2019年あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。年末年始は実家に帰っていました。MacBook Airを持っていったところ、電源ケーブルを忘れました。30分でバッテリーが切れました。1.3kgのアルミのおもりと化しました。

今年もよろしくお願いします。

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おめでとうございます

2019年になってから一週間ばかりが過ぎようとしているのに、あけましておめでとうもないものだけれど、普通継続的に更新されているブログというのは、だいたい新年の挨拶をするもので、実際このブログも去年、一昨年、そのも一つ前、、、としてきたのだから、今年もしておきたいと思う。

まぁ新年なんていっても、それは人間の決めごとであって、自然の中ではいつもどおり日が昇り日が沈むだけの一日なのだから、何も無理におめでたがることもないのかもしれない。実際のところ、自分には何がおめでたいのかよくわかっていない。多分、調べればいろいろとおめでたい理由が出てくるのだろうけれど、それが自分の生活にとって実際的な意味があるかというと、恐らくはないだろうと思う。

けれども、意味のないものに意味を与えるのは人間の営みであると思うし、特にソフトウェアなんてのはそういうものだろうから、一応は今現在情報的ななにかでお給金を頂いている身としては、あまり捻くれずにおめでとうございます、と言ってもよいだろう。こんなことでもなければ、連休をとって家族と会うこともままならないのだから、そういう意味ではおめでたい。

なんというかエネルギーが切れまして

などと書いているこの文章自体がひどく無意味なものなのだけれど、これはあえてそうしている。というのも、そうでもないと何も書けないからだ。

ここ数ヶ月、ブログの更新頻度が著しく落ちているのはそういうことだろう。表面的には忙しさを理由にしているけれど、休日にブログを書く時間がまったく取れないわけではない。なにより、年末年始に書けないはずはなかった。

にもかかわらず書けなかったのは、つまり文章を書くということが、今の自分にとって非常に難しいことになってしまっているから、のように思える。

理由は色々考えられるのだが、一言で言えば、エネルギーが切れた、という言い方がしっくりとくる。

エネルギーが切れた、にはもちろん肉体的・精神的な意味合いが含まれる。まとまった文章を書く、とは存外エネルギーを消費する行為なので、精神的・肉体的な余裕がある程度必要だ。実用上必要な文章であるならばともかく、こういった雑記ブログにおいて、文章を生み出す源は余裕であると思う。なので、時間がない、疲れている、という状態では、なかなか書けないのもむべなるかな。

一方で、そもそもどんなに休んでもエネルギーが貯まらないような感覚もあって、これは疲労感も当然関係はしているだろうけれど、どうもそれだけではない感じだ。

メンテナンスが大事です

なんだろうなぁと思った時、そういえばここしばらく自分は創造的なものに触れていないな、と思った。

自分は高校・大学と軽音楽部で(人に話すとよく意外そうな顔をされる)、また大学の図書館では色々な小説を読み漁っていた。美術には縁がなかったが、美術館に行くのは好きだった。研究室以来、ほとんどそういった営みはなくなって、かなり実用のほうに傾倒していき、ここ数年は特にその傾向が顕著で、特にここ一年、一冊の物語も活字で読まなければ(漫画はかろうじて)、一枚のアルバムも聞いていないし(もちろん流し聞きは除く…Alexa、Jazzかけて!)、美術館にも博物館にも行っていない(あ、これは一緒に行く人がいないからか)。

振り返ってみると、2018年は自分史上でも二番目くらいに(一番目は研究室の時だ。あの頃は憔悴しきっていて、あらゆるものが空々しく感じられた)文化から離れた時期で、目の前にあるのはただただ終わらないタスクと山積みの技術書ばかりであった。

気がつくと、いつも疲弊した顔で不機嫌をばらまいている自分がいる。そうしていないと、たまらない。心を抑えないと、なにか爆発してしまいそうだから、無理に押し込んで、押し殺した声で「それは技術の問題ではなく、政治の問題です」なんて嘯く。そんな自分に嫌気がさす。

なんだか、自分が擦り減っているように感じる。そして、エネルギーの器にヒビが入ってしまった、と言うと、今の気分にぴったりだな、なんて思う。

人の心を磨くのは、物語であり、アートであると思う。少なくとも自分はそうだ。意識していたわけではないけれど、20代前半までに、そういう自分に仕立て上げてきたし、多分だいたいみんなそうなんじゃなかろうか。分野に偏りはあるにせよ。ただ、自分はどちらかというと人よりもそういったところを大事にしてきたほうだと思うし、それは自分という人格を形成するうえで欠かせないものになっている。

で、昔作ったエネルギーの器を働き始めてからは騙し騙し使っていたのだが、ここ数年のメンテナンス不足、そして去年の一切の放置っぷりで、ついにひび割れてしまった、という感じ、だろうか。

まぁ、そんなものなくても仕事はできるのかもしれない。今までどおり技術書を読み、コードを読み、ポストイットにタスクを書いてマネジメントの真似事をし、押し殺した声で「ユーザーにとってのバリューはなんですか」とほざく……。

なんだかなぁ。それは多分、無理というものだろうなぁ。だいたい、そんなヤツに自分はなりたかったのだろうか。別に、そうでないと暮らしていけないというわけでもなかろうに。

よい生活を

しかしまぁ、こうして悩んでいること自体が、らしいっちゃらしいのかもしれない。少なくとも、これでようやく1記事書けた。結婚したら、こんなこと思い悩む暇もなくなるのだろうか、それとも変わらないのだろうか。

いずにしても、もう少し楽しいことを書けるような生活にしていきたいと思う。今年もよろしくお願いします。

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