては適切だし、またそういう人は多いだろう。
別に僕は、さいとう知事が正義とは思わない。というより、正義の人などいない。この世に正義などない。あるのはただ利害の一致と、極めて個人的な信条だけだ。しかし信条は見えない。表面的な利害だけが少し垣間見える。ネットメディアに期待できることがあるとすれば、見える利害を、少しばかり広くしてくれることだろう。だがその少しが重要だ。
僕には何も見えていないことを自覚し、その中で自分の信条に少しでも沿うものを慎重に選びたい。
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