去年から手帳を使い始めた。僕はカレンダーに関しては基本的にデジタルでやってきたのだけれど、ふと手帳を使おうかなという気になったのは、恐らく独立したことと無関係ではない。独立にあたって、自分の日々の生活を意識する必要があるように思われ、その具体的手段として手帳は最適に思われた。何をしたのか、何をするのか全部を意識的に書くのだし、何もしなければ何もしなかったことが無意味な自然虐殺の結果として手元で空白の存在感を発揮する。これは良いことに思われた。
手帳を何にするか、それが問題だ
それで、さて手帳は何にしようかと思って調べ始めると、検索に出るのは例によってはコンビニ弁当より底の浅いメディア記事ばかりで何も参考にならず、まぁそういう時代かと思ってYouTubeで調べると、今度は手帳に対して異様な執着を見せるオッサンの熱き語りを見せつけられ、その情熱は見ていて悪い気はしなかったが参考になるかと言えばならない。なぜならば僕は手帳なんかどうでもいいと思っているからだ。
どうでもいいとは言ったものの、一年は使うものだし、途中で乗り換えるのがとても気持ち悪いものでもあるので、買うからにはとりあえず後悔しない程度のものを選びたい。しかし僕が後悔しない手帳とはなんだろうか。メディア記事の底浅い文字列も、熱きオッサンもその解を持たない。解は例によって僕の中にしかない。
つまり考えるしかないのだが、そうは言っても、使ったことのないものの善し悪しを判断しろというのは土台無理な話であってどうしようもない。いくら考えたところで堂々巡りだろう。こんなもん一度使わないとわからんのだ。だがそれを何にするか。
それでふと、そういえば糸井重里が何故か手帳出していたなぁということを思い出した。というかYouTubeでもオッサンが語っていた。これは日本の手帳界においてボスくらいの存在感があると思われる有名どころで、恐らくスマホで言えばとりあえずiPhoneくらいの定番なのではないかと察するが手帳界に詳しいわけではないので適当に言っている。
兎にも角にも、これ以上悩むのがクソ面倒だったので、僕はほぼ日手帳を買った。本体4,400円とまぁまぁするのだが、自作しても紙代やらインク代やら考えるとけっこうこんなもんかなという気もする。それよりカバーがたっけぇ。本体と同じくらいする。まぁ仕方ねぇか……。
手帳を使ったのか、それが問題だ
さて、そんな感じでえいやと買った手帳を結局使ったのかどうかだが、結論を言えば微妙に使った。さすがにまったく使っていないのに数千円もする手帳を再購入はしない。
ただ全面的に使いこなしたかと言われればそれもしていない。自分で言うのもなんだがその用途は非常に中途半端な感じだ。日記っぽく使っていた時期もあるし、仕事内容をメモっていた時期もあるし、なんにも書いてない時期もある。唯一使ったと言って良いのは、ダイエット日記としてだろう。
トレーニング内容や食事内容について、かなりの頻度でメモしている。自分は昨年7月より姉に煽られてダイエットを始めており、かれこれ260日以上続けて成果もそれなりに出ているのだが、手帳の果たした役割はそこそこ大きいと思う。ちなみに一番最近の記事は252日目の記事だ。

けっこうダイエットの記録しか書いてない日も多い。

でもそれでいいんです。これはタスクツールとか様々なことに言えるのだけれど、たった一つのかけがえのないユースケースの有無が、継続の鍵になる。そこそこ使うケースをいくら集めても、継続に繋がるかと言えば微妙。継続には、少なくとも一つ、「絶対」と言えるほどの習慣が必要になる。僕の場合、それがダイエットの記録管理だった。このユースケースにおいて手帳がピッタリだったので、それをやるついでに他のことにもそこそこ使い、手帳は死なずに済んだ。
気に入っていないにもかかわらず続けている
そんなわけで、ダイエットを基本柱として、なんかテキトーながらも手帳を使い続けた2024年度、2025年度も引き続き手帳を使うことにした。正直自分でカスタマイズしたシステム手帳が一番いいんだろうとは思うけれど、正直まだそこまで凝れない。めんどくさい。そもそも前述したとおり、手帳なんかどうでもいい。どうでもいいが、どうでもいいなりに使えているので、変える理由もない。
世の中には3つの存在がある。
- 気に入っていて続けているもの
- 気に入っているにもかかわらず続けられないもの
- 気に入っていないにもかかわらず続けているもの
1は言うまでもなく素晴らしい。2はもの自体がこの世から消えてしまったりあるいは経済的事情やのっぴきならないことがあったりなどした時に起きることで、悲しい。いつかまた続けられないかと機を窺うが、物理的に失われたものについては思い出の中にしかなく、せいぜいブログに在りし日の姿を書き留めるくらいだろう。
一方3は一見意味不明なようだが、実はとても多い。多くの人はその生活の中で無意識の間に様々なことを続けている。その中で気に入っているものは大して多くはない。しかも実生活においては一番大切でさえあるかもしれない。気に入っていて続けるのはよくわかるが、気に入っていないにも続けているということは、そこには何か必然的に理由があるからだ。そしてその理由は当人の意識の外にある社会的なもので、それは人にとって不可欠なものだ。
今回のほぼ日手帳もその3に入る。続けているが、気に入っているわけではない。そしてダイエットも別に気に入っているわけではないが、続けている。
僕にとってこの手帳というやつは、気に入っていないにもかかわらず続けているものを管理するのに適した気に入っていないが続けているものだ。来年もほぼ日手帳を使うかは知らないが、とりあえず今年はまた使う。


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