先月WordPressのテーマを変更してから、広告コードを入れていなかったために広告が一切表示されていない状態だった。快適であった。が、今日再び広告を挿入した。ひとまず配置を自動にしているため、ウザったいかもしれないが、というか既にうざったさを僕自身が感じているが、まぁ様子を見よう。
サイトの運営はサーバー代やソフトウェアの費用など物理的にコストのかかるのもので(このテーマも有料のものである)、趣味とはいえ、何かと不安定な昨今、少しでも足しになるなら入れたいなぁという気持ちがある。まぁでもそれ以上に、僕自身の心境の変化、みたいなことのほうが大きいかな。どうせ足しにならんし。
広告減らしていたが……
まぁ、本当に少額なので。このサイトは既にピークを超えていて、一番よかった時でも月に1万程度にしかならず、時給換算なんかしようものならブラックバイトも泡を吹いて卒倒するような数値だった。
今はさらに厳しく、Googleの個人サイト嫌気の流れからアクセスが落ち込み、また広告単価も下がったために、当時の1/10程度になり、「これだけユーザビリティを下げてこれかぁ」とゲンナリして、いつだったか、このサイトでは広告をかなり減らした。どうせ金にもならないんだったら、ユーザビリティをあげようと思ったわけだ。それによって収入はさらに減り、1/20程度になった。
あと他にも、何かと小うるさいGoogleのアドセンスポリシーに嫌気がさしたという面もある。大した金も出さない癖に、他人様が一生懸命作ったコンテンツに対してグチャグチャ言うんじゃあないよ……という気持ちにさせられた。これが月1万円でまだ伸びるかもしれないと思えた時代の時は、もうちょっと話を聞こうかなという気もしていたので、なるほど金払いというのは大事なものである。
そういう流れだから、テーマを刷新して広告コードが外れたのを機会に、広告そのものをなくしてもよさそうなものではあった。実際そうしようかとも少し思った。が、入れたのは、今までついでみたいにやってきた広告だが、もうちょっとちゃんと見てもいいかなと、そんな風にも思ったからだ。
対価について
僕自身の対価に対する考え方は、昔とだいぶ変わった。
最近つくづく思うのは、適切な金の流れを作ることがいかに難しいかということだ。その結果、本当に対価を払うべき人に払わず、むしろ払うべきではない人にばかり払っているような、そういう実感がある。たとえば、政治的な話となってしまうが、昨今話題の公金チューチューなどはまさしくその例だろう。我々納税者は、払うべきではない人たちに、まったく求めていないことへの謎の対価を強制的に払わされている。
その一方で、僕が普段愛用しているソフトウェアで、きちんと対価を支払えているものはどれくらいあるだろうかと思う。まぁ確かに寄付の受け口があったりはするのだが、ハードルが高いし、また貢献者全員に思ってしまうとけっこう膨大な数になり、さすがに……となってしまいがちだ。あと昔寄付したらずっとせびられるようになったWikipediaの件とかが個人的に枷になっていたりする。それだったら、最初から値札をつけてくれるほうがいいんじゃないかと、最近は思う。
また、対価の払い方は金だけではないとも思え、特に文化的な振興については、むしろ金以外のやりとりをいかにできるかにかかっているといえるだろう。承認欲求だなんだと色々と言われているSNS的ないいねも、感想やレビューも、立派な貢献行為だと思う。そういう対価の払い方もある。文化ではそれが重要だ。ブログもまた文化である。この無形の貢献は非常に尊いもので、在りし日の僕がそれを重視し過ぎてしまっていたことは、若気の至りというやつである。
有形の対価
しかし我々が現実にやりとりするのは金と呼ばれるもので、それは交換と貯蓄という両方の性質を兼ね備えている。それが重要で、交換もできなければ貯蓄もできない無形の貢献は確かに尊いものの、それだけでやっていけないこともまた現実だ。
だが、有形の対価の求め方は難しい。Webサイトの場合は、ビットコインだのドージコインだの、暗号通貨の投げ銭QRコードを置いてもいいが、置物にしかならないだろう。coinhive的なものは今にして思うと非常に大きな希望であったが、裁判で大きな味噌がついてしまった。最後まで戦われて逆転無罪を勝ち取られたデザイナーの方は本当に素晴らしいと思う一方、現実的には今なお怖さを感じる。
そう考えていくと、現実的に、Web広告はよくできた仕組みだなと思うし、Googleの真の革新性は、この広告をWebに馴染ませたことにあるのだろうとも思う。まぁ、色々思うところも確かにあるし、その歪みでWebは劣化したとすら思ってもいる。もっと他の何かも探すべきだし、Coinhiveは本当に可能性だったのにと思う。まぁ何を言ったところで、今日明日の現実世界においては、今なおWeb広告がWebサイトにとってもっとも有効な対価の獲得手段であるという事実を、認めないわけにはいかない。
そんなわけで、このサイトの記事に価値があるどうかは最終的に読み手の判断ということになるものの、自分としては一定程度の価値を信じて作っているので、Web広告の設置という形で、ひとまず僕なりの値札としたい。
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