ブログを続ける理由

知らなかった。このブログを始めたのが2012年の10月なので、実に8年以上ブログを続けているのだが、クロス投稿という概念を初めて知った。仮にも技術ネタ多めで、恐らく傍からは技術系のブログと目されているのではないかと思うのだが、そんなことも知らなかったのである。やはり僕は阿呆。

目次

クロス投稿なるもの

クロス投稿というのは、オリジナル記事は別にあることを明示したうえで、他所様のプラットフォームに投稿する行為らしい。つまり、これを使えば自ブログの記事を別所に掲載することができる。

そんなことができるとは知らなかった。僕がQiitaに記事を投稿しないのは、「いや、この記事は俺のだから」という意識があるからなんだが、クロス投稿が許可されているプラットフォームであれば、投稿してもいいなと思える。

というか、投稿させてほしい。

個人サイト冬の時代

ブログに限らず、個人サイトに冬の時代が来て久しい。サイト制作に時間がかかるというのはもちろんそうなのだが、それ以上に、検索流入が見込めなくなった。Google先生は謎の個人の与太話には耳を貸さず、「調べてみました!わかりませんでした!いかがでしたでしょうか?」というまとめサイトを客観的で信頼性があると考えてしまった。

本当に知りたいことはいつだって言葉の外にあるんだが、機械はどこまでいっても字面を解析することしかできないので、そうなるのも仕方ないのかもしれない。というより、そんなGoogleの好みに合わせて爆誕したのが、いかがでしたかブログである。阿呆らしい。

そんな阿呆な記事に追いやられて、多くの有益な個人サイトが、ただでさえ目立たなかったのに、今やネットの片隅にすら置かれなくなってしまった印象だ。もちろん僕のサイトも例外ではなく、もうずっとサイト来訪者は減るばかりだ。

人に見られるためではないが

別に人に見られるために記事を書いているわけではない。だからこそ、このブログも8年以上続いている。これは個人サイトをやったことがある人ならわかってもらえると思うが、誰かのためにとか、誰かに見せるためにサイトをやっていると、なかなかどうして続かない。

ブログ指南みたいな記事ではよく「他人に見られることを意識して」と書かれているが、実際のところ「他人の目なんか気にせずに」書くほうが長く続く。僕は僕のためにブログを書いているので、続けることができているのだ。

しかしそうすると、検索流入の話など出てくるのはおかしいことにも思える。誰かに見られることを気にしないなら、どうでもいい話じゃないか。

それはまったくもってそのとおりなのだが、ここがサイト運営の微妙なところで、そもそも本当に他人に見られなくていいのであれば、わざわざインターネットに公開する必要なぞないわけだ。なぜ公開するのかといえば、それはやはり誰かに見てもらいたいという気持ちがあるからだ。

利他的で自己的な欲求

その気持ちの源泉はなんだろうか。斜に構えた人は「自己顕示欲」「承認欲求」と切り捨てるかもしれない。

もちろんそれは違う。ブログなんかやっても、自己顕示欲も承認欲求も満たされない。むしろいかに自分がちっぽけな一個人に過ぎないのかを痛感させられるばかりだ。まだしもTwitterのほうがマシだろう(Twitterでもある程度大御所にでもならない限り満たされることはないと思うし、なったところでクソリプで絡まれる面倒臭さのほうが大きいと思うが…)。

じゃあなぜ公開するのかと言うと、この知識を、この知見を、役立ててほしいという利他的な精神と、あるいはこの感情を共有したい、たとえ理解されないとしても、という自己的な欲求がないまぜになって、延々と見られるかどうかもわからない長文を公開し続けているのだと思う。

人の感性が情報を意味に変える

個人的に重要だと思うのは、客観的な情報の中に込められた、主観的な感情・感性の発露である。書き手の想いが、無味無臭で色もない情報に、彩りと強い印象をもたせ、情報が単なる知識を超えた「意味」になると思う。それは、受け取り手の人生観・世界観によっても大きく変わる。実に面白い。

が、少なくとも現状、それは人間だからできることらしいと、Googleの検索結果を見ると考えざるを得ない。今や検索結果は、感性を排除した、そのようにしか受け取ることしかできない単なる情報の羅列、しかも同じ情報や無意味な伝聞で溢れている。そしてチェーン店しかない大通りのようになってしまい、だだっ広い割にどこまでいっても同じ場所のような、一様な印象しか残らなくなってしまったわけだ。

クロス投稿してみた

現実には、今この瞬間もどこかに本物の人の声は発せられているのだが、それを捉える手段として検索エンジンがポンコツになってしまっている以上、発信者も受信者も、なにかしら手段を考えないといけない。

今世にある各種プラットフォームは、そうした需要の一部を汲んでいる面があると思う。Googleに切り捨てられた個人の感性はTwitterに拾い上げられ、信頼性のない個と切り捨てられた名もなき技術者の足跡はQiitaに拾われた。もっとも、いつだって本当に面白いものは、誰にも掬われていない隙間にあると思うと僕は思うが、まぁそれはいい。自分にとって面白いものは、だいたい他者にとってゴミである。

そんなわけで、僕としてもいい加減独自ドメインに展開する孤島に引きこもるのではなく、なにかしら余所の場にも情報を出さないとなぁ、と数年ばかり思っていたものの、やはり自分のブログというのは可愛くて、なぜ俺の記事を余所に提供しなきゃいけないんだ、というみみっちい気持ちが邪魔していた。

が、クロス投稿という形ならば、まぁやってみてもいいなぁ、という風に思える。クロス投稿ならば、あくまで主権は僕にあると考えられるからだ。

ということで、早速「Crieit - プログラマー、クリエイターが何でも気軽に書けるコミュニティ」に実験投稿してみたりなんだりしている。Mediumじゃないのが自分で言うのもなんだけど僕っぽい。

続けるかどうかはわからないけれど、まぁしばらくやってみようと思う。

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コメント

コメント一覧 (6件)

  • こんにちは、たまに覗かせていただいている者です。

    > じゃあなぜ公開するのかと言うと、この知識を、この知見を、役立ててほしいという利他的な精神と、あるいはこの感情を共有したい、たとえ理解されないとしても、という自己的な欲求がないまぜになって、

    これ、めちゃくちゃわかります。
    私も、ブログを書いていたとき、パートナーから「誰に向けて書いているの?」と小馬鹿気味に言われたことがありまして。
    自分自身のためだ、と返しましたが、今こちらを読んでいて、ああそういうことなんだなと一字一句とてもしっくりきました。
    今度からそのように思うことにします。

    ブログ指南で、他人の目を意識して云々…は、主目的が稼ぐためにブログを書いているような場合が多いからなのかな、と思います。ある種のプロ目線と言いますか。
    でも、やっぱり、自分のためでもあり、人のためだなあ。
    自分のためと思えば続くし、人のためと思えば存在意義を感じられるし、ブログっていいですね。素敵な記事をありがとうございます。

    • おお、わかっていただけますか。ブログいいですよね。烏滸がましいかもしれませんが、やっぱり人のために、という気持ちは自然とありますね。お金のためにやっている人も多いというか、ひょっとするとそんな人のほうが多いのかもしれないですが、それだけじゃない世界がブログにはあることも、いろいろな人に知ってほしいなと思います。

  • ブログ歴12年以上で未だに自宅のサーバーから発信しているpop karaieと言います。
    ネットのほとんどがgoogleに支配されているのに違和感を感じています。
    インターネットとマネーを結びつけることは、当たり前のことかもしれませんが、インターネットの聡明期から自分のスキルを高めたり、ネットから情報を得る代わりに自分の情報を書き込んだりして助け合ってきたり、自分の考えを発信したりしてきたので、マネーが介在することに余計に違和感を感じるのかもしれませんね。

    • 12年すご。しかも自宅サーバー。
      助け合いの感覚すごいわかります。色々助けてもらったからこそ、少しでも返したいなという気持ちは持っている人も多いハズ、、
      実際はネットってお金にならないから、お金にしようとすると変なことになるのかな、とか思います。

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