先日東京は大雪で、出前館は早々に営業を打ち切っていたらしい。まぁ悪天候の日は配達しづらいうえに注文は殺到するであろうし、実際見てみたら平気で3時間待ちなどの店があったから、なかなかたいへんだろうな。
それで、こういう日になるといつも目につくのが、Uber Eatsや出前館、ピザの配達などについて、Twitterで「配達員に配慮しろ」系のツイートである。曰く、悪天候の日に出前は非常識、なのだそうだ。
正直、よくわからない。
悪天候時に配達を頼んではいけない?
悪天候の日の配達員を気遣うことが悪いことだとは思わないが、「デリバリのサービスを使うなんて」と非難がましく言うのは、まったく理解できない。配達してよいかどうかは客が決めることではなく、店が決めることだからだ。店が営業できると思うならば、リソースに応じた営業をすればよい。無理だと判断したならば、営業を停止すればよい。
判断が遅れて注文の取り消しに至ると、クレカ決済などされている場合それなりに手間そうはかかると思うが、できないことではないだろうし、そこはまぁすべき判断をしなかったということで、多少かかっても仕方あるまい。
配達員の安全を考えて注文取り消しにさせていただきました、は非常に合理的だし、恐らくサービスの規約でもそれくらいはできるように定められているのではないか。
つまり、客側は店側の都合など考える必要がない。妙に気を利かせて、使ってはいけないなんて喧伝するのは、なんなら営業妨害ですらあると思う。悪天候で客がいない日に、デリバリーだけでもやって商売したいと考える店はあろうし、それは典型的な歩合制の配達員にとっても同様である。
客と店は対等
にも関わらず、なぜ「配慮」を考えてしまうのか。
このような考え方の根っこに、客 > 店 という上下関係はないだろうか。客のほうが上だから、「店が営業を停止する、注文を断る」という発想に思い至らない。考えたとしても、どこか悪いことのように考えてしまう。こう感じるのであれば、確かに客側に配慮しろ、という言葉も出てくるかもしれない。
もちろんそれは誤りである。客と店は対等である。
各々に裁量がある……はず
あるいは、上に逆らえない末端の従業員の悲哀に思いを馳せてしまうのかもしれない。現場が無理だと思っても、商売したい上が無理を通して現場に無茶を強要する、たしかによくある話だ。
これは、理屈の上では現場の各々に裁量があるはずだから問題ない、はずだが、空気の支配する我が国においては、そうもいかない現実がある、のかもしれない。
だがこれもやはり、客側が考えることではないと言わざるを得ない。サービス提供側の問題である。
ドライな関係
ということで、悪天候時の注文の是非なんて、少なくとも客側が心配することでもないしするべきでもない、というのが僕としての論理的に揺るぎない結論である。現実的にも、問題が起きれば店側で然るべき決断がなされていると思うし(今回の出前館のように)、そうでなければ社会問題化する。まぁ、実際Uber Eatsは何かとお騒がせしているしね。
が、しかし、恐らくここまでのことについて「何を言っているの?」という人もいるだろうな、と思った。「心配にならないの?」と、本当にただそれだけの人はいるだろう。
多分、サービスに対する距離感なんだろうな。
BtoCのサービスにおける、サービスと客の関係は本来的にドライなものだと思う。サービスと金銭を交換するだけの、互いに割り切った関係だ。だから、会社で取引先の昼休みに電話をかけるのを遠慮する、はあっていいかもしれないが、それと同じような気遣いを金銭の授受を伴う宅配サービスにする必要はない。まぁ、悪天の中頑張って仕事している配達員に感謝と労いの言葉をかける程度じゃなかろうか。
と思うものの、全国チェーンのファミレスなんかは相当ドライだとしても、田舎の個人経営の飲食店なんかは、それなりにウェットな付き合いもあるだろう。100%ドライも100%ウェットもないものだ。
そしてその加減は個々人で微妙に異なるわけで、全体として、日本ではBtoCサービスにあってもウェット寄りの感覚を持っている人が多いのだろうな、という風に感じる。
ドライ化は進む
しかし、今後は関係のドライ化は進んでいくだろうな。独り身も増えているし。たくさんの独り身を支えるサービスとの関係は、ドライにならざるを得ない。資本主義、自由主義、個人主義、その行き着く先は金とサービスの薄い繋がりである。
それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。ただ金とサービスの薄い繋がりは確かに便利なものであり、また僕のような独り身にとっては、生命線ですらある。
少なくとも、この流れは止まらないということは言える。そうであることが、求められている。
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