とても久しぶりにStable DiffusionのLoRAいじりをやった。
最近噂にならない気もするStable Diffusion
Stable Diffusion(以下SD)は言わずとしれたAIイラストのモデルなわけだが、AIイラストは既にどこの大手LLMサービスでもついでにできるので、最近はあまり話題になることもなくなった。実際SDを使っている人は多分ローカルでAIイラストやりたいからなのだけれど、そのためだけにクソ高くなってとどまるところを知らないグラボまで用意しよう、とは中々ならないだろう。
まぁ僕も今からだとやる気にならなかったような気もする。しかし流行りたての頃はちょっとAIに乗っかりたいという気持ちもあったので、手を付けていた。まぁ、死蔵していたGTX 1080Tiを有効に使えそうだなぁと思ったのもある。それでやり始めると、AIでガンガンイラストつくれるのが面白かったもので、RTX4070を購入してしまった。
ローカルAIなら版権キャラができる
ローカルAIで一番良かったのは、やはり版権だろう。これを言うとムッとなる人もいるかもしれない。AIイラストで埋まりつくしたpixivの惨状を見ればその気持ちはわかる。なんかたまに見ると、最近の作品で少しばかり有名になると、同じようなAIイラストで埋め尽くされているね。なんなら商品になっていることさえある。
僕もあれは正直どうかと思うんだが、一方でAIイラスト自体は、本来的にはその人だけのニッチな需要に応えられるものでもあって、それはやはり凄いことだとも思う。実際僕が今回LoRAで作ったのは、10年くらい前に終わった作品で、二次創作自体ほとんど見かけたこともないもないようなキャラだ。ゲームのスクリーンショットを何枚かとって学習させた。
これは実は以前もやったことがあるのだけれど、わかる人向けに言えばSD1.5時代にやったのだけれど、あまり満足できるものではなかった。世間で言われているほどLoRAづくりは簡単ではないようで、職人はすごいんだなと思った。とはいえ0よりマシなのでけっこうな枚数つくって楽しんだのも事実。
今はもうSD1.5はほとんど使われなくなり、SDXLのillustriousやAnimaと呼ばれるものが主流だ。SD1.5時代に比べるとプロンプトの再現度は著しく向上しており、正直けっこうビビる。
で、学習のやり方自体はillustriousだとSD1.5の頃からそんなに変わってないようなので、当時のデータセットをそのまま使って学習させてみたところ、なんだか個人で使う分には悪くないような感じになって、けっこう満足した。人に提供するほどの出来ではないが自分で使う分にはまぁいいかという、自分専用CLIツールのような感じだ。
なにしろPixiv見てもAIイラストさえあがってないニッチなキャラだ。自分が持っているニッチな昔のゲームのスクショから、自分で楽しむためのモデルを作って、AIイラストつくって「まぁまぁやん」とにっこりしているわけだが、これを問題視するのはAI嫌いの中でも筋金入りと思われる。まぁ言う人には言われるんだろうけれど…。
だからどうというわけでもないのだが、AIなるものは結局のところツールなのだ、ということは常に思う。
イラストはローカルAIでけっこういける
Stable Diffusionについて思うことはいくつかある。まず、画像についてはローカルAIでも十分なものが出来るんだなぁ、ということだ。これはコーディングやチャットをローカルLLMでやろうとして無料のGeminiに勝てないねぇ……となっているのとは対照的だ。
まぁ画像のクオリティという観点では商用LLMのほうがそりゃいいに決まっているんだけれど、版権やいわゆるセンシティブなやつなんかは、これは商用LLMではできない。…ということになっているが実態は大荒れであるように、これは技術の問題ではなく制約の問題なので、ローカルAIの制約のなさのメリットが、商用AIのクオリティを上回るのだね。
これはコーディングだとまだまだっぽいんだよな。この違いって本質的になんだろう、とは常々考えているところだ。
AIは褒めそやされ、憎まれ続ける
もう一つ思うことは、AI出力をよく出来ていると思えるのは自分の関心のなさによる、ということだ。僕はAIイラストにとても感心しているのだけれど、それは絵に興味がないからだと思う。実際、僕はしばらくAIにブログ記事を書かせる試みをやっていたが(このサイトの記事ではないよ)、結論として、AIの出力は文字列、であった。僕にとってAI記事は許しがたいほど浅薄かつ滑らかで、こんな文字列で満足するようでは、確かに人類はおしまいだと激しく拒絶している。
この憎しみとも言える感覚は、漫画を描く人がAIイラストやAI漫画に対して抱く感覚と恐らく同質である。しかしそういう人も、AI記事については僕のようなヘイトを抱かず、滑らかで良く出来た文章だと思うのではなかろうか?ま、そんなもんだ。
なので、僕にとってAI記事は電子ゴミだが、それがよく出来たものであることは認める。よく出来たゴミだ。
しかしその電子ゴミをよく吐き出すのも事実。一定の用途において有用性があるからだ。文字でも画像でもそう。文字については許せないことが多く、画像について感心するということは、まぁつまり、僕はそもそも絵に対して大した役割を元から求めていないということだろう。
どんなものも関心のある人とない人ではない人のほうが多い。したがって、AIはあらゆる領域で褒めそやされながら、一部から激しく憎まれ続けると思われる。これはAIのモデルを改善すればよいという問題ではない。LLMがこの先どう改善されても、僕がLLMの出力に満足することは誓ってないと言える。これは、自分にとって魂とも言える領域がなければ永遠にわからないだろう。
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