高市早苗が初の女性総理になる流れだが、これは歴史的な快挙といっていいはずだが、どういうわけかあまりフェミニストは歓迎していない。というかむしろ反発している。これを受けて、ネットでは随分と揶揄されていた。僕らのアイドル千鶴子とか。
なぜフェミニストは高市早苗を目の敵にするのか
まぁ揶揄しているほうも理解しているだろうが、彼女らにとって高市早苗総理は実際歓迎できないどころか、アイデンティティの危機ですらある。彼女らの世界観において、ガラスの天井はフェミニズムのパワーで破られなければならない。間違っても、フェミニズムと関係ないところでただ努力して破られてはならない。だってそんなことされたら、フェミニズムはいらなかったのでは?となりかねない。いや、そもそもガラスの天井なんかなかったんじゃないの?という向きも出てくる。
なので、高市早苗の成功によって形式上女性がトップになっても、フェミニズムに良い影響があると思えないため、歓迎できない、となる。この心情は理解できる。
一方で、フェミニストは議員や役員の女性比率に拘ってきた。最近は名門理系大学生の比率にまで女子枠という形で影響を与え始めている。これらはまさに形式である。フェミストは現実に、形式にこだわってきた。日本のジェンダーギャップ指数を見よ!
形式にこだわってきた以上、その形式を満たされたなら、心情はどうあれ認めなければならない。これは形式の本質であり、フェミニズムに限らない。たとえば役人などもこれを求められる。役場ではウザったい形式を求められるが、逆に形式さえ満たすと、拍子抜けするほどすんなりとおったりする。それをしないと、恣意的だと言われる。形式とは本質的にそのようなものである。
で、フェミニストは女性比率とか女性リーダーの数、のような形式を現実に求めてきたのだから、その悲願である国のトップに女性がなった、という形式は、とにかく先ず認めなければ、論理的に整合しない。認めるとは、形式的にでも賛辞を送ることである。
認めたうえで、心情的に苛立ちや懸念があるのであれば、「引き続き女性の地位向上を求めていく」と監視の姿勢を示す、程度が妥当であろう。
現代のフェミニズムの強みと弱み
さてここからが導火線なのだが(既に十分油を注いだかもしれないが)、以上は理屈の話で、そのような理屈を度外視して騒ぎ立ててきたところに、現代フェミニズムの強さがあるため、それができないんだろうなぁ、というのは感じる。弟にも「君死ね」と叫ぶのが現代フェミニズムである。
しかし……いくらなんでも、今回は相手が悪いというかなぁ……。生物学的にも文化的にもあらゆる面で女性としか言い様がなく、しかも政治的には明らかに挑戦者で、無理と思われた大きなハードルを超えた高市早苗に対して、ああだこうだというのは、世間的な理解を得られないだろう。だって相手も女性じゃん。なんで邪魔してんだ。
これはねぇ……まぁ、今のフェミニズムがよくわかるというかな。結局、彼女らは金切り声をあげて誰かが助けに来るのを待っているのだよ。動物の世界でも、哺乳類だと弱い子供やメスが叫び声をあげて、他の雄に助けてもらう、という現象は見られるようだね。それは一つの本能なのかもしれない。君助けてくれたもう。
しかし、相手が雄ならともかく、同じ雌とあっては、いくら金切り声を出したところで、雄も困ってしまう。他の雌も「ああね」と察しがつくだろう。
さらに言えば、金切り声にいい加減ウンザリしている人も増えていた。そしてなにより、みんな余裕を失いつつある。もう自分が生きるのに精一杯なんだよ。しかも雌同士、勝手にしてくれよ。
……とまぁ、そういう心情には、正直なるんだよね。
喧嘩したってさぁ……
以前はこの手の話題はあんまり触れないようにしていたけれど、最近は歳とって、なんかもう気を遣うのも馬鹿らしくなってきたから、こういう話も書いてしまうよね。思考のメモ代わりに。見てて飽きない人たちではある。まぁでも、自分で言うのもなんだが、僕はかなり穏当なほうだと思うがなぁ。
ってか、女性初の総理大臣って、普通にスゴいんだから、それについてはとりあえず祝わんか、という風に感じる。そのうえで意見があるなら言えばええやん。いやまぁそれをしてこなかった人たちなのはそうなんだろうけれど、むしろそれが通用した時代だったのが特殊だと思うべきで、今の状況わからんか……。何をどう言い繕っても、初の女性首相に文句タラタラ言って足引っ張ってるフェミニストって外から見たら異様としか言えないんだよ。
僕だって思想信条で別に高市早苗と重なるわけじゃないけど、それは本当に快挙だと思うし、そういうところで共感できなかったら、ただでさえ思想信条が違うんだから、本当にもう、喧嘩するしかなくなってしまうよ。まぁでも、そうなのかも。人間ですから……。

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