「自称専門家」という謗り方に見る権威主義あるいは幻想

Twitterで「自称専門家」という言葉をよく見かける。これは主に、自分と異なる主張をする専門職の人間に対して嘲る言葉として用いられるようだ。この言葉を特に好んで使う人たちが一定数見られる。

昨今は新型コロナに対する対応で意見が割れているためか、医者が言われているのを見るのをよく見る。これは非常に不思議なことだ。医者は医療の専門職であり、それで飯を食っているのだから、自称も何も事実として専門家である。したがって、医者であることをそのものを疑い「自称医者」というならまだわかるのだが、医者であることを疑わないのであれば、「自称専門家」はわけがわからないなと思う。

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専門家の理想像という幻想

まぁ僕からするとわけがわからないのだが、彼らには彼らの理屈がある。彼らにとって、医者であることは医療の専門家であることを意味しない。

確かにまぁ、専門家に絶対的な定義があるわけではないので、医者だからといって直ちに医療の専門家ではない、と考えることはできるだろう。

これは同じ分野の専門職の人間が言う分には一定程度理解できる。

僕は技術職なので、エンジニアで考えてみよう。たとえばエンジニアが同じエンジニアに対して、技量に劣るとか、不誠実であるとかを理由に、「こんなやつはエンジニアじゃない。自称エンジニアだ」と謗ることはありうる。この場合、この人は「エンジニア」という職種に対してある種の理想を抱いており、その理想に合致する人がエンジニア、そうでないものは自称、というわけだ。

これは自身の職業に誇りを持っていることの裏返しでもある。僕自身は技術者にも色々いるというだけだと思うので、高邁な理想を掲げてそれに合致するものだけがエンジニアである、なんて人はちょっと苦手だが、まぁ理解はできる。個人的には、そんな理想像は幻想だと思うが。

同じように、理想の医者なるものを想定し、それに合致していない医者は自称医者だ、という理屈はあるだろう。実際、医者が同じ医者に対して「自称専門家」と謗る風景はちょくちょく見ている。

本当に専門家ではない、という主張

一方で、「本当に専門家ではない」とする主張もある。新型コロナでいえば、「新型コロナの対応は統計と経済の領域であり、医者はその分野の専門家ではない」という主張である。これは主張としてはよく理解できる。本当にそのように考えるのが妥当かどうかは別として、理屈として筋が通っている。

それに、実際よくよく考えるべきことである。日々刻々と変わる現実の事象は、人が勝手に決めた専門分野に沿っておきるわけではない。いったいこれはどういう類の問題なのだろうか?それを考え、決断する人がリーダーと呼ばれる人間であり、そして我が国でもっとも不足し、また軽んじられている者だ。実際、何も決めずに検討する者が今のトップである。そして決めないことにより、高い支持率を維持している。もっとも、何故か国葬を早々と決めたことで、最近は少し支持率が下がったようだが。

まぁいずれにせよ、「これはAの領域ではないのだから、Aの専門家はこの問題の専門家ではない。にも関わらず専門家を名乗るのは、自称専門家だ」は筋が通っているし、このような根本的な問題提起は傾聴に値する。まぁ、それでも自称専門家はやはり言葉として不必要に強すぎるし、またまったく無関係とも言えない場合(恐らくだいたいそう)には誤解を招く言い方だとも思う。

自分にとって都合のいい人が専門家

ここまで2とおりの「自称専門家」と謗る者のパターンを述べてきたが、正直このパターンに当てはまるタイプはあまり多くない。よく見かけるのは、別に自分は専門職ではないし、またトピックの専門領域について疑義があるというわけでもなく、ただただ専門職の人間を罵倒する類の者だ。

いったい、彼らにとっての専門家とはなんなのだろうか。それは彼らが称賛する人を見ればわかる。自分の主張に近しい、あるいは都合の良い主張をする専門職の人間が、彼らにとっての専門家である。

彼らは「おっしゃるとおり!」「そのとおり!」など無意味なリプをぶら下げることを好み、専門家の祭り上げに余念がない。ご贔屓の専門家の価値をあげれば、その主張に近い自分の発言の正当性も増すというものだ。

つまり、彼らが真に欲しているのは自身の権威付けであって、論理的な正しさではないし、増して問題が解決することではまったくない。

まぁ端的に言って阿呆なので、無視するのが一番良い。

専門家とは

ここまで見てきたが、「自称専門家」という言葉には権威主義または専門性に対する幻想のいずれかがあると思われる。権威主義は思考停止なので論外として、幻想については理解できる面はある。僕自身、技術者としての誇りや一家言はある。だが、やはり他人に対して使う言葉ではないなと強く思う。まぁ、せいぜい腹ん中で思うくらいじゃなかろうか。

理想の専門家などいない。そんなものは幻想だ。誰しも未熟なまま生き、未熟なまま死ぬ。だが未熟でも、眼前の現実には対応しなくてはいけない。本当は何もわからないけれど、その中で精一杯の知恵を出して、問題に対応してくてはならない。専門家という言葉に意味を見出すとすれば、専門家とは、職業的幻想を己の支えに、現実の中で懸命に戦う者だと思う。

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