みいちゃん枠と大学受験。7つの反論

SNSで絶賛トレンドになっているみいちゃん枠。これは2ちゃん時代まで遡って思い返しても、ネットスラングの中でかなり攻撃性が強いものだ。正直これがミームになって席巻している様はいささか驚いたね。

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みいちゃん枠とは

みいちゃん枠とは女子枠を揶揄する言葉で、見た限り2/18のパイロットの女子枠について言われたのが発端にみえる。

が、それから数日とせずに、京大理系学部を始めとした大学受験の女子枠を揶揄する形でミームとして席巻している。

ミームとしては、チー牛のカウンターになるのかな、と思う。実際品のなさは同じくらいだろう。ただし攻撃性はチー牛を上回っている。明日のためのクロスカウンターくらいの破壊力がある。まぁチー牛だけじゃなく色々なものが乗っかったんだろうなぁと思う。スラングというのは、相手がきくところまで洗練されるという実例を目の当たりに感じだ。

まぁチー牛と同じくいい言葉じゃないのは確かなんだが、しかしチー牛がスラングとして定着している現実があるように、みいちゃん枠が席巻しているのも現実だ。一部の人たちはかなり積極的に使っており、定着させようとする動きが見られる。そして、これは本当に定着する可能性がある。あからさますぎないし、これからも定期的に燃料が供給され続けるのは、まぁそうだろうからね。

スラングは剥き出しの世相だ。ややこしいのでこういう話は本ブログであまり言及してこなかったけれど、歳をとるにつれてなんだかだんだんどうでもよくなってきたので、気にせずに取り上げていくことにする。

7つの大罪(?)

強い言葉なので当然反発も大きい。……といっても、意見はたくさんあったけれど、いざ分類しようと見てみたら、そんなに種類なかったね。7つほどにわけたけど、大まかに言って反駁はこれらのどこかあるいは複数に属する、といっていいと思う。

女子枠をみいちゃん枠と呼ぶのは差別的だ

最も多い反論。これはそう思う。佐々木俊尚もウンザリしてそうに指摘していた。良識派で嫌悪している人はだいたいこれじゃない。女子枠自体には否定的な人でも、良識派ならこう言う。

しかし、これこそまさに使われている理由なので、「バカは悪口だ」というのと同じくらい現実としては意味がないかとも思う。

それは良くない態度だ、というのは、賢明な態度を取ることを捨てた相手に対して機能するものではない根幹は、その懸命な態度を捨てざるを得ないと考えるに至った人が既に相当数いる、ということだ。

みいちゃん枠という呼ばれ方が女子枠の必要性を証明している

これはみいちゃん枠は差別的だ、という論理の発展になるが、「このように差別的な言動がまかりとおっている状況だからこそ、女子枠が必要だ」と逆説の形で女子枠の正当化まで踏み込んでいるのが特徴だ。

しかしこれは踏み込みすぎで、隙になっている。少なくとも建設的ではない。まず「女子枠は逆差別だ」という嫌疑がある中で生まれた言葉なので、それを「逆差別だとすること自体が差別だ」は循環論法というか、無敵論法の形になってしまっている。実態としては対話の拒絶というほうが近い。

原作と異なる、原作に失礼だ、原作を読め

たまに見る。反駁というよりは元ネタに対する個人的なスタンスの表明。ただミームというのはそういうものなので、なんとも言えない。みた感じ、本当に原作のファンという人よりも、とにかくみいちゃん枠という呼び方をやめさせたいために、「原作に敬意を払うべきだ」という別の倫理軸の座標にずらそうという動機が強い人のが多い気はした。

……でも多分、今回のミームは割と作品の根幹捉えてるほうじゃないかなという印象ではある。方向性は確かにアレなんだが。「最悪の原作踏襲」という表現をしている人がいたが、この人は多分本当に読んでいた人なんだろうと思った。

女子枠をみいちゃん枠という人たちは愚か

「バカっていうやつがバカ」論法なので、特に言うことがない。

おまえらが騒いでも女子枠はなくならない

これはそう思うというか、事実の指摘にあたる。しかし実効支配のごとく力の論理を剥き出しにしたものでで、これこそみいちゃん枠というミームが流行る原動力になっている。力には力で対抗する、という形だ。

一般枠の女子に迷惑だ

反論に含めるか悩んだが、まぁまぁ見るので触れておく。みいちゃん枠といって女子枠をバカにすることによって、一般枠の女子まで同一視され不利益を被ることになるから、やめるべきだ、という理屈になる。

一応筋とは思うんだが、女子枠自体には明確に否定的だし、女子枠を使う女子についても快く思っていないことが前提の理屈になる。これだと半ばわかって使う側に対する訴求力はないんだよな。

制度が批判されるべきだとしても、それを利用する人が批判されるべきではない

これは今回の騒動で一番気になった側面だ。制度の利用者を責めてはいけない、はよく見る論調の一つで、本来は完全に正論ではある。……のだが、もうそのステージを過ぎてしまったかな、と思う。

法的にその罪を問われない、というのは当たり前だがそう。しかしでは社会的にお咎めなしかといえば、それはそうとも言えないだろう。制度を利用することが罪でないように、制度を利用することを批判することも罪ではない。実際、SNSでは「狂った制度を使う奴も同罪だ」と明言する人もいる。

しかし女子枠は国策的に用意された枠だ。これを正面から利用することについて非難されるのは理不尽に思える。ベキ論としては、民主的な手続きでもって反駁されるべき、になる。しかし実態としてその手段はないじゃないか、というのはそう。そもそも実際大学受験の女子枠が政治的なイシューになっていたとは思えない。

この非対称性から、「制度を利用している人を叩く」しかない、のは現実として

そうなると思う。

少し前までなら、ベキ論のほうが通ったのではないか、と思う。というのも、理屈では制度利用者を叩くしかないのが戦略的に合理であったとしても、実際にそれをするのはかなり気が引けるはずだからだ。そうならないということは、政府に対する不満のみならず、対象者に対するヘイトがある、ということだ。そしてそのヘイトが正当化されるほどに不満が大きく燻っているのだね。

既にルールの前提自体に嫌疑がかかっている状態だから、その前提にもとづいた正論は効力を発揮しなくて、パワーゲームのステージになっている

殴り合いが始まった?

みいちゃん枠呼びについての反応は色々だが、反駁・嫌悪の体系はだいたい上記の7分類かなぁと思う。その中で論理的な説得力を持ちうるのは、「差別的だ」と「制度の利用者を批判すべきではない」の2種類になるかな。

で、これらは正論なんだが、今回の流れを見て非常に特徴的に思ったことは、「確かにそのとおりだが、もはやこうするより他はない」という覚悟を決めた上であえて「みいちゃん枠」を連呼している人が相当数いたことだ。もう論理や道徳の話なのではなく、戦争なんだ、という感じ。

正直わかる。もう、その段階まできてしまったんだと思う。形だけ民主主義で、実態としては押さえつけられていたし、それに対して異議申し立てできる実態がなかった。一部の人間がその非対称性を利用し続けてきた。それは抑圧であり、暴力だった。それができてしまった。そして、正論を守っていたらやられる、という絶望が生じた

人間の寿命のサイクルは、社会のサイクルより短い。だから世代を経ると忘れるんだろうね。力には力が返ってくるということが。だから気持ちよく押さえつけてきたのが、今逆噴射し始めているんだろうと思う。

男女論は僕の戦場ではないので、見ているだけではあるんだが、他人事ではないし、根底に同じ流れがあるのだと思って注視している。

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