「道徳」の時間の思い出…まずまともに授業のあった記憶がない

[投稿日] 2016年12月18日

ちょっと旬の過ぎたニュースですが、「道徳」について。安倍首相が「道徳」に重きを置いているのは有名な話です。2018年より、正式に「教科」として認められることになりました(「「特別の教科」に格上げ…道徳 : 教育 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)」)」

これについては議論が各所でなされ喧々諤々ですが、私個人としては、この議論はどうにもピンとこない。というのも、そもそも道徳の時間はたしかにありましたが、授業というのがまともにされた記憶がないからです。結局、現場の教員次第だと思うのですが。あまり無理させないようにしてほしいものです。

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道徳はトランプのジョーカーみたいな扱いでした

「道徳」の扱いについて色々と議論されていますが、それについて考えると、そもそも、「道徳」の時間というのが、まともにされていた記憶がほとんどないことに気づきます。私は小学校を3つ経験していますが、どこでも、道徳の授業というのは、もっぱら遅れている教科の埋め合わせとして利用されていました。祝日などで潰され、進度が他クラスに比べて遅れている主要教科が、そこに割り当てられます。クラスで決め事をするなど、長時間HRの必要があるときは、その割当先筆頭候補。道徳の授業は、トランプゲームで使える便利なジョーカーのような扱いでした。

といって、まったくなかったわけではありません。時折、思い出したように道徳の教科書を皆で音読して、それに対する皆の意見・感想を集め、適当に先生がまとめるとか、その程度のことはありました。時には、何故かNHK教育テレビでやっている、15分くらいの、いったい誰が誰に向けて作っているのかよくわからない連続ドラマ(さわやか3組は3組のステータスを全国的に上げたでしょう)を見ることもありました。

本当に、あの番組は誰向けだったのでしょう。ターゲット層は明らかに児童ですが、児童はその時間帯は学校に行っています。先の道徳の授業や、風邪など特別な理由で休んだ日にだけ見られる特別な番組でした。ひょっとすると、特別授業で何をしてよいかわからない先生への教材提供の一環という面もあったのでしょうかね。現に、道徳の授業で視聴した記憶はありますし。

先生方にとって、この「道徳」の時間は取り扱いに困ったであろうことは、私もこの歳になりましたから、自分の身に置き換えて考えると、想像に易い。ヘタなテーマを選ぶと、どこからクレームがつくかわからないし、答えがないだけにクラス内で無用な対立を招く可能性もあるし、ちゃんとやったところで評価されづらいし。まぁちょっと、何かしらの意志ある先生でないと、なかなか難しいでしょうねぇ…。

結局、指導できる教員、指導できる環境が整っていなければ、いかに額縁を整えたところで絵に描いた餅です。私が初等教育を受けたのはもう二十年も前ですが(遠い目)、今小学校に通う甥っ子を見るにつけ、あまり状況は変わっていないように見えますがねぇ……。これ以上仕事を増やしては、可哀想に思いますが。小学校の先生、私には絶対無理だなと思う職業の一つです。

内容より環境

私は、内容については、なんでもよいと思っています。それこそ、戦前にあった修身の教科書を読み上げるでもいいと思うんです。

修身と言うと、異論のある人もいるだろうとは思いますが(あるいは喝采する人もいる?)、実際に読んでみると、そこに書かれていることは極めて真っ当で、どちらかと言うと真っ当過ぎて嫌になる類のものです。なので、実を言うと私はあまり好きではありません。しかし、国が教育として教える分には、悪くないのではないでしょうか。

中身を読めば、その真っ当さがよくわかります。Kindleの読み放題に、修身の教科書を再構成したものがありますので、紹介しておきます。大人であっても、妙な自己啓発本を読むよりか、良いんじゃないでしょうか。信念と努力の末に成功する、俗な言い方をすればサクセス・ストーリーが満載です。こういう話を児童に読ませるのは、悪くないと思います。

というか、今の道徳の教科書も、内容は大差ない印象です。道徳の授業こそまともにされた記憶はありませんが、本を読むのは好きな性質だったので、国語と道徳の教科書は、配られたらすぐに全部読んでいました。特に道徳の教科書は、ストーリーが多彩で完結しているものが多く、面白かった覚えがあります。いわゆる「ちょっといい話」が多く、読後感も良かった。

いかにも今風な、答えのない素朴な疑問をディベート形式で議論し、多様な価値観を受け入れられる人間を目指すのも良いでしょう。しかしそれは、非常に難しいことで、その舵取りをただでさえ多忙な現場の教員におまかせするのは、実際の所、なかなか厳しいのではないかなとも思います。そもそも能力的に厳しいのではないかな……私の記憶にある先生たちを思い浮かべると(そして昨今の胸糞悪いニュースなど見ると……)。

実際的に考えると、結局、修身的な授業内容が現実的に思います。目指すは「考え、議論する道徳」だそうなので、文科省としては、もっとアクティブなものを想定しているのでしょうけれど、それならそれで、専門の人を雇うなど、環境を整えなくてはいけないでしょう。金と時間がかかります。

しかし何をしたところで、子どもたちへの影響はほとんどないんじゃないかな、などと身も蓋もないことを思ってしまうのは、私自身が学校にあまりいい思い出がないからかな。

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