Twitter劇場が面白い。ニュースを追いかけているだけでも楽しい。メディアでは醜聞ばかりだが、Twitterの中ではイーロン・マスクの改革を歓迎している声がたくさんある。
特に旧運営によって凍結やシャドウバンされていた人たちがどんどん解放されていっていることについては、喜びの声のほうが明らかに大きいと思う。消されるべきではなかった人たちが本当にたくさんいたんだろう。僕も明らかに思想的な問題だけで凍結の憂き目にあった人を知っている。その人は誹謗中傷などまったく問題のある振る舞いをしていなかった、むしろされていた側だったのに。
変わりつつあるのは喜ばしいことだ。端的に言って、イーロン・マスクはインターネットをやろうとしているんだと思う。
プラットフォームの時代だった
10年代は暗黒の時代だった。デジタルがアナログに飲み込まれ、プラットフォーマーはリアルと結託してネットを統制した。そしてインターネットはGoogleになり、Appleになり、Facebookになり、Instagramになり、Twitterになった。これから先はTikTokになるのかYouTubeになるのか……そんなことばかりが注目されていた。
プラットフォームの力は絶大で、法規制などの話も出たくらいだが、実際のところ、行政や力をもった人たちは、まずプラットフォームをうまく使うことを考えているんじゃないだろうか。もはや小国ばりに成長したグローバル企業と敵対するより、自分たちにとっても都合のよい存在にしたてあげたほうが楽だしお得だろう。
実際、Twitterの内部にはそういう都合の良い輩が蔓延っていたようで、恣意的な操作が横行していた模様。パラメータ調整ですらなく、お気持ち駆動の手動シャドウバンを聞いた時は、Twitterはもはやテック企業ではなくメディア企業に成り下がっていたのだなぁと思った。
Web 3.0と言われても
こういう情勢を問題だと思っていた人は多いんだろう。で、その反動で出てきたものの一つがWeb 3.0だと思うが、これはあまりにも胡散臭い。だいたいWeb 2.0は結局なんだったんだよっていう。
だから僕は全然期待していなくて、まぁもうきっとどうにもならないんだろうな、という諦めの境地にいた。無力な一市民の僕はまず明日を生きないといけない。僕は自分にできることしかやれない。ほとんど誰にも見られていない場末の個人ブログの更新しかできない(読んでくれている人ありがとう)。
20年代はTwitterから変わるのか
そんな矢先に起きたのがイーロン・マスク主催のTwitter劇場である。正直ワクワクしている。未来を感じさせられている。20年代は10年代の延長ではないのかもしれない。
Twitterは今は未だ旧来のプラットフォームだが、Twitterはプロトコルであるべきだというジャック・ドーシーとの議論の話もある。その具体的な形がどんなものなのかはわからないが、自由なインターネットを実現するためのものではあるだろう。イーロン・マスクの次なる一手が気になって仕方がない。まぁ、とりあえずまずは収益をあげられるようにするんだろうけれど。
……この先に、個人サイトの復権はありますかねぇ……。
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