英雄を作ってはいけない、が……

名医は患者が作る、とは大昔になだいなだの著書で読んだ記憶があるが、これは本当にそう思う。医者といっても結局は人間、現実的には名医というのは存在しえないと思う。しかし、名医というものがあってほしい、そんな名医が自分を見ているのだから、あるいはいざとなれば見てくれるから、大丈夫なんだと思いたい、そういう人間の弱さが、名医という幻を作るのだろう。

名医だけではない。あらゆるところで、人の弱さが絶対的な存在を作り上げる。その例の一つが、英雄だろう。

目次

英雄はどこから来てどこへ行くのか

英雄は、絶対的と思われていた悪しきをくじく。どうにもならない閉塞感を打破する。素晴らしい。しかし、そうして悪しきをくじいた英雄は、その後どこに行くのだろうか?

それは英雄次第である。

昔プレイしたドラクエ3の勇者は、魔王を倒した後、世界が平和になったことを確認し、宴が終わると姿を消した。当時子供だった僕は、どうにも納得いかなかったのだが、今ならわかる気がする。勇者は最後まで、勇者であることを全うしたのだと思う。勇者は、魔王と共に消えなければいけなかった。

なぜならば、平和の世においては魔王を倒した勇者こそが最大のリスクであり、脅威だからである。勇者とは魔王という深刻な障害に対応する緊急対応の超権力的なバッチ処理であり、システムが正常化したら、速やかに削除されなければならない。

しかし、バッチ処理のスクリプトならば、削除することは容易だが、人間はそうはいかない。英雄は人そのものである。人を消すことは容易ではない。

だから、自ら姿を消した。勇者がどうなったのかは色々な見方ができる。超常的な力で母親の元に帰ったとか、アレフガルドで静かに余生を送ったとか……。いずれにせよ、勇者は最後まで理想的な勇者であった。

したがって、ドラクエ3の勇者は真の英雄だったといえる。だが、現実の英雄はどうだろうか。それは、誰にもわからない。未来のことは伺い知れない。少なくとも、消えるわけにはいかないだろう。

勇者が次の魔王(しかも先代の魔王よりも強力)になる展開は、漫画やゲームではもはや陳腐すぎる展開だが、これは現実的に起こり得る。つまり、英雄に救われた世界は、英雄の次の選択に大きく左右されることになる。場合によっては、前の世界より悪くなるかもしれない。

したがって、英雄待望論は非常にリスキーであり、極力排除しなくてはならないものである。

英雄待望論の危険性

だが現実として、英雄待望論はある。何故ならば、腐敗した社会の中では、もはやあらゆる役割が機能不全を起こしており、一市民にはどうにもできないからだ。閉塞感を打破し、社会を正常化してくれる英雄を待ち望んでしまうのは、無理からぬことである。僕だってそんな人がいてくれたらと思う。

でも、それは危険なんだ。漫画やゲームの勇者は善人だが、現実の英雄にはそれを求められないと思う。現実においては、或る種のサイコパシーが、強さには必要なんじゃないだろうか。ギガデインを覚えられない現実の人間社会における強さとは、畢竟政治力だ。政治力とは、法律と人脈を使った喧嘩の強さだと思う。それが強い人間……少なくとも、あまり、優しそうには思えないね。実際、優しさは枷になるんじゃないかな……。

人は皆愚かであり、タガが外れれば何をするかわからない。まして強い力を持っていればなおさらだ。そこに歯止めをかけるのが、役割である。役割とはつまり、アクセス制御である。アクセス制御があれば、権限を超えたことはできない。暴走を防ぐことができる。

英雄は、そのアクセス制御がぶっ壊れた存在だ。英雄は役割ではなく、root権限を奪取した個人である。役割が機能不全となった社会のおいては、そういう存在も必要になるのかもしれない。確かにそれは希望である。だが、それでシステムが正常になったとして、その後は?

まだ間に合う、はず……だが……

いけない。英雄を作ってはいけない。英雄を作るのは英雄自身ではなく、我々市井の市民である。我々の弱さが、なんでもない個人を英雄という幻想に仕立て上げる。したがって、英雄が生まれるのは僕らの責任にほかならない。

そこまではわかる。だが、それで何ができるというんだ。現実として、僕らは腐敗に対抗できていない。

理屈としては、各々が役割を全うすれば、英雄など必要ない。各々が自身の職業に誇りをもち、職業的威信にかけて、やるべきことを粛々とやればよい。しかし、これは「一人ひとりがちゃんと考えれば戦争や貧困はなくなる」というようなものだろうな。意味がない。

人には生活がある。誰もが職を失う恐れや社会的信用の失墜、時には自分や身の回りの人生命の危機すら覚悟して、職務にあたれるわけではない。いや、むしろそれができる人は少数派だ。その弱さが突かれている。

日本の仕組みが完全に狂っているとは言わないが、狂いつつあるとは思われ、多くの腐敗を生み、そのために何人かの英雄モドキが生まれつつあるように感じる。モドキのうち、そのうち本当になってしまう可能性もある。そうして彼らが役目を果たした後、ドラクエ3の勇者のように、その役目を全うしてくれれば大助かりだが、そのような都合の良い期待を他者にすべきではないだろう。

だいたい、彼らとてなりたくて英雄になるわけでもない。そもそも腐敗していなければ、やるべきこともないんだから。フツーに生活するのが案外一番楽しいのは、誰だってそうなのだ。仕組みの中で腐敗を正せない我々市民に一義的な責任がある。

だが、僕は僕の仕事を全うするしかできない。それは続ける。手を動かし、目の前の仕事をこなすことはアイデンティティだ。忘れてはいけない。まだ、英雄に頼らずシステムの正常化はできると思う。しなくてはならない。しかし……どうやって……?民主主義の仕組みにおいては、選挙が、その役目を担うことになるはずなんだが……。

本サイトはUXを悪くするevilなGoogle広告を消しました。応援してくださる方は おすすめガジェット を見ていってください!
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次