エスカレータはそもそも存在意義がよくわからない

ブルシット・ジョブ選手権代表選手、エスカレータの片側止めるマンのツイートが流れてきた。

これは名古屋の例のバイトだろうか?

僕は階段があったら必ず階段を登る。しかしエスカレータしかないところも非常によくあるため、そういうところではとてもイライラさせられるし、ツイートの画像はまさにエスカレータしかないところで邪魔するお仕事であるようなので、見ただけでイラッとした。

これに税金を払う意味は完全に不明だが、そもそもエスカレータの存在自体が意味不明といえる。バリアフリーの観点ならばエレベータがある、というか身体の弱い人に大縄に入るようなことをさせるものはバリアフリーではない。

つまりエスカレータは適度に健常な人が楽をするためのものになるが、自然発生的に歩く人向けの空間を開けるのがデフォルトになる程度には、かなり多くの人が階段として使っている。

まぁ偉い人はごちゃごちゃと数式や諸条件を操作してエスカレータは効率的だみたいなペーパーを作っているのかもしれないが、そんなものは前提次第でどうにでもなるものだし、逆に階段のほうがよいとするデータを作成することもまた容易であろう。結局インタフェースの評価は恣意性の塊なのであって、科学的・工学的にこうするのが正解だ、と言えるものは多くない

エスカレータが設置されているのは、エスカレータが便利だからではなくエスカレータを設置したいから、というべきもので、それは一番無駄遣いしたやつが勝ちという資本主義のルールにおいて都合がよかったのだろう。

しかしそれならば歩いてはいけないなどとマナーを押し付けることはなさそうなものだ。実際こんなブルシット・ジョブを誕生させたのは最近の話だし、昔から多少の小競り合いはあれどこんなにうるさくはなかった。

なぜうるさくなったのか。いよいよエスカレータのコストが重荷になってきたのだろうか。しかしこのブルシット・ジョブの金もそれなりにかかりそうで、エスカレータ歩くマンを多少止めたところでペイするとも思えない。

あるいは単に暇なのか。それはありえるかもしれない。過去最高を更新し続ける税収の使い道に役所も困っているのだろう。それでブルシット・ジョブを生み出し、そこに生活の苦しい庶民が応募してエスカレータで仁王立ちを続ける悲しい物語が生まれた。

すべてがバカバカしくまた物悲しい。エスカレータは全部停止すればいいと思う。どうせ財政が本当に逼迫したらそうするのだろうし、実際既にそうなっているところもあろう。

まぁなんでもいいのだが、階段を動かすのに貴重なエネルギーを使い、そして人手不足の中貴重な人材を動く階段の片側に仁王立ちさせるのは端的に奇妙だと、ただそれだけの話だ。

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