都内1Kからこんにちは。
部屋が狭いので引っ越したいと思っている。その前にモノを整理しないといけないと思って見渡すと、狭いわりに、いらないものがひしめていることに気づいた。なんだろう、これは。
いらないものばかり買っていた。改めてみると、ガジェットのほとんどは不要であった。なにか急かされるように、不必要なものを揃え、なのに必要なものをもっていなかった。
43インチのチューナーレステレビはいらなかった。YouTubeを垂れ流しているだけだ。僕にとって数少ない世俗の繋がりではあったが、そのために43インチで100Wの消費電力はリッチすぎた。
ホットクックはいらなかった。ガスと炊飯器で十分だった。
音声アシスタントはいらなかった。AlexaもGoogle Homeもいらなかった。天気とタイマーにしか使えない。なくていい。
一人焼肉セットはいらなかった。焼肉なんてそんなにしない。一人で焼肉しても楽しくない。
ブギーパッドはいらなかった。紙とボールペンでよかった。貼り付けたいならマグネットもある。バインダーもある。
フードプロセッサはいらなかった。そんなに砕きたいものはなかった。
自動研磨機はいらなかった。砥石でやれ。
ホワイトボードはいらなかった。なんで買ったのかわからない。自宅で会議でもするつもりだったんだろうか。
ハンガーシェルフはいらなかった。服に興味なんかない癖に。
微妙なものもある。今から買うことはないが、売ったり捨てたりするかというと悩ましくなる。
食洗機は…便利ではある。僕は確かに、食洗機を買うまでシンクに皿を積んでいた。食洗機を買ってそれがなくなった。これは一般的に価値とされる。しかし、こうしてみると、僕には少し贅沢過ぎるものに思えた。なんだって僕は皿を洗えなかったんだろう?
マルチグリルは贅沢だが便利でもある。なんでもいいからとにかく焼ける。両面焼きができるので便利だ。パンも焼ける。とはいえ買う必要があったかはよくわからない。
全自動コーヒーメーカーは良いとも悪いとも言えない。多分これのせいでコーヒーを飲みすぎている。しかし確かに楽だし毎日使っている。
意外と良かったものもある。
地球儀はよかった。手を伸ばしたところに置いておくと、ニュースなどで国名が出てきた時にすぐに調べられる。これは平面ではいけない。地球儀は良かった。これは意外だった。
書籍は紙であるべきだったと思うものがある。紙は電子書籍よりも読む。何故だろう。一節によると紙の書籍からは謎の電波が出ており、それによって積ん読中にも脳に刺激が入り賢くなれると言われている。そうかもしれない。
一方で電子書籍は技術書ならば問題ないし、なにより質量保存の法則を突破したホイポイカプセルである。PFUのドキュメントスキャナは僕にとっては必要だった。S1500を10年以上使っている。交換部品ではないローラが溶解したのを、シリコンチューブをつけて無理やり使っている。ケチな客だが、事あるごとにPFUのスキャナは良いとツイートしているので許してほしい。
浄水ポットは多分よかった。通すと本当に水の味が違うので驚いた。生臭さがなくなる。メーカー推奨よりもフィルタを長く使っているが、特に問題はない。メーカー推奨は短すぎる。
いらないものを見ていくと、それによって何か生活が変わることを期待していたのではないか、と思われる。僕なりに一応課題があったのだろう。それをものを置くことで変わるかもとしたわけだ。それは間違えていた。
これだけいらないものに囲まれて、部屋が狭いと投げているのは、完全におかしい。それでいながら、僕は必要なものを持っていないことに気づいた。たとえば明日ライフラインと物流が突然止まったら?そんなことはありえない?
僕は何もわかってなかった。依存していた。あるいは依存させられていた。社会は依存を求めている。僕は社会の要請に従った面はある。しかし結局それで満たされないのは自分だ。お金は仕方ないけれど、時間はもう戻らない。
反省するばかりだ。今からでも、不要なものは少しずつなくして、必要なものを揃えていくしかない。
しかし見返して一つ意外だったのは、地球儀には満足していることだった。地球儀は買ってよかった。この狭い部屋の中で、ただ地球儀だけが大きい。
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