なんかまたリモートワークの問題が荒れていた。
GMOらしいといえばらしい。
問題の根幹
例によってSNSは荒れまくっているわけだが、特にタイピング数を根拠に生産性の低下を理由としてあげられていたのは、随分と失笑を買ったようだ。
熊谷氏が挙げた根拠の一つが、在宅勤務では時間当たりのパソコンのタイピング数がデータ上確実に減っているという点です。「在宅で生産性が上がる方もいる。否定しない」と一定の理解を示しつつも、全体で見ればマイナスに働くという判断を示しました。
僕も少し前まで組織人であったし、コロナ禍を経てリモートワークの扱いには振り回されたクチなので、色々と思うところはある。今は個人事業主になって出社もクソもなくなり、また組織に対しても利害がまったくなくなったので、かつて当事者だったという思いはありつつ比較的フラットに見られるかなと思う。
このリモートワーク問題の本質を何か考えたとき、それは出社コストの問題に尽きる。生産性や業務効率性の問題はスケープゴートみたいなもんで、関係ないわけではないけれど、本質じゃない。
強いて言えば、経営者と労働者が生産性を共通コードにして議論している現状が、根底にある労使関係の歪みの現れにも見える。本音の議論じゃないよね。
出社とはコストだ
まず最初に事実を確認しよう。出社は紛れもないコストだ。これは是非ではなく、単に事実だ。
就業開始時刻よりもはるかにはやい時間に家を出て、都内ならば(恐らくは満員の)電車で運ばれ、額に汗を流しながら出社する。電車の中でできることは、せいぜいお気に入りの音楽をノイキャンイヤホンで流すくらいだ。
明らかに体力的・精神的な消耗が凄まじいが、これに給与は支払われない。
まぁ現実には給与の中になんらかの形で入っている、とみなすべきだと思うが、少なくとも直接的には通勤そのものは仕事ではないことになっている。交通費手当などは一応非課税という待遇は社会的にも用意されているんだが、せいぜいその程度である。その程度とはいえ、仕事に不可欠だからそういう扱いになっている。
なおその程度であるにも関わらず、社保の計算に入ったり、非課税となる上限額引き下げの議論などあり、市民の沸点に着実に近づきつつある今日この頃なのはまた別のお話。
この明確な重いコストについて、経営者はせいぜい実費払いのみで負担を免れてきた。まぁそれも含めての給与だというのが気持ちではあろう。実際的にも多分それはそうだったのではないかな。
一方で、長引く社会の停滞の中で、実質賃金は低下し、生活は苦しくなり、会社からはいつ切られるかわからない不安、そして少子化とは裏腹に過密していく都市部…出社という見えないコストの皺寄せは、ひたすら労働者が被ってきたのが現状だろう。
そうした中で、コロナ禍を経てリモートワークという選択肢が提示されたとき、皮肉にもそれが労働者の救いとなった。そしてそれがまた取り上げられそうになって、悲鳴を上げている。出社コストを払うのは誰だと思っているのか!
業務効率性のため?
が、現実には主に生産性や業務効率性の観点で議論されることが多い。恐らくそれが、もっとも体裁が良いからだろう。あるいは、本気でそういう問題だと信じているのかもしれない。
別にそれ自体が間違っているとは言わない。実際プログラマならば作業自体は一人でやるほうが集中できる。またディスプレイやデスク環境もしばしば個人宅のほうが整っている。ついでに言えば僕なんかは体感温度が人とかなり異なるようで、公共の場では多くの場合暑すぎるか寒すぎるため、自分用に調節できるのはありがたかった。ってか机が足りなくてフリーアドレスとかやってたけど、それは完全に顔を合わせて仕事するのと矛盾してるよね。
こういう実態があるので、オフィスよりも家のほうが生産性は高い、という議論は可能である。そのほうがより多くの仕事がこなせるものも実際にいる。
しかし、それらは突き詰めるとオフィス環境の劣悪さの問題で、リモートワークの問題ではない。が、現実に働く労働者にとって議論の種別は関係なく、出社に伴う苦痛であることには変わりはない。
だがこの業務効率性については、その評価をする経営者や多くの場合マネージャーが、総合的に低下するという論陣を張って理屈付けしている以上、労働者側に勝ち目はないのではないかな。まぁ個人的な意見でも、コミュニケーションの問題が大きすぎるので、実際のところ生産性の観点を出されたら、出社に勝るものだしと思う。
働き方の柔軟性のため?
実際のところ本当に有り難いのは自由な時間、また家でしか出来ないことの多さだ、という意見もある。こちらはそれなりに言及される印象だ。特に子どものいる家庭で多い。現代社会において、多様な働き方を認めることが社会全体のためということになっているため、比較的いいやすいのだろう。
だが、実は子育て世帯とは真逆の、一人暮らしのほうが嬉しいんじゃないかなぁ、というのが私見だ。というのも、一人暮らしのフルタイム残業当たり前だよねキャリアを掴めビジネスパーソンにとって、家のことをできる時間は最小限であり、当然のごとく荒廃していく。洗濯、ごみ捨て、宅配便一つ受け取るのも苦労する。それができるのは嬉しい。できなくなるのは悲しい。
これらはわがままと取られかねないためか、あまり声高に言われることはないようだが、現実的に独身が増えている昨今、滅茶苦茶助かっていた!!と内心思っていた人は多いだろう。僕や。
この働き方の柔軟性が労働者にとって助かる!は事実なのだが、雇用主にとっては関係がない。この柔軟性は魅力なので採用市場においても強い!と言われても、既に会社は社員でパンパンだし、そもそも働き方の柔軟性に魅力を感じて応募してくるような労働者は正直あんまり雇いたくない、という本音があるんじゃないかな。
出社回帰は進む
この力学を見ていくと、リモートワークできるような職種は買い手市場になりつつある現在、出社回帰は進んでいくと見られる。
一方で採用市場において競争力の弱い業者にとっては、賃金を上げずに採用競争力を高められる機会とも言える。
これは個人的な肌感でしかないんだけれど、フルリモは給与の3割から5割くらいに相当する強さがある。このインパクトは、どんなに生産性をあげても達成できるものではない。また自由に使えるリモート日が1日/週あるだけでも、かなり労働者側にとっては有り難い。2日/週くらいだと給与の2割分くらい相当のパワーがあると思うし、かつ生産性にもそこまで影響を与えないのではないか。
正直、コミュニーケーションの課題は労働者側も感じていたりするので、フルリモがいい!という人もそれはそれで少数派だと思う。
いずれにしても、出社回帰は全体として進むだろう。
実質的な賃金の下落
この事態を受けて全員が考えるべきことは、労働者のコストの上昇である。出社コストの要素となるものが上がり続けているにも関わらず、その支払いほとんど労働者に偏っている。この事実を認めるところから始まる。
だが経営者側がわざわざ出社コストの問題ですねなどと言う必要はないため、これは労働者側から声を上げるべきことと言える。本来は、コストの話を本音で労使間でするのが本質だと思う。
まぁもしかするとそれは労働者(特にリモートワークできるような層)にとってきまり悪いことかもしれないし、経営者もそんなもの認めないのかもしれない。だがどうあれ、結果として業務効率性という聞こえの良い言葉に変換して話すことしかできないなら、組織と組織人の間に深刻な不信があることを自覚しなければならない。そして社会全体でそのようになっているならば、とりもなおさず不信感が社会全体を覆っていると考えたほうがよい。
僕は社会的な処方箋を知らないし、あると思えない。そもそもそういう社会的な解決みたいな考えが現状を作った気もする。
ただ自分とその周囲だけは、互いに相手を気遣いながら本音をなんとか話せる関係をつくる、あるいはそういう場を探すしか、現実としてないのではないかと思う。
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