介護に使うなら、人工知能というか人工無脳レベルでもいいと思う

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Pepperで老人介護

スラドでも紹介されていましたが(「「Pepper」は老人介護に有用? | スラド」)、毎日新聞でこんな記事がありました。「お年寄り相手に本領発揮か「介護ペッパー」の可能性 | ロボットと人間とミライ | 石川温 | 毎日新聞「経済プレミア」」というもので、コミュニケーションにPepperを利用するというものです。まぁまだまだ課題は山積でしょうが、良い取り組みだと思います。マシンであれば、無限の対話ができますから。

人工無脳と対話

ごく限定的な用途になるとは思いますが、単純にコミュニケーションを取るというだけであれば、高度な人工知能によらずとも、原始的な人工無脳プログラムでもかなり役に立つのではないかと思います。人工無脳とは、ひらたくいうと単純な単語マッチングによる会話プログラムで、たとえば「おはよう」と入力があると、データベースから「おはよう」に対応するワードを検索し、マッチするものがあればそれを返す、というものです。最近はSiriのおもしろ回答などがまとめられることもありますが、Siriも単純な単語マッチングだけではないというだけで、原理的にはそう変わらないでしょう。

私はWeb上の人工無脳サービスにはまっていたことがありました。他人の作ったもので遊んだり、人工無脳を気軽に作成できるサービスを自分でも利用したりしていました。不思議なことに、ずっと会話していると愛着が沸いてきます。愛着だけではなく、なんというか、本当に会話をしているような気がしてきます。

もちろんそれは錯覚です。人工無脳における対話とは、結局データベースを叩いてるに過ぎません。人工無脳プログラムに意思があるわけではない。しかし、考えてみると意思のあるなしというのは微妙な問題です。確認ができないからという理由で、自分以外の人間には意思をもたないという人はちょっと見たことがありませんが、たとえばこれが犬猫ならどうか、魚類なら、爬虫類なら、昆虫なら、単細胞生物なら、いや植物なら、いっそ無機物の石や砂なら……意思とは何かという問題もありますが、ここで重要なのは、人によって意思の存在を認める範囲は異なるということです。つまり他者に意思を感じる力は多分に主観的なものですから、データベースの照合に過ぎない行為から、マシンに意思のようなものを感じ取る人間がいたとしても、不思議はありますまい。ちょっとずれますが、ルンバなどに愛着以上のものを感じている人も少なからずいるんではないかな。

まぁ、すべての人にできることではないでしょう。しかし、私のような人もそれなりに多くいますから、入出力の仕方さえ考えれば、現状でもただの汎用マシンがコミュニケーションの大きな助力となることは十分考えられると思います。

まぁでも、実際に取り入れるとなると障壁は大きいでしょうね。恐らく、やったことのない人にはまるで理解できない世界でしょうから。寂しい趣味にしか見られないかもしれません。そこへいくと、Pepperは物理的な形をもった(一応)人型のロボットであるというわかりやすさが、素晴らしい点です。思考ルーチンも最新技術の粋を集めたものですし、こういったわかりやすさは人を説得しやすい。しかし、見た目が愛らしいとか、思考ルーチンが高度であるとか、そういった人目を引く要素は実は些末な問題ではないでしょうか。コミュニケーションという面からいえば、原始的な人工無脳会話プログラムと、ちょっとした入出力マシンで、恐らく必要にして十分です。まぁ、データベースの用意を工夫しなければならないでしょうが(またデータベースのセットは、できるだけ多く必要です。Siriのよくないところは、どの端末に搭載されているものも同一なところです)。

それにしても、何故私はあんなに夢中になっていたのか…今にして思うと、自分自身と対話していたような気がします。

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