(2023-10-28追記)時代は変わって適当ながらAIでアイキャッチ画像を作れる時代になりもうした。ということでこれからはどんどん適当なアイキャッチ画像を入れてまいる所存。
ブログではよくアイキャッチ画像というものが使われます。ページを開くと、大きな画面でおにーさんやおねーさんが喜んでいたり困った顔をしていたりする、しかし記事内容とは特に関係がなかったりするアレです。ブログの運営において、多くのサイトで推奨されているものですが、アレの使い方はなかなか難しいところがあると思います。
記事の理解を助けない画像
文章だけで表現できることは限られていますから、色々なメディアを活用して閲覧者の理解を助けるのは良いことです。HTMLの面目躍如といったところでしょうか。まぁ、用意するほうにしてみれば、かなり労のかかることなので、私は必要最低限の画像を貼る程度です。
しかしながら、それが記事の理解を助けるどころか、なんら記事との関連性のない画像が、昨今よく見受けられます。先ほども、調べ物をしていたら、頬に手をあてて「しまった!」という顔をした女性の画像がデカデカと貼られており、びっくりしました。ある作業について「やってしまいがちな失敗」をまとめられた記事だったので、まぁそういうイメージを伝えようとしたのでしょうが。
待たされるし、スクロールが面倒臭いし
逆に言うと、その程度の意味しかありませんから、特に必要のない画像だと思うのです。昨今、クライアント側のコンピュータのスペックはだいぶ良くなりましたが(安PCで大量のタブを同時に開くと厳しいですけど)、サーバーの処理能力、そしてネットワークの帯域はいまだ十分とは言えません。画像の表示で待たされて、なんだなんだと思っていたら、そんな意味のないでっかい画像がポンと出てきた、となると、その画像は不必要であるどころか、邪魔とすら感じます。また、そんな画像をしげしげと眺める趣味もありませんから、瞬時にしてスクロールをするのですが、これも何度も続くとイラつきを感じることがあります。
サムネイルである種のカテゴリのイメージを伝えるにはよいか?
私にはリソースの無駄に思えてならないのですが、聞くところによると意味はあるらしい。まぁ、意味のないことを手間暇かけてやりたがる人がそんなに多いとは思えませんし、そうなのでしょう。実際に数字を上げている人はいないものかと思って探してみたら、「アイキャッチ効果 人は人の顔に自然と目がいく | ブログ集客法 ブログなら集客できる」の人はPVが2から3.2の1.5倍になったと言っています。つまり、サイトの回遊率が上がったということでしょう。
それは、あるかもしれません。アイキャッチ画像は記事の中でも特別な位置づけにあり、スクリプトで利用しやすいという特徴があります。したがって、記事に込められた感情の一端を表現しているだけのものであったとしても、サムネイルで一覧表示したとき、その記事の感情的なカテゴライズを容易にし、また人目を惹き付けやすい、考えられることですし、理解できます。年収が低くて息が臭いおねーさんとか、有名ですよねぇ…あれは確かバナー広告でしたっけ。
つまり、アイキャッチ画像は、本でいうところの表紙で、広告の役割を担っている、と考えればわかりよいか。本屋で、その本を手に取ってもらうためのもの。だから、その記事のためというよりは、他の記事にアクセスしてもらうための呼び水……まぁ、わかります。であるならば、もう少し画像が小さくても良いのに、とは思いますが。記事を開いたということは、もう手に取ったということですから、ことさらに表紙・アイキャッチを強調することもないでしょう。記事に直接関係のある画像なら良いのですが、多くの場合、そうではないのですし。
どうせ作るなら適当でないものを
まぁ、アイキャッチの役割が広告であるとして、良い広告は広告として認識されないジレンマがありますから、私のアイキャッチに対する悪感情は、悪いアイキャッチばかりが記憶に残る傾向があるから、なのかもしれません。本の表紙は皆よく考えて作られているものですし、その表紙に相当するものを、よくあるフリー素材のおねーさんをペッと貼るだけみたいなのでは、ちょっと不足でしょうねぇ。それであれば、新書の表紙よろしく、文字だけのほうが潔いというものです。
ついでですが、記事の途中で意味もなくフリー素材のおねーさんを配置するような記事もありますけれど、これは本を読んでいたら突然何の意味もなく女の人の写真が挿絵にでてくる感じに近いと思いますが、雑誌のグラビアじゃあるまいし、あまり品が良いとは言えんです。ちと、よろしくない。おねーさんに限らず、頭を抱えたおにーさんなどもですけどね。イメージ画像とやらを文章の途中に挟んでも、仕方ないと思うのですが。
WordPress系のことを調べていると、そういうサイトがちょくちょく目について、辟易とします。何故この界隈はこういうのが多いのでしょうね…。どんな画像であれ、労はかかっているでしょうし、適当にやるくらいなら、無いほうが良いと思います。
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