河川氾濫ではなくSNSが監視される2025年の明日はどっちだ

興味深い記事が出ていた。

河川氾濫投稿は「フェイク」→実は「実際に発生」 福岡市長が陳謝「本当に情けなく、恥ずかしい限り」 - ライブドアニュース

福岡市長が謝罪 一般人SNS投稿の河川氾濫動画「虚偽」指摘→実は真実だった「恥ずかしい」  - 社会 : 日刊スポーツ

元ネタ(?)はこれになるのか。

お詫びと訂正 | 福岡市長 高島宗一郎オフィシャルブログ Powered by Ameba

記事によると、河川氾濫しているというSNS投稿について、福岡市長がフェイクニュースだといっていたが、ただの真実であったことが後に判明した、とのことだった。

目次

誤報の誤報のその経緯

このニュースをSNSで見た時に、僕が頭の中に思い浮かんだことを140文字の字数内でそのまんま垂れ流したのが以下のツイートだ。

これは酷いなぁ

フェイク対策という名目で統制する危険性を示唆する事案やね

市民が権力者から一方的に強く不当に非難されたという事実は、フェイクへの警戒程度の理由で免責されんやろ

経緯を見ても瑕疵があったように見えるし

一応まだ謝罪に至る状態だけど、今後どうなることやら

まぁそうなんだけど、見返してなんだか左派の集会みたいだなぁ(出たこと無いけど)と自分で思った。僕のツイートは記事表題「河川氾濫ではなくSNSが監視される2025年の明日はどっちだ」のようなふわっとしたジョークになるか、そうでなければ、なんだかやけに厳めしい左派地味た言葉遣いになりがちな傾向がある。

恐らく、本来ブログ記事なら2000文字とか3000文字でつらつら書くことについて、140文字に無理矢理圧縮するために、濃縮還元みたいになってしまうのだろう。僕の本来的な感性自体は、多分表題のようなふわっとしたジョークで距離を取るくらいのほうが近いように思うのだが、なんだか色々と人生を重ねていく間に、特定のトピックになると妙に一人シュプレヒコール感が出てしまうようになったのかなぁ。

そのトピックの一つがこの記事にある。この記事について、防災のためだから仕方ないのではないか、というような意見もあるけれど、まず虚心坦懐に結果を見るべきだ。事実は、行政もまだ気づいていない氾濫について、市民がSNSで投稿したことを、首長がデマと誤報した、である。これは防災の観点から見てむしろ逆効果の結果だ。では、この結果は仕方の無い結果なのだろうか。本当に?

市長のブログには、以下のような記述がある。

実際には撮影された映像の時間と現場確認した時間に約30分のずれがあり、河川氾濫がすでに終了していた

30分のずれがあったのであれば、今は確認できないが、その時はできたのではないか、またこれからどうなるかもわからないのではないか、は当然考えるべきことだ。しかし、市長は以下のように考える。

3 投稿者アカウント自体が直ぐに削除されたことを不審に感じ、確認もできず正しくない情報と邪推したこと

(略)

近年のAIフェイク動画やbotの増加に対する私自身の過度な警戒心も、今回の判断に影響した

最近AIによるフェイクがあるし、投稿者もなんだか信用できないので、デマだと決めつけた、ということになる。これはつまり、思い込みだ

さらに問題はこれだけではない。一市民が、現実をそのままSNSに投稿したところ、為政者から突然、以下の様な非常に強い言葉で非難されている。

高島氏は11日午後、この動画について、フェイスブックで「【やめてください!】」という書き出しで、「昨日夕方の記録的大雨では、大変迷惑な事案がありました。それはSNSの情報動画です」と指摘し、「実際には起きていない氾濫映像」と説明。

(略)

元となった投稿に東京のテレビ局から取材の問い合わせが寄せられていたことにも触れ、「人命を守るための最も重要な時間帯に、現場の行政職員がこのような虚偽情報への対応に追われることは、災害対応の大きな妨げになります」と厳しく非難。

これは非常に厳しい非難である。このような非難を向けられた一市民は、どのような心情であったか。もしも個人を特定されるようなことがあれば、社会的な実害も被りかねない。これは酷い実例で、今後同様のことがあっても、萎縮しかねない。

つまり、首長は誤情報を拡散しただけではなく、一市民を一方的に強い言葉で非難した、というのが単なる事実である。そしてその根拠は、どこまでも思い込みだ。いったいどうして正当化できよう。謝罪の言葉もそれなりに強いが、市民が首長から非難される言葉と違い、首長の自己反省の言葉がいくら強くても実際的に何かあるわけではない。

僕はこの建前と異なる非対称性、力を持つ者ほど無責任で、力のない者ほどやけに責任を負わされる、こういう欺瞞が本当に嫌で、昔から大きな嫌悪感がある。

で、シュプレヒコールになる。権力の横暴を許すな!!うおおおお

変わる理屈、変わらない現実

とまぁ盛り上がってしまうわけなのだが、もう少し思うところがある。先に述べたように、この首長の振る舞いについて「仕方が無い」と考える市民は一定数いる。それはSNSを強く問題だと思っている層だろう。

僕からすると、それは酷くおかしな話だ。河川氾濫よりもSNSのデマ氾濫のほうが問題だ、ということなのだろうか。必ずしもそういう意図ではなかろうが、しかしそういうことにならないか。河川氾濫のリスクを本当に強く考えるならば、市民の投稿を疑う前に、まず真実であった場合にどうか、ということを考えるのが筋だろう。であれば、デマを疑ったとしても、同様のことが何度も繰り返されているのであればともかく、そうでもないのに、投稿がデマであったとまで断じる根拠はなく、「現時点では氾濫を確認できない」で十分のはずだ。

また、不用意に思い込みで断じたことにより、首長の言うところの「現場の行政職員がこのような虚偽情報への対応に追われる」という実害が発生したが、この事態を発生させた首長は「強い言葉で反省の言葉を述べる」だけである。そもそもSNS監視なんかしていなければ生じなかった仕事でもある。

この現実を見れば、やはり「優先順位がおかしいだろう!」と思うのだけれど、そのように感じない人は事実いて、またそういった意見が、SNS監視のような統制を支持する一因となっている。まぁこれも、「統制を支持している」などと言われれば多くの人は「そんなことはしていない」と反発するだろうし、事実心情としてはそうなのだと思うが、しかしやはり統制に繋がるだろう。

僕はこれについて憂慮はするけれど、かといって他人様にあれこれとこう考えるべきだと言う気は無いし、また言ったところで聞かれるほど偉くもない。なので、ただ「いやだなぁ」と思うだけだ。

この流れは続くだろう。というのも、これまで続いてきたからだ。たとえば為政者やビッグカンパニーの言うセキュリティの名目で、どれだけ無駄な暗号化が世界的に実施されてきただろうか。どれだけ無駄な手続きが増えただろうか。それらは本質的に無駄なので、彼らが名目としていた犯罪や事故の減少に繋がっていない、少なくともなくなっていないが、それは証明できることではないので、これからも都合良く言われ続けるし、また理論的には正しいかもしれないその理屈を受け入れる人は一定数いる。いや、多数派なのかもしれない。理屈が現実に先行する時代。

だが現実は変わらないし、僕らは理論ではなく現実の中を生きている。何をどう言い繕っても、河川氾濫よりもSNSが監視されている、それが現実で、理屈はその説明だ。この変わらない現実がこれ以上誤魔化せなくなるまで、あと何年ほどだろうか。少なくとも僕が生きている間に思えるし、僕の想定よりも早いのではないかと、最近はそんなことを思う。

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