ブログにはアイキャッチ画像というものがある。記事を開くととトップにあったり、記事一覧のサムネイルになっていたりするあれだ。
ブログはアイキャッチ画像ありき
うちにサイトにもある。本ブログの記事には表示していないが、記事一覧では見られる。また、noteに転載する記事では、設定している。

うちのサムネイルはご覧のとおりだが、基本的にはタイトルや本文の内容に即した短い文字列を、そのまま画像にしただけのものだ。なんか色々やってこれに落ち着いた。
アイキャッチ画像というのは本質的に馬鹿らしく、あってもなくてもどうでもいいものだと思うので、あまり労力をかける気になれない。だったら作らなければいいのにと思うだろうが、現在のブログではアイキャッチ画像を設定することが半ば強制されている。先のとおりnoteでも設定は実質必須であるし、本サイトを構築するWordPressの有名なテーマ「SWELL」においても、基本的に設定されていることが前提の設計だ。
まぁもちろんないからといって記事を投稿できないというわけではないのだけれど、アイキャッチありきのデザインにアイキャッチなしで投稿すると、シャッター街のような居心地の悪い見栄えになる。僕はWebサイトなんてpタグとaタグだけでいいんだという粗忽者だけれど、その僕をしてみすぼらしい印象を抱かせる。これは許容できない。
ブルシット・ジョブ
ということで、渋々ながらアイキャッチ画像を制作していた。まぁどうせやるなら真面目にやったほうがよかろうかと重い、Affinityシリーズまで購入した(Affinityは3で無料化されているが2はそこそこした)。しかしどうあっても本質的な価値を生まない無駄にしか思えず、最終的には「いかにラクしてそれらしくするか」に腐心することになった。
そういうわけだから、ChatGPTの画像生成機能ができたときは喜んで利用したのだけれど、今振り返ると当時の画像生成で出来上がるものはかなり不出来だった。けばけばしい色合いでこれでもかと空間を埋め尽くすようなものが多く、気持ち悪いものが多かった。しかもどこまでもイメージ画像で、何がなんだかわからん。
しばらくするとその不格好さに気づき、自分のサイトにこんな気持ち悪い絵は置けないなぁとなった。で、結局、背景画像のみ落ち着いたものをAIに作らせて、それを使いまわしながら文字入れだけ自分でやる、というスタイルになった。以下のような感じだ。

一応それなりの手間はかけているだけあり、正直今の完全AI生成のものより見栄えがするかもしれない。
しかしやり始めると文字間の調整(カーニングというらしい)など地味に面倒くさくて、サムネイルを作るのが面倒で記事をあげなくなるなどという本末転倒なこともあった。めんどい。
また、その頃、今まで自分がやってきたことと向き合う中で、かなり旧来のWebに対して遠慮なく批判的に考えるようになっていたこともあり、「そもそもサムネイルなんているかよ!!」という嘆きが明確になっていた。こんなものはブルシット・ジョブだ。明確にそう思った。時間をかけてはいけない。
自動化の試み
僕は本格的にAIのみで生成することを試みはじめた。
重要なことは、ボタン一つでサムネイルを生成し、さらにそれをWordPressの記事として設定できることだ。ここで壁となるのは、「許せるサムネイルであること」「記事に設定するところまでやること」の2つだ。
「許せるサムネイル」というのは、案外難しい。実際に記事のサムネイル画像をAIに作らせたことがある人ならわかると思うが、生成一発で自分が納得できる画像は稀である。だいたいいくつか候補を作って、ああでもないこうでもないと注文をつけないといけない。
なぜそうなるかと言えば、AIが変に作り込もうとするからだ。なので、AIが記事内容からそれっぽく想起した画像はしばしば「それは俺の意図ではない」と思うし、また細部をよく見ると破綻している。最近はかなりそれらしいものができるようになってきたようだけれども、少なくとも2025年くらいまでは一発ぽんで使い物になるという感じではなかった。そもそも画像の生成は使用するトークン量が多いため、AI料金の高騰化を考えると持続性に疑問符もつく。矛盾しているようだが、AIサービスに依存するのは嫌だった。
それで、制約をかけることにした。そもそも画像を作ろうとするからよくないのだ。文字だけにすればよい。そしてその文字のデザインは、テンプレートHTMLを与えてある程度統一すればよい。出力もHTMLにすればよい。そしてHTMLをヘッドレスブラウザで開き、スクリーンショットを撮影することで画像とすればよいのだ。ブラウザで表示するものをそのまま使うため、微妙な文字の調整もされていると期待できる。また、これならばトークンの量も少なく、ローカルLLMでも対応できる可能性がある。
この試みはやってみるといくつか引っかかるところがあったが、最終的にはそれなりに安定して動くようになった。これを最終的にwebpでWordPressの記事に登録するインタフェース部分を作り込んで、完了。最初はCLIで動かしていたが、その後GUI化するなど、地味な改良もAIプログラミングによって比較的容易にできた。
ローカルLLMによる出力は正直まだ若干安定しないところがあるのだけれど、ここはテンプレートHTMLとプロンプトを泥臭く調整すればなんとかなるような気もしたし、またOSSモデルの発展で解決するかもしれないので、本当に必要になってから作り込むでもいいかなと思った。今はとりあえず、月20ドルのサブスクを契約しているので、それを使えばいい。
やらなくていいことの最大効率を達成
そんなわけで、今は特に大きなストレスになることもなく、アイキャッチ画像を作れるようになった。しかし、これを「AIによる効率化を達成した」と言っていいのかはわからない。前述のようにそもそもアイキャッチ画像は不要だ。しかし、現代のプラットフォームがそれを求めるので、仕方なく作っているに過ぎない。本質的に価値を生まないブルシット・ジョブだ。少なくともうちのブログではそうだ。
本来やらなくてよいことを実質的に強制され、それをAIで自動化したからといって、それを効率化と呼んでいいのかはわからないと思った。
そもそもAIで自動化できたのは、それがどうでもいいことだからだ。僕は記事内容についてはAIを利用しない。僕にとって記事とはどうでもよくないものだからだ。AIに自動化できることのすべてがどうでもいいとは言わないが、しかしどうでもいいことの自動化はAIでできる、とは言えるだろう。そして実際今AIで自動化できた!されているもののうち、実際のところ「どうでもよかったからできた」ものは、かなり多いのではないか。誰も読まない議事録、定型メール、大して興味のないニュースのまとめ…。
たまにネットで喧伝される「AIで業務効率化を達成した」とする企業の勇ましい報告も、その実態がどうであったかは怪しいものだと思う。最近はAIを活用して効率化を喧伝する政党まであるが、世の中に蔓延っているものがどうでもいいことばかりなのだとすれば、確かにそれは実効的に見えるだろうか。しかしやっていることは、やらなくてよかったことを高速でやっているだけかもしれない。それも膨大なエネルギーを使って。
まぁ、そんなことが続くとは思えないが、当面はそうなりそうに思える。みんな成果を求めているし、成果とは数字だ。数字は単に数字であり、必要性を保証しない。これがAI絵ならばパッと見よくできてるけど何がいいたいのかわからない、必要以上に隙間を埋めたケバくて気持ち悪い絵として認識できるかもしれないが、実際のワークフローとなると難しい。
AIは確かに素晴らしいのだけれど、その素晴らしいものを使ってやらなくていいことばかりしているとすれば、虚しいことだと思うし、破綻すると思うけれど、であればこそ、僕のような凡夫にも人間として多少なりとも存在意義を感じられる、かもしれない。
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