ちょくちょくニュースになっていた家事代行の国家資格化だが、まさか本当に創設されるとは思ってなかった。
政府、家事支援に国家資格創設 利用促進で離職減目指す | NEWSjp
これほど筋が悪いのも珍しい。SNSが荒れに荒れているのもむべなるかな。SNSの荒れっぷりは下記リンクのリプライや引用ツイートより確認可能だ。
本件に関して言えば、皆の反応がそのとおりであろう。
家事ほど身内と他人でコストが変わるものも中々ない。たとえば隣の家同士でお互いの家の家事を交換するとなったら、家事の総量が増えることは容易に想像がつく。その癖、満足いくものにはならない。
これは信用と情報の問題のためだ。
まず信用については、記事中でも触れられているが、家というもっともプライベートな空間を任せるのに、第三者はあまりにも信用がなさすぎることだ。この国家資格はこの不信に対応するものという名目らしい。しかし不信の根本原因は第三者であることだ。少なくとも僕は金もらっても他人を家に入れたくない。資格の有無はまったくどうでもいい。僕が国家資格を取ったところで、僕を家にあげたいと思う人が増えるとは思えない。入ったところで、どこまでも権限の問題がつきまとう。
また記事では触れられてもいないが、根本的な問題として情報の問題がある。情報とは、その人が何を求めているかだ。これはその人の内側にあり、客観的な基準があるわけではない。しかし業務としてやる限り、基準は外側になる。そのため、やってほしいこととやってもらえることの間に摩擦が生じる。
この摩擦が一番低いのはもちろん一人暮らしだ。自分の裁量でやらなくていいことをやらず、やるべきところをやる。昼飯はカップ麺でもいいし、失敗した目玉焼きでもいい。同居人がいると、お互いの妥協点が異なるために、コストがやや上昇する。とはいえ、その基準が内側にあるという点では共通している。基準は内側にあるほうが、当然満足度は高まる。
そもそもの問題として、家事は本質的に経費だ。収入が増えるわけではない。経費をかけて家事を代行したところで、それ以上の稼ぎが出来るとは限らない。少なくとも稼ぎは減る。家事は稼ぎを減らしてまでやってほしいことではない。これはロボット掃除機や食洗機がなかなか普及しない理由と同じだ。
つまり家事代行とは、個人にとっては金をかけて信用できない他人に満足できない仕事をやってもらうことだし、全体にとっては本来しなくてよかった仕事の総量を増やすものだ。
本質的には介護も同じ事が言えて、それを事業としたために全員が苦しんでいるのだけれど、まぁこれについて言い始めると話が変わるので置いとくとして、しかし介護ですら苦しいのに、家事代行なんてうまくいくわけがない。
こんなことはいちいち言うのもバカバカしいことで、そのバカバカしいことを大真面目に政府が成長戦略の名目でやるのだから、日本はいよいよおしまいだなぁという気持ちになっている。
コメント