世間では情報商材に引っかかるのは底なしの間抜け、という扱いだと思うのだが、僕はけっこう同情的である。というのも二十代半ば、大学院を中退し、何をしていいかもわからず暗中模索していた頃、藁にも縋る思いで5万円という高額なサーバエンジニア通信講座を受けたことがあるからだ。
その内容は、せいぜい3000円で買える技術書を劣化させたようなドキュメントと、閑古鳥の鳴いているフォーラムが提供されるばかりのもので、明らかに5万円の価値はなかった。僕はなけなしの金を無駄にしたことに気づいた。より正確には、気づかざるを得なかった。自分が間抜けだと認めるのに、だいたい半年かかった。
それは出来の悪い通信講座、というほうが正確かもしれない。だから訴えることもできない。しかしその本質を考えると、やはり情報商材といったほうがよいと思う。こういうものはよくあって、具体的に何とは言わないが特に語学系で多いのでは無かろうか。キャリアチェンジなど、通常とは異なる道を考えている人に対するサポートは社会的に薄いこともあり、心の隙間を突くような商材が多いように思われる。僕もキャリアチェンジ組だったからね。
実際、情報商材は「株で一発逆転!絶対儲かる情報教えます!!」みたいなあからさまに詐欺かつ訴えれば勝てるようなものばかりではないんだ。だから、ネットでテンプレ情報商材の話と、それに引っかかるのを間抜けと嘲笑するような言説を見るにつけ、世の中そんなわかりやすくないんだけどなぁ、と、危機感にも似たものを感じる。
よく、詐欺で「自分だけは引っかからないと思っていた」という心理を紹介されるが、それは世間的に流布される詐欺が、あまりにも極端でテンプレ的だから、というのもあるのではなかろうか。しかし実際の詐欺はもっと巧妙だし、案外自然なものだ。
それは傍から見れば合理的に見えないかもしれない。僕だって今なら5万の通信講座は必要ないとわかる。しかし若かりし頃の僕は払った。当時の僕にとっての5万は今の5万ではない。大きかった。しかし、あの時の僕の気持ちは、普通に新卒就活で安定した企業に入った者にはわからんさ。現代日本でファーストキャリアから躓くということの意味は、当事者にしかわからないことだ。特に僕はリーマンショック世代だからね。就活は圧倒的な買手市場で、酷かった。
ま、おかげさまで独習至上主義というべき精神は身についた。組織の中においても、人に相談したことはだいたいうまくいかなくて、結局自分で調べて、自分で考えて、自分で決定したことだけが、自分を前に進めるとわかった。少しばかり人間不信的にもなってしまったが。社会の言うことも聞かないから、僕がブログに書くことも、逆張り的な言説が多いよね。でも誰も、死ぬ時に見る走馬灯がくだらなかったとしても、責任なんか取らないし、取れないだろう。
ところでクソショボ講座を受けたのは、たしかちょうどこのブログを始めた頃だと思う。このブログを作ったのも、とにかく何か世の中に自分を示さなければ、みたいな気持ちが一つあったことはそうなんだな。このブログの一番古い記事を見ると、当時の僕の感じがわかる。もはや情報的な価値はないのだが、13年前の一人の一生懸命な若者が見えるような感じがするので、なんとなく貼っておく。

Ubuntu Magazine(既に廃刊)に書いてあることをそのまんま一生懸命実行している。ただZFSがいいとどこかで聞いてそれを使ってハマっている。よせばいいのに、FreeBSDなんて入れたりしている。下手くそに限ってなぜアレンジをするのか。可愛いやん。この一生懸命な若者から5万取るなんて、ほんと鬼畜の所業だなぁと、今にして思うよ。

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