与太話。
こんなまとめが流れてきた。
PTAで「パソコン使えないですスマホなら」というママの多さに戸惑う人に対して「これ逆で、パソコン使える世代ってほとんど30代後半~40代だけ」という声 - Togetter
記事にもあるように30代後半からは若干言い過ぎのような気はするし、同世代でもみんながPC使えていたわけでもないので、結局のところ何も言われずにPC使う民はいつの時代も少数派ということなのではないかと思ったが、とはいえ「PCを使わなくてもできること」は確かに増えているので、その分必要に迫られて使っていたに過ぎない人たちは一部使わなくなっているのかもしれない。
北斗の拳のタイピングゲームが娯楽の小学生だった
90年代後半くらいの昔のことを思い出して見ると、家にPCがあっても必ずしもインターネットに繋がっていなかった。繋がっていてもテレホタイムなどの制約下で、jpegすらまともに表示されない(大きな画像を貼らないことがネチケットなどと言われていた)限られた帯域で、ゆうすけのホームページにようこそされながら掲示場やチャットなどといった限定的なコミュニケーションをできたに過ぎないわけで、別にあの時代だから特別PCをする理由があったわけではないように思う。たとえば今スマホで十分と言っている人たちが、あの時代に生まれていたらHTMLを手打ちで作ってキリ番報告していたかというと甚だ怪しい。
まぁとはいえ、今と比べると娯楽の少なかったあの時代に、たとえインターネットに繋がっておらずとも、家にPCがあったことは、少なくとも僕には大きな影響を与えた。実際、小学生の時家にあったWindows 95のPCはネットなしで大したアプリが入っていたわけではないものの、それでも僕には良いおもちゃだった(もちろん家族共用)。覚えているのは一太郎とマインスイーパ、そして北斗の拳のタイピングゲーム。なぜ北斗の拳のタイピングゲームが入っていたのかは本当にわからない。ビデオカードがしょぼかったのか発色がめちゃくちゃで、グラフィックはサーモグラフィー状態だった。
しかし、インターネットのない世界の娯楽に飢えた小学生にとって、そんなゲームもゲームには違いなかった。そしてプレステとPCは別腹という謎理論から、ゲームの時間とは別にPCを多少ならいじっていても良いだろうという理屈を導きだし、マインスイーパにも飽きてきた頃、北斗の拳のタイピングゲームをひたすらやっていた。僕は北斗の拳を読んだことはなかったが、名前くらいは知っていたし、そもそもストーリーなどどうでもよかった。顔色の悪いデブとともに「しょちゅうみまい」などの表示される文字列さえ視認できればそれでよかった。「しょちゅうみまい」と打ち込めば、スピーカーから「あたたたたたた」と奇声が流れ、肌色の悪いデブが死ぬ。それだけわかれば十分だった。これが小学生の僕の娯楽だった。
僕はボスを倒すためにブラインドタッチを習得した。確か最終的にサザンクロスまでは進むことはできたのと思う。たしか、シンに勝てずに止まった……と思う、多分。そしてその次がラストだったはずで、恐らくラオウがいたのではないかと思うが、その面すら拝むことはなかった。まぁ記憶なので曖昧だし、正直どうでもいい。本当にどうでもいい。今なら全クリできると思うが、特にしたいとは思わない。
あのゲームが名作だったのかクソゲーだったのかはわからないが、いずれにせよ、普通に考えて子供が夢中になるようなゲームではなかった。実際、たとえ僕と同様にあの時代のあの時期に生まれた小学生を並べても、夢中になって「しょちゅうみまい」と打ち込むためにブラインドタッチまで覚える子は少数派であろうとも思う。とどのつまり、僕にはPCオタクになる素養があったのだと言える。恐らく、僕は今の時代の子供だったとしても、PCを欲しがったものと思う。
制約が夢中にさせた
一方で、僕があのゲームに夢中になったこと自体は、他に娯楽がないという制約条件下であったためということも否定できない。もし今のようにソシャゲが出来たら、そちらに夢中になっていたかもしれない。少なくとも、しょちゅうみまいと素早くうちこんで気色の悪いデブを打ち倒すことが最高の娯楽であった可能性は著しく低い。すると、果たして僕はブラインドタッチを小学生時分で覚えられたかどうかもわからない、ということになるが、案外SNSでレスバするために覚えたかもしれないし、それはわからない。何かしらのために覚えたような気はする。
まぁ何を言いたいかといえば、「制約」が人に苦労を惜しまなくさせる側面は確かにある、ということだ。僕の場合は北斗の拳のタイピングゲームであったが、人によっては創作した作品を公開するためにHTMLを覚えたであろうし、音楽のためにサウンドカードや周辺機器の知識をつけたであろう。今ならばスマホ一台で完結することでも、あの時代にはPCのみならずその周辺となる知識が多く必要であった。
そんなに違うかねぇ
なので、確かに「あの時代だからPCを使った」という層も一定数いただろう。その層が大きかったのか小さかったのかは、よくわからない。iTunesにiPodを繋いで音楽を取り込んだり、SkypeでチャットするためだけにPCを使っていた、という人は、今はもうPCを使っていないかもしれない。そう考えるとそれなりにいたかもしれない。
PC自体の普及率は8割を超えているらしい。
パソコンの普及率の長期推移をさぐる(2022年公開版)(不破雷蔵) - エキスパート - Yahoo!ニュース
しかし使っていない人もそれなりにいる。
10代の35.5%は「自宅にパソコンはあるけど使っていない」(不破雷蔵) - エキスパート - Yahoo!ニュース
この35.5%のうち、昔であれば使った層はそれなりにいたかもしれない。ただそうした層がPCでやっていたことなど大したことではなかったと思うし、そうした層が離れたところで実務上はさして影響もないような気はするが、そうでもないのだろうか。まぁ実際、メールやオフィスソフトくらいは扱えます、と「マウスってなんですか?」の差は案外大きいのかもしれない。
しかし最近高校生になった甥を見ていると、中学校でChromebookを配布されていたようだし、義務教育で使っている以上、さすがにクリックって何?レベルの人はいない気がする。メールアドレスはなんだかんだでサービスのアカウント登録上必須だったりするし、受信のためgmailくらいは使ってるんじゃないか。まぁ送信は苦手かもしれないし、ましてメールクライアントでSenderを変えろと言われたらキョトンとする人は多いと思う。というかこれはヘタすると最近のエンジニアもできなかったりする(良いとこのエンジニアはメール使わない族もいる……)。
何を言いたいかと言うと、PCの需要はたしかにここ十数年で変わっているし、プライベートでどれくらいPCを使っているかは傾向の変化があるかもしれないものの、実務レベルでは今も昔も必要があればしっかりやっているはずだし、世代による本質的な差は大きくないのではないかなぁ……と思っているものの、実際のところはどうなんだろうね。
まぁPCの普及率が9割を超えないのは悲しいし、せっかくあるのに使っていない人がいることも寂しい。すべての家に自宅サーバが設置される未来が来てほしいと思う。こない。
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