Google先生に見捨てられた個人ブログがこの先生きのこるには

[最終更新] 2021年5月21日

今どきブログをやっている人もすっかり珍しくなってしまった。まぁそれはそうで、かつてと違って今からブログを始めるのは非常に厳しい。このブログを始めたのは2012年、別のブログは2016年に始めた。今にして思うと、個人がブログをしてそこそこの集客をできる最後の時期だったのかもしれない、と最近思う。

今は違う。個人ブログは、もはや検索で引っかからない。まったく引っかからないわけではないんだが、あらゆる企業やアフィリエイターの作った、しょうもないサイト(失礼!)に押しのけられている。

(もし今からブログを始めようという人がいるなら、技術系ならQiita、それ以外ならnoteに投稿するのが実質的。実は最近、僕もnoteを始めた。悪くないプラットフォームだと思う。この記事の趣旨ではないので、これ以上は言及しない)

時代は変わった。ブログ文化は検索エンジンと共に成長したが、今や検索エンジンは個人ブログを必要としてない。であれば、個人ブログも変わらないといけない。

ブログは検索エンジンを前提にした文化

これは僕が勝手に言っていることなので、一般的に言われていることではない、と前置きしたうえで言うと、ブログは検索エンジンからの流入を第一にしている。というより、Google検索と一緒に成長した、というほうが良いだろうか。ブログ自体は、90年代からあったようだし。

ただ、今のブログの形は、やはりGoogle検索とセットで出来上がったものだと思う。もちろん、TwitterやFacebook、Instagramなど他のSNSからの流入を見込んだブログも多いんだけれど、それはいわゆるインフルエンサー、あるいはそこまで言わずともそれに近い人たちができることで、無名の多くの一般ピーポーにとっては、やはり検索エンジンが第一の玄関口となる。

実際、00年代のブログはめちゃくちゃSEOに強くて、そのために中身のある個人サイトを押しのけてしょうもない記事が引っかかるようになった、なんてこともあったから(歴史は繰り返す?)、けっこうヘイトも買っていたように思う。

あれ、もしかして個人サイトといっても、今となっては通じない人のほうが多いのか?シュタインズ・ゲートのサイトが当時の雰囲気を再現してくれているので、参考に貼っておこう。

未来ガジェット研究所

これ作ったのオカリンの設定なんだろうか。タイトルが「無題ドキュメント」と当時を知る人ならふふっとなるユーモアを利かせてくれているが、もしダルが作っていたらここはちゃんとする気がする。役割的には広報と考えて、オカリンが作ったのかなぁ。少なくとも文章はオカリンのテイストだね。

閑話休題。

まぁとにかく、00年代の中頃か、あるいは後半くらいからかな、ブログはインターネットを席巻したと言ってもいい。で、ブログは個人でも始めやすい……というかむしろ、個人がやるものだった。企業が表立ってやるには、まだちょっと胡散臭さがあった。

Googleが神だった時代

僕がブログを始めたのは2012年で、ブームには乗り遅れたものの、まだまだ個人ブログもいけた。いわゆる2ちゃんまとめブログみたいなのがまだまだ強かった頃だね。記事をちゃんと書いて半年も経てば、そのうちにきっとGoogle先生が評価してくれて、人が増えるはずだと、そう信じられていたし、実際、そうだった。

そうなんだよねぇ。まぁ評価がどれだけ適切だったかは難しいけれど、まぁそれなりに納得できるというか、こんなもんかなぁ、と思わせるものがあった。この感覚は、だいたい10年代半ばくらいまであったな。ま、これは記憶だけれど。

僕がブログを始めた10年代前半にはもう、最近のGoogle検索おかしくない?っていう意見はあったけれど、基本的にはPVが少ないのはお前の記事が悪いからだ説のほうが幅を利かせていたと思う。

少なくとも、良い記事さえ書けばきっとGoogleに評価してもらえると信じられていた時期は、たしかにあった。それがいつまでなのかは、わからないけれど。

それはつまりどういうことかっていうと、ブログの記事ってのは、Google検索に合わせて進化していった、とも言えるんだな。なにしろGoogleこそ信じられる神なんだから。神の意向に添うのが正義だ。

たとえばだ。よく言われるように、ブログには一覧性がない。どんなコンテンツがあるのかよくわかりづらい。これは特に、従来の個人サイトに慣れていた人間からすると、ブログの明確な欠点に見える。

でも、それがどうした?あんたが探しているものは、Googleの検索窓に打ち込めば出てくるはずだ。もしうちのブログで用意できていれば、Google先生が出してくれる。もし出してくれないなら、きっとうちよりいいやつを、別の誰かが用意してくれているんだ。うちとしては残念だが、あんたにとっては、そのほうがいいだろう?

だからブロガーは、ただ良い記事を書けばいい。そうすれば、Googleが拾ってくれる。良い記事とは、情報のまとまった記事だ。構造的に書け。読者の求めるものを書け。コンテンツファーストだ。サイドバーはノイズだ。読者を記事に集中させろ。

その結果、資金にものを言わせて薄っぺらく情報をまとめただけの無意味なサイトが、個人の深い考察を押しやった。また、情報の真贋まではGoogleにはわからないので、嘘・大袈裟・紛らわしいだけのPV狙いサイトで溢れた

個人はGoogleに見限られた

誰がどう見ても、おかしな状態だった。日本ではWELQ問題も起きた。

Googleは対策を重ねた。その中で、個人というものを信用しないようになったのだと思う。なんでやねん、と個人的に思うが、仕方ない。

検索結果を見てくれ、今や企業が作った無数のいかがでしたかブログと、どこぞのメディアの記事、企業の公式PRページで埋め尽くされているだろう。そうなってしまったんだ。

昔からあるサイトならともかく、今から一個人がブログをやるには、たいへん厳しい時代となった。Google検索と共にあった個人ブログは、梯子を外されたんだ。もう、Googleは頼れない。

これからの個人ブログ、いや、個人サイト

それでも僕はブログが好きだし、続けていきたいと思っている。ただ、20年代に個人がやる以上、今のままではいられないよなぁ、とは思う。

最近なんとなく思い出しているのが、かつてブログが駆逐した、個人サイトである。さすがに今更ホームページ・ビルダーもサイドフレームもないものだが、ツールはともかく、思想的なところで、個人サイトには今の個人ブログに必要なものがあったように思えてならない。

それが何なのか。抽象的なところでは表現する言葉をまだ持たないのだが、具体的なところで言うと、「コンテンツを自分の手で並べること」ではないだろうか

それはもはやブログの形式ではないが、思うに、ブログ自体が本来は一コンテンツに過ぎないはずだったのではないか。ただ、Google検索が優秀だった時代は、Googleが代わりにコンテンツを並べてくれた。それが個人にとっても信じられた。だから、「コンテンツを並べる」という面倒な作業は忌避された。

それはもうかなわない。でも、考えてみれば、個人がただ記事を書くだけで皆に読まれるなんて、00-10年代が奇跡の時代だったのだと思う。まぁでも、プラットフォームはGoogleだけじゃない。SNSもある。友達に教えるのだって、立派な広報だ。

すべてをコンテンツとして内包し、並べられたもの。それは個人サイトなのかどうか。よくわからない。ただ、そういう風に、やってみてもいいのかもしれない。そんなことを思っている。

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