面白い(?)ツイートがあった。
最近の若い世代って「壊れるまで頑張る」が前提じゃなくなってるよな。20代で生活保護を選ぶ人が増えてるのも、その流れの一部だと思う。限界まで耐えてから崩れるより、早めに離脱して生き延びる方が合理的。根性論が通じなくなっただけで、判断としてはむしろ冷静。
https://x.com/mushokulibro/status/2042422815677100224?s=20
これは、先日の20代の生活保護が増えてるというNHKの報道を受けてSNSで話題になっていた流れにあるツイートだろ。このツイートは逆に受け取ると今までは「壊れるまで頑張る」を前提にしていたとも取れる。で、それは既に働いて長い人はけっこう頷けるのではないか。
僕もふと昔を思い出して、こういう引用ツイートをした。
僕らの時は壊れるまで頑張ったら許してもらえるよね、、みたいな最後の幻想がまだ残ってたけど
https://x.com/tamasan774/status/2042865964895866928?s=20
現実にはそれで早死しても「独りでラーメン食ってるからだろ!」と死してなお雑に踏みにじられるのが可視化されてるので
それを目の当たりにすれば最初から頑張らないは合理的な帰結かもしれなき
このツイートは2つの文脈を追加している。
まず「壊れるまで頑張る」について、僕らの時にあった動機として、そこまでやればさすがに許されるはずだ、という気持ちがあったことを追加している。これは今にして思うと最後の甘えというべきものだったかもしれない。
現実にはそんなことはなかった。その一例として、同じくXで先日トレンドになっていた、独身男性の平均寿命が短いのは食生活や交友関係に原因があるからでは、という議論が出て軽く荒れていたことを擦っている。
これは無関係のことではない。壊れるの極致に過労や自殺、病気などによる死があり、そうしたものが統計にも出るわけなのだが、現実にはそれさえも、雑に「ラーメン食ってるからだ!しかも孤独だ!」とネットで嘲笑われておしまいなのである。
つまり、働いて、働いて、働いて、働いてぶっ壊れれば、せめて同情くらいはされるだろうという最後の希望も打ち砕かれているのがネットを見ればありありとしているのだから、頑張っても報われないという確信がある場合、ではもう頑張りません、という結論は合理的に思える。いったいどうして頑張らないといけないのか。それで最後まで頑張ってぶっ壊れても、その原因を「ラーメンの食いすぎ」にされてしまうのに。
まぁいずれにせよ、壊れるまで頑張るというのは極めて不健全なので、そこまで追い込まれる若者が減ったこと自体は良いことなのだろう。ただこれまで社会はそれを前提にして成り立ってきたと思われ、この流れの先に何があるのか。少なくとも未だ社会はさほど慌ててはいないようだが。
ふと、昔みんな大好きサンデルおじさんの本で紹介されていた思考実験を思い出した。オメラスから歩み去る人々なるもので、内容をざっくり言うとこんな感じ。
全住民の永遠の幸福と繁栄を約束された理想郷オメラス。その奇跡は、地下室に閉じ込められ虐待される、たった一人の子供の犠牲の上にのみ成立していた。
もし誰かがその子を救い出し、一言でも慈しみの言葉をかければ、街の平和は一瞬にして崩壊するという非情な掟が課せられている。
この不条理を知ったとき、あなたならその子を救い出すか、それともそのままにするか?
Geminiにまとめさせた。もっと知りたい人は「『オメラスから歩み去る人々』解説|オメラスの地下牢と天皇|あらすじ考察|ル=グウィン │ なるほう堂」が詳しい。
個人的にはトロッコ問題と同じで、無意味かつ悪趣味な思考実験だなという感想である。まぁ多少使える形に少し魔改造するなら、この地下室に閉じ込められているのが虐待された哀れな子供ではなく、ストゼロ飲んでるみすぼらしいオッサンだった場合、歩み去る人はいるだろうか?とすると幾分かは現代的な学びがあるのではなかろうか。
若者が頑張らず、頼みのオッサンもストゼロを投げ捨てて寝そべったとき、ユートピアは、そしてユートピアの住民はどう反応するだろうか。
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