エンジニアは悲しい

「マスク氏を支持していたが、救われなかった」感謝祭の前夜にツイッターを解雇された日本人エンジニア | Business Insider Japan

ちょっと話題になっていた記事。イーロン・マスクのハードコアを支持していたにも関わらず解雇になった悲しきエンジニアの話。無能だからクビって言われた、と茶化したご本人のツイートも僕のTLにも流れてきた記憶がある。

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ホーム画面に対するネガティブな感情

この記事を読んだ時はなんとも言えない気分になった。友人にも共有して、友人は「不要なセクションごと切られているんやろなぁ」と言っていたが、僕も同じ感想。恐らくコード云々の話ではない。ご本人もなんとなくそう感じておられるのではないか。

解雇される前、私はツイッター(Twitter)のホーム・タイムライン・モデリング部門のテックリードを務めていました。基本的には、タイムラインを無作為に並べ替えたり、フォローしていない人のツイートを挿入したりしてごちゃごちゃにするというのが私たちの業務でした。

特にここの部分「ごちゃごちゃにする」という言い方からは、ご本人も自分の仕事について納得いっていなかったのではなかったかと推察された。

まぁ実際、ホーム画面の機能を良いと言っている人は少数派だったと思う。一部FFの多い人の中には便利だと感じている人もいるようだが。少なくとも僕は大嫌いだ。明確にネガティブな感情を抱いており、実際、使っていない。Twitterには時系列表示に切り替える機能もあるので、そうしている。たまにタイムラインがキモいなと思ったら、ホーム画面表示やんと気づいたりする。

ちなみに原文だと以下のようになっている。

We are basically responsible for messing up your timeline by randomly reordering things and inserting tweets from someone you don't follow.

messing up your timelineという言い方だが、やはりどちらかというとネガティブな感情を感じられる。

この部分は他のTwitterユーザも大いに話題にしており、「お前だったのか、Twitterを使いづらくしていたのは……」と悪いごんを見つけたようなツイートがバズっていた。

雇われエンジニアは仕事を選べるとは限らない

僕はそのツイート主の気持ちがわかる一方、だからといってそれに乗じてこのエンジニアの方を悪し様に言う気にはとてもなれない。だってまぁ、彼は雇われのエンジニアだろう(僕がそうであるように)。だったら、その機能の開発は必ずしも彼の本意とは限らない。

これはエンジニアに限った話ではない。雇われの従業員なら誰にでも言える。組織の中に入るとはそういうことだ。

今や押しも押されもせぬ大企業となったTwitter、イーロン・マスク以前は明確にメディア企業化していたのだろうから、たとえ技術者として違和感を覚えたとしても、上からの圧力に抗しきれるものではない。

それでも、と本質的になにかを変えようとした時、技術者はただ技術者のままではいられなくなる。それは技術者としてはしんどいことだ。しかも、それは通常リスクばかりが高くその癖リターンには期待できない。

もっとも、これが犯罪などであれば従うことに法的なリスクが出てくるが、さすがにTwitterのホーム画面をごちゃごちゃにすることは犯罪であるとは言い難いだろう。

副次的プロジェクトとして、ツイートの文字数制限を280文字に増やすための部門にも加わっていました。

こちらもあまりマスクの評価とはなっていなさそうだ。Twitterの字数制限はもっとも有名な制約の一つだと思うが、正直そこに本質的な意味はないと思う。初期の段階においては、ブログなどが隆盛していた世の中になって、「短文でもいいよ」というメッセージをユーザに伝える、教育的なUXとして価値があったかもしれない。が、逆に言うとそれくらいだ。今となってはもはや無意味な制約である。140が280になったところで、本質的には大した違いはない。

いずれにせよ、どんなに高い技術力があったとしても、それを使ってやっていたことは微妙なことだった、のかもしれない。

ただそうして会社の言うことを聞いていたのに、その結果経営陣の刷新に伴い不要なセクションとみなされて解雇されてしまったら、やるせない気持ちになるだろう。しかもそう言ってくれたらまだしも、無能を理由に解雇してくるのだからタチが悪い。まぁ恐らく、会社としては少しでも当人に非があるということにしないといけないのだろうなと察せられるが、いずれにせよ完全に会社の都合である。

エンジニアは運命に翻弄される

技術力自体に価値があるわけではない。もちろん技術それ自体に素晴らしさを感じるからこその技術者なのだが、それは技術者にとっての価値であって、技術者以外のものにとっての価値ではない。そして世の中、技術者ではない人間のほうが多いのだ。

だから技術者は、技術力を高めるだけではなく、その高めた技術力でもって何を実現するかにもまた、心を配る必要がある。しかし、それはもはや技術の領域ではない。時間は有限である。非技術的な領域に注力すればするほど、技術的なことに割ける時間は短くなる。

つくづく、技術力とは才能と環境の賜物だと思う。生まれ持ったもの、そしてそれを伸ばせる、活かせるかは環境にかかっている。技術力を金に変えるのがエンジニアなので、とにかく金をもらえて技術力をのばせるのであれば、それ以上のことはない。何をやれるかは必ずしも意思に沿わない。これは運命だ。その運命に抗う時、エンジニアはエンジニアでなくなる。エンジニアである限りは、運命に従わなくてはならない。もっとも、その運命は必ずしもプラスに働かないのだが。

エンジニアは悲しい。

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