謹賀新年。私もとうとう6ビット

あけましておめでとうございます。素数の年が終わりました。今年は偶数。本年もよろしくお願い致します。

今年はもっと素直に生きようと思います。でも多分、他人から見ると私は既に十分素直な人間なのだけれど。もっと。

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6ビット

2018年が始まった。西暦は約数の少ない微妙な年だけれど、私は今年で32。2^5というたいへんキリの良い年齢。100000歳。私もとうとう6ビット。

独身貴族を謳歌しているけれど、さすがにまずいんでないのかと焦りを感じることも事実。しかし西暦や年齢の約数を求めている時点で何かもうダメな気がしなくもなく。本年は、もう少し世の方々と楽しくお喋りできるマトモな話ができるようになろうと思う今日この頃。せっかく東京に越してきたので。

東京はえらいところだ。以前にも、仕事の都合で4ヶ月ほど立川近辺に住んでいたことがあった。都内では田舎扱いの立川も、私には驚くべき大都会に見えた。それまで住んでいたところがど田舎だったということもあり、本当に時が動き出したと思ったものだ。

そして今度は23区内。紛うことなき大都会。毎日救急車のサイレンと、けたたましいクラクションと、オッサンの怒鳴り声を聞き、満員電車という都会の洗礼を受ける日々。満員電車、侮っていた。

素直に生きたい

まぁなんにしても、新しいことができるのは喜ばしい。もっとも、問題は新鮮味がなくなったあとなのだろう。当面はひとまず環境に馴染むことを優先しようと思うが、その先に何があるのかは常に考えておかねばなるまいなぁ。

私としては、なるだけ素直に生きようと思うこの頃である。物事を深刻に捉えず、嫌なことに必要以上の我慢をせず、好きなことは好きだと言えるように……。というとあまりにも漠然としているが、つまり勝手に深刻ぶって身にもならない仕事に身を削るのではなく、大局観をもって、関心のある技術的なことに、気兼ねなく携わり生きていきたいということである。

今まではそうではなかったのかというと、微妙なところだ。少なくともお金や先行きなど余計な心配は、既に私の安眠を妨害するまでになっていたので、色々と気兼ねはあった。また携わっている技術も、成り行き上のもので、本当に私が関心のあるものとはいいづらかった(もっとも、おかげでハードについても多少の見識を得られたし、それは多分どこかで役に立つこともあろうと思う。データがいかに信用できないものなのか、データを取得するところから始めて、身をもって知ることができた)。

目前の仕事の機会は大事にするとしても、それだけに捕らわれていては、エンジニアとしての成長はすぐに頭打ちしてしまう気がする。実際、今の職場では、前職で培った技術ではなく、私がホビーで遊んでいたこと(たとえばこのサイトの構築と運用など)のほうが直接の役には立っている。技術の移り変わりは激しく、また仕事によって求められる技術はまったく変わるので、仕事のみならず存分に遊びに励むことが、技術を志す者にとっては大事なのだと思う。仕事ばかりを懸命にした結果、その技術が必要なくなるのと同時に使い物にならなくなってしまっては、笑うに笑えない。

そうは言っても、私の価値観にとって合理的な行動が、他者の目から見ると随分と勝手に見えるだろうということはありそうに思える。特に仕事に励むばかりでは潰しが効かなくなりがちなので、存分に遊ぼう、などというのは非常に理解されづらいかもしれない。

他者の目をあまり気にしないのもよろしくないが、さりとて気にしすぎてもつまらないし、そのバランス取りはなんとも難しい。が、曲がりなりにも私は30年以上生きてきた。5ビットでは表現できないだけの歳を重ねてきた。少し、自分の感性を信じてもよかろうと思う。思いたい。

などと漠たる決意を表明する元旦。一寸先さえわからぬ現代、一年の計など無意味と思う自分だけれど、我が身を振り返り明日の道をなんとなく考えるには良い日かなと思う。悔いのないように生きたいものです。今年もよろしくお願いします。

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