タイムラインを見ていると、なんだかChromebookが議論になっていて、懐かしいなと思った。今でこそ脱Googleとか特集を組んでしまうようになってしまったが、ほんの数年前、僕は無邪気にGoogleを信仰している信徒だった。
Googleの信徒だった頃
Chromebookについて、こんな記事を書いていた。2018年の記事だ。

この記事を見ると、だいたい僕が喜んでいるのは以下のポイントだった模様。
- 4コア、8GB RAMであること(Ryzenが出るまで、Intel舐めプの影響で2コアが主流だった)
- Androidアプリが使えること
- Linuxが使えること(多分Crostiniのことかな)
- タッチディスプレイがある
ChromebookはChrome前提という非常に強烈な制約があるのだが、そこにAndroidアプリが使える!とか、さらにターミナルも使える!ということで、当時の僕にとっては非常に進化に思えたのだろう。
また、その他に背景としては、2018年なので、ちょうどMac冬の時代雪解け直前くらいの頃、というのもある。
その頃のMacは本当にしょうもなくて、バタフライキーボードやタッチバーに代表されるように迷走の極致で、価格ばかり高くなるものだから、まったく欲しいと思えず、僕はクックの悪口ばかり書いていた。
当時の心境は上記記事にもある。
際立った進化のないWindowsとMacのPCを尻目に、Chromebookは着実な進化を続けてきました。このスマホ全盛の時代に、今なおPCのことをGoogleさんが真剣に考えてくれているのはすごく嬉しいです。心強い。
さすがに愛機MacBook Air 2013もそろそろ限界が見え始めて、ノートPC新調したいなと思っていたところで、いくつもの要因が重なり、今こそもう一度Chromebookを手にすべき、と、ついついポチってしまいました。
今となっては5年くらいだと大して変わらん感じがするが、当時ハードウェアが進化し続けた00年代までの思い出がまだ残っていて、2013年のPCが2018年も大して変わらんってどういうことだよ!とキレてたんだと思う。まぁさすがにあの頃はいくらなんでも変わらなさすぎたと思うけど。
デザイナーのおもちゃと化したMacを尻目に、Chromebookはラップトップも4コアになり、機能的なところで随分とアップデートがあったようだから、僕は随分と期待したようだ。
信じた者だが救われなかった
で、実際にデバイスを買ってウキウキと試しており、当時の記事にはその歓び記述されているが、その後とんと記事にされていない。理由は簡単で、結局使わなかったからだ。今の僕なら批判的な記事を書いたかもしれないのだが、当時はよほどでないとそういう記事は書かなかったかもしれない。あるいは記事を書くとか書かないとか以前に記憶からすっぽり抜けていたのかもしれない。
ま、書いたとしても、「使わなかったことを書く」というレビュアーにとってはけっこう難しいことをやらないといけなかったので、忙しくてそんな気力はなかったかもね。ネガティブレビューはレビューの中でも難しいジャンルだし。でもレビューで本当に大切なことは、何ができたかより何ができなかったかだし、何をしたかではなく何をしなかったのか、だ。ま、あんま需要ないんだけどね。
だからといって今さら書くこともなかろうに、ではあるかもしれんけど、当初期待した機能は、実際使って見ると、特に使わなかったなぁ。
たとえば、上記の記事ではスクショをペンで書き込みできるぞ!と感動していたが、実際にはそんなことしたいユースケースはなかった。
期待された新機能、Androidアプリができることについては、昔やっていたゲームを1つ出来たのが楽しい、くらいだったが、逆に言うとそれ以外まったく利用しなかった。わざわざPCでAndroidアプリをやりたい理由は特になかった。ついでにある日突然画面にヒビが入っており(何もしてないのに壊れた)、画面を見るくらいなら良いものの、タッチ機能は全然期待できなくなった。
ターミナルも使わなかった。そもそもターミナルが統合されて嬉しいのは、そのPCであれこれとやりたいことがあるから、なのだけれど、それ自体がChromebookの根幹的な思想と矛盾している。
この設計思想の問題がもっとも重大だ。たとえば僕はEmacsキーバインドの呪いにかかっているため、キーボードについては激しいリマッピングを求めるのだが、ChromebookはCapsLackとかCtrlキーをちょっといじれるだけだった。これは僕にとって決定打になっていた模様。

Chromebookは素晴らしいんだけれど、Emacsキーバインドを快適にかつあんまり頑張らないで使いたいというあまりない欲求のために結局使えないでいる。
うちにあるChromebookは宝の持ち腐れ状態だ……。
2020年7月には既に持ち腐れ状態になっていたようだ。
ただこの時点ではChromebook自体は素晴らしいと評価しているね。Googleに対する信心が残っていたのだろう。実際には、使っていないという事実がすべてだと思うけどね。今の僕だと「これは設計思想の問題が如実に出た結果で、今後も根本的な解決は望めない」とか言ってバッサリ切ったかもしれない。
元々Macに対する失望がChromebookに向かわせたところもあったように思えたが、その後MacBook Pro 2019(CPUはショボいが一応4コア)を買っているし、またAppleSiliconでMacは劇的な変化という印象を与えたわけで、結局、もはやChromebookに行く理由は僕の中ではなくなった。
それでChromebookは使われないまま、最終的に2024年9月リネットジャパンで不要なゴミを捨てる時に送料無料にするための種となった(PCを捨てると送料無料になる)。一応動いていたので売れたと思うが、画面ヒビ入ってるとか色々あったから売るのすら面倒くさくなったんかな。いや、動かなくなったんだっけ?それさえ覚えてない。愛着がない。
その本質は機能ではなく制約
そんなわけで、共産主義の学校こと教育施設あたりで一部導入されたほかは、別段広まらないまま今に至る2025年11月、時代のあだ花であった、というのは妥当な評価に思える。ここからわかるとおり、Chromebookの肝は機能よりもむしろ制約にあった。管理したい側が配布するデバイスとしては便利だったろうな。今にして思うとすげーGoogleっぽいわ。
ただ僕は、Twitterを見ると2023年1月でもなんかまだ若干未練があった模様。

Emacsの呪いが解ければ、Chromebookも現実的な選択肢とあがってくるんだけれど
2023年1月っていうと、ちょうど退職した頃だったかな。Googleへの信仰もギリギリ残っていた頃だっただろうか。なんで突然こんなことツイートしたのかは覚えていない。キーボードの柔軟な変更ができないのは、些事ではなく根本的な設計思想の問題だ、と気づかないといけないね。
まーでも実際、別にまったく使えないということはないと思うよ。先もちょっと書いたが、Chromebookは機能ではなくて制約を求めるもので、その制約に、特に強いられるわけでもなくぴったりとハマって不便がないなら、便利なんじゃない。
具体的には、Web(というかChrome)だけで十分で、おまけでちょっと周辺のことをしたい、くらいだったら、もしかしたらベストかもしれない。ただその判断ができるには、PCと自分に対する理解が必要だし、あるいは側にわかる人がいて、「あなたの場合はChromebookで十分だよ」と判断できる必要があるかな、と思う。これは非常に限定的というか、実際ほぼないのではないかな。
ま、いずれにせよChrome前提でEvilの霊道みたいなデバイスをいまさら僕が薦めることはもはやないけどさ。ただまぁ、ちょっと懐かしかったな。
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