いくつかの興味深い記事が見られた。
- 「売れているのに儲からない」 ラーメン店の廃業が相次ぐ「3つの要因」とは #エキスパートトピ(山路力也) - エキスパート - Yahoo!ニュース
- 物価考:町の洋菓子店が大ピンチ 値上げしても売り上げ減 倒産過去最多 | 毎日新聞
- 職人不足のすし業界 4カ月で育成 - Yahoo!ニュース
ラーメン店と洋菓子店の苦境が報じられている。一方、寿司職人は育成期間の短期化がはかられているようだ。
これらは完全に同じ事象である。一本の線で繋がっており、まったく同じ理屈で説明可能と思う。
端的に、利益を出すための売値が上がり過ぎて、買手の出せる買値と釣り合わなくなりつつある。買値と売値の乖離、取引不成立。
その理由は原材料費や人件費、光熱費の高騰、必要な経理事務といった諸手続きの複雑化などの外的要因によるものだ。店側はそれを価格転嫁する必要がある。ラーメン一杯1,500円、2,000円となっていく。これは店側やラーメンに深い理解を示す者からすれば当然の費用かもしれない。しかしそれはラーメン発見伝の理屈で、市民の理屈ではない。市民がラーメン1杯に出せる価格はそんなに高くない。1,500円あればラーメン以外の別の選択肢が見え始める。これとまったく同じ理屈が洋菓子にも適用される。
寿司の場合は、元々人材育成に大きなコストをかけていたので、その分を削ることで、売値を構成する人件費を抑えようとしている。これを受けて、今まで長年の修行が必要としていたのはなんだったのか、というコメントも散見されたが、無い袖は振れない。人余りならば人材に高いハードルを設けられるが、人がおらずそれでも寿司を売りたければ、ハードルを下げざるを得ない。戦争で負けがこんだら新兵が前線に行く。
これは教育の長期化のロジックでもある。なぜ教育が長期化されたかといえば、それだけの学習期間が必要だからではなく、単にそれだけの余裕があったからに過ぎない。本当に人が余っているのかは別として、少なくとも社会はそのように判断している。
この流れは続いているため、今後も低価格帯の店は潰れ続け、寿司のような高価格帯も人材育成の短期化を余儀なくされるし、それでも間に合わなければやはり潰れる。
これをビジネスモデルのせいにするのは簡単だ。実際そのような意見は多い。しかしどうだろう、この流れの中で、この先に残るビジネスは、富裕層向けの体験を売るものか、工場で生成した実質的なレトルトを配送して温めたものを出すだけのような、文化的な死ではないだろうか。
今後、あらゆる分野でこの取引不成立はさらに拡大していく。抗う術はないのだろうか?
実は、この問題には抜本的な改革方法がある。市民が思い立ったら屋台をやれるくらいに、あらゆる基準・規制・経理・事務のハードルを再び下げることだ。だがそれは現代社会のシステムに逆行することを意味する。非常に険しい道筋だ。システムはシステムのために、あらゆるリスクを回避しようとする。その結果が今である。
だがシステムのエネルギー源は雑音とも言うべき人々の突発的感性であった。感性の発露という高周波のエネルギーを、システム自らが安定のため規制というローパスフィルタにかけて潰す。システムは安定するが、駆動させるエネルギーが緩やかに減衰していく。しかもシステムの適用範囲は広がり続け、システムにエネルギーを供給していた領域が削られ続けている。このままいけばシステムは自身を維持できなくなるだろう。だがシステムはそれでも構わない。自身の停止よりも、発散の可能性を抑えることをシステムは優先する。
かくして僕らは緩慢な死に向かっていくわけだが、どこかで、システムの監視の目を維持するエネルギーそのものが枯渇するはずだ。具体的には、警察や行政の機能が麻痺し始める。そうなったとき、再び僕らは屋台をひけるようになる。たとえそれが闇市と呼ばれるものであったとしても、そこにはラーメンも洋菓子も寿司もあるだろう。不格好もしれないが、レトルトではない、本物の文化である。まぁ、それまで残っていれば、の話だが。
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