「言っていることではなく、やっていることがその人の正体」という至言がある。これはたしかにそのとおりなんだけれど、「やっていることのすべてが見えているわけではない」のが問題だ。
自分に監視カメラをつけて24時間配信でもしない限り、いやそれを実行したとしても、その人行動すべてが白日の下に晒されるわけじゃない。また、行動の結果はわかりやすいものばかりでもなくて、当人だけ見ていてもわからない行動はたくさんある。
つまり、「言っていることではなくやっていることがその人の正体だが、何をやっているかはわからない」という現実があって、その現実の中で僕らは対応しないといけない。
「やっていること」とは何か
「やっていることが何かはわからない」を端的に表す事件として、たとえば以下がある。
「PlayStation」担当のソニー幹部、小児性愛のおとり捜査動画に撮られ解雇 - CNET Japan
SIEの上級副社長が少年を買春していたというもので、これは当時めちゃくちゃ叩かれていた。その原因の一つは、行為そのものよりもまず、ソニーの性表現に関する規制が非常に厳しかったことへのプレイヤーの怨嗟があると思う。昨今はマルチプラットフォームで複数ハードに出す作品も多いが、Nintendo Switch版とPS版を比べた時のあからさまな表現の差異は、しばしばプレイヤーの間で話題になっている。
そんな性表現に厳しいソニーのお偉いさんが、実はリアルで少年買春してました、というわけだ。わかりやすく、欺瞞だね。綺麗事のお題目を並べ立てて性表現に厳しく臨む態度ではなく、裏でこっそりとPS5をダシにして少年買春に勤しんでいた姿こそ、SIE上級副社長の正体だったというわけだ。なんだよそれって話でさ。
さて、これは発覚したので正体見たりとなったが、発覚する前まではどうだっただろう。性表現に厳しく、LGBTやポリコレを推進する姿こそ、「やっていること」とされていたんじゃないかな。しかし、世間の目に見えていないだけで、実は裏ではそのときも「少年を買春していた」のである。
まぁこんな感じでさ、その人の「やっていること」を知るのは難しいんだよ。普通はわからない。だから、「やっていることが正体」はたしかにそのとおりなのだが、それを知ることは非常に難しいので、現実ではかなり使いづらいノウハウだと言える。
正体はどうでもいい
やっていることが当てにならないのだとすれば、いったいどうすればその人の正体がわかるのだろう。多分、それはどうにもならない、だと思う。
でもさ、その人の正体なんかどうでもいいじゃないか。たとえその人の正体が神でも悪魔でも、それ自体は自分に何の関係もない。その人はただその人だ。
それよりも、その人が及ぼした、あるいは及ぼすであろう影響を考えたほうが実りがあると思う。PSのゲームからパンチラを滅ぼしたとして、それが自分や社会にどのような影響を与えるか。PSからパンチラ消えることで、リアルの世界で何が起きるのか。
確かないえなさそうだが、少なくとも一つは言えることがある。それは、規制の形で自由を制限している、ということだ。これは解釈ではなくて、事実。別に規制自体が必ずしも悪いわけではない。人を殺す自由は制限してよいだろう。そこに合理性があれば、その規制は正当化される。
じゃ、R18ならともかくそうでないエロの規制は合理性があるのかどうか。これはまぁ人によっては「ある!」って言うんだろうけれど、僕なんかは現実に影響を及ぼすことが明確でない限り、規制の根拠にはならんと思う。少なくとも、その推進は少年買春の抑止力にはならなかったようだしね。
ということでこの場合、なんかよくわからん根拠で、他者の自由を制限した、ということを僕は本質と考える。力で他者を押さえつけるってことだな。なんだか大仰だけれど、
成果で考える
まぁつまり、なんか色々言ったけど、結局どういう成果を残したのかを、事実ベースで考えるといいと思うんだよ。自分とこの会社の経営者が口先では社員のことを考えているとか良いこと言っていたとして、それでなんか施策も実行していたとして、それでプロジェクトはうまくいった?給料は上がった?有給は取れた?仕事は楽になった?気分良く仕事できた?NOならそれがその経営者の本性だ。
この考え方は、単に能力不足で成果を出せない場合に、その人の本質を見誤ることになる。でもそれは仕方ない。他人からは見分けつかないんだから。だいたい、能力不足だろうがなんだろうが、結果を出せないならそれは同じことだしね。逆に言うと、能力的には確実に成果を出せるはずの仕事をなんらかの方法で振って、ちゃんと成果を出すかどうかを見る、という方法もあるだろうね。
自分自身のことで言えば、誰の目にもわかる成果を残すことが大事だと言える。成果はコミュニケーション方法の一つだ。目に見えてわかりやすい成果を出せば、他の人だって理解しやすいだろう。そうでなくても、技術者の成果ってわかりづらいものなんだし。
いやまったく、人に自分を信じてもらうのは苦労するし、また人を信じるのも難しい。多分、楽なのは人そのものを信じる必要のない状態にすることだろう。それがシステム化というやつだ。
とはいえ、現実的にシステム化までいったものはなかなか少ない。だからどこかで誰かを信じざるを得ないし、なんとか自分も信じてもらわないといけない。せめて、それは難しいことなのだということを忘れないようにしたい。
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